(二)

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(二)

 「ファイト、ファイト、高雄中、ゴー、ゴー!」  試合開始を前にして、応援団が応援を始めている。高雄中軟式野球部は市内屈指の強豪。応援も熱が入っている。新学年を迎え、応援団もこれから始まる一年に向け、本番の試合さながらの布陣で臨んでいるのだ。  応援の声が鳴り響く市営グランドのバックネット裏の入口近く。  高雄中学の文字が刺繍された黒いバッグを置いて、そわそわと辺りを見回す少年がいた。  松浦大輔である。少し離れて、太田灌二。  大輔はユニフォームのポケットから、スマホを取りだし、時刻を確かめた。  午後一時五十分。  試合の開始は、午後二時。  「あと十分かぁ…」  大輔は舌打ちした。  「あの子、来ねえのかな」  独り言に近い大輔の言葉に、灌二が首を傾げた。  大輔の目下の最大の関心事は、市電で会った美少女のことだ。  「けど、黒ずくめの奴も気になるよな…」  今日高雄中学が対戦するオニチュー野球部は三十年の歴史があるが、市内の公式戦で勝った試しがない。  弱小のオニチューに大輔を粉々に打ち砕くような強打者が、本当にいるのか。フツーに考えればなさそう、とわかってはいるが、心の片隅でどうしてもひっかかるものがある。  大輔達は、市電で女の子の持っていた財布を拾ったあと、そのまま市電で「市営グランド」の電停に辿り着いている。どう考えてもい一旦市電を下車してしまった美少女よりは早くここに着いているはずだ。  「ここで見てりゃあ、見逃すはずはねえよな」  「もしかして、メモをなくしちゃったせいで予定していた入口がわからなくなって、別の入口から入場しちゃったのかもね」  「かもな。もしそうなら、探すのも難しいか…もう、試合始まっちまうしな」    大輔は足元に目をやった。    「おっと、いけねえ。スパイクの紐が緩んでいやがる」  大輔は屈み込み、靴紐を直した。  「しょうがねぇ。諦めてスタンドに入るか」    灌二が頷いた瞬間である。    屈み込んだ姿勢の大輔の眼前に、細く綺麗な脚線が、揺らめいた。    何かを探すように、右へ左へと行ったり来たりしている。    大輔は思わず、顔を上げた。    「わっ」    大輔の心臓は、飛び出しそうなくらい、高鳴った。    待ち焦がれていた市電の少女ではないか。    が、少女のほうは大輔が立ち上がった時には方向転換し、数歩先へ進んでいた。    少女は、キョロキョロと周りを見回している。    「ここだったかなあ」    少女は小さく呟くと、持っていた花柄の紙袋に手を入れ、ごそごそと中を探り始めた。    はじめはさりげない仕草だったが、次第に紙袋を探る手つきが早く、荒くなった。    「やだぁ。お財布、なくしちゃった」    少女の一連の姿を、大輔は見ていた。    大輔は立ち上がった。三歩進んで、少女の前に立った。    「あのぅ、これ、落としましたよ」    水色の財布を、少女の前に差し出す。    「さっき、市電に乗ってたでしょ」    「えっ」    「市役所前で駆け降りるとこを見たんです。そのときぃ、これを落としたのが見えて…。声かけたんですけど、市電がすぐ発車しちゃって」  「あーっ」    少女は眼を見開き、やや仰け反るように首を伸ばした。    「さっきの市電の方ですね。助けてくださったのに、ろくにお礼もしないですみませんでした」    「いえ、そんな、大したことでは…」    (大輔君、あがってるな)    大輔の頬が上気している。言葉もどこかたどたどしい。    灌二は、素知らぬ顔をして大輔を観察していた。    「わざわざ、届けに来てくださったんですか。きっとここに来るだろうって」    「は、はぁ」  大輔は頭を掻いた。    「それもあるんですけどぉ」    大輔は、十年分ほどの勇気を奮い起こし、少女に言った。    「あのぅ、これからうちの学校がここで試合するんです。これもも何かの偶然です。ご一緒に野球を観ませんか」    大輔は後ろを振り向き、灌二を指差した。    「こいつも一緒です。僕のダチ。幼なじみです」    「えっ…」    少女は、表情を曇らせ、俯いた。    「そんな…急にそんなこと言われても、こ、困ります」    「困る?」    大輔は問い返した。    「ひとを探してるんです。大事なお話があって…」    「ひとを?」    大輔はのぼせた頭で、腕を組んだ。    「このグラウンド、初めて、じゃないですか?」    「はい。初めてですけど」    「僕、このグラウンド、詳しいですよ。ひとを探してるんでしたら、ご一緒に探しませんか」    (大輔君、自分のことは普段は「俺」だよな…。彼女には優しげな印象を与えたいと思ってるのか)    灌二は、吹き出しそうになりながら、観察を続けている。    「…」    少女は頬に左手をあ当て、俯いて考え込んだ。    しばしあって目を上げると、か細い声で少女は言った。    「わかりました。よろしくお願いします」    少女は大輔と灌二のそれぞれの顔を見る。    (あれっ)    灌二は少女の視線に、違和感を覚えた。    (なんか僕だけ睨まれた気がするけど…)    「じゃあ、早速行きましょう」    大輔の声が弾んでいる。    (僕は、邪魔なのかな? 大輔君と二人がいいって)    灌二はやや横を向き、口をへの字に曲げた。
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