(四)

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(四)

 「ボールをわざとぶつけろって? ダメです。それはできません。野球をやる者として、絶対しちゃあいけないことです」  大輔は首を横に振った。  「無理なのは承知の上です。ぜひお願いしたいんです」  マミヤはすがるように、上目遣いで大輔を見つめる。  「松浦さんは確か、リトルリーグ時代ミチヤとバッテリーを組んでましたよね」  「ええ、まあ…。小六の時にバッテリーを組んで、全国大会で優勝しました。ミチヤとは不思議と馬が合ってね。お互いの考えてることがいつも手に取るようにわかる。長いこと野球をやってて、そんなキャッチャーはミチヤ以外に逢ったことがありません」  「ですよね。それだけ強い絆で結ばれていたところで、ぜひひと肌脱いで欲しいんです」  「何で? 特別な事情があるんですか」  「ええ」  マミヤは頷いた。  「さっき黒ずくめが市電に打球を打ちつけてきた時も、車内で話題になってましたよね。黒ずくめが高雄中学に転校予定だった中学生を殺して遺体を隠したっていう噂が、ネットで流れている」  「その被害者が、ミチヤだってあなたは思ってるんですね」  「ええ。その記事を見て、ひょっとして事実なんじゃないかと…」  「でも、ネットの噂でしょ。誰が投稿したかもわからないような」  「まあ、そうですが…」  「ネット上の噂なんて、全然当てになりゃしませんよ。いくらでも話、作れちゃうし」  「それは、そうですけど…」  マミヤは眼を伏せ、俯いた。  「他にも何か、思い当たる節があるんですか? 黒ずくめがミチヤを殺したかも知れないって」  「もちろん、あります」  マミヤは持っていたバッグから、グリーンのスマホを取り出した。  「ミチヤのスマホです。高雄中学の校庭の片隅に落ちていたのを、警備員さんが見つけて届けてくれました」  「へえー。スマホが落ちてたんだ」  大輔はマミヤの手の中のスマホを注意深く覗き込んだ。  灌二も引き込まれるように、注視する。  「サインペンか何かで、文字が書いてありますね。えむ、あい、しい、けい、いい、わい。Mickeyですね」  「ミッキーマウスのミッキーと同じですね」  灌二が呟く。  「Mickeyって、ミチヤの愛称ですか? リトル時代には聞いたことがないですが」  マミヤが、頷いた。  「ええ。そうです。我が家の中だけでの愛称です」  「そういう愛称って確かにありますよね。英語名は珍しいかもですが」  言いながら灌二が、軽く頷く。  マミヤが電源を入れる。パスコードは設定されていないようだ。  「見てください。ミチヤがいなくなった日、三月まで在籍していた私立の中学校の終業式当日に撮られた写真です」  大輔と灌二は画面を覗き込んだ。マミヤが画面のあるところを指差す。  「クラスのお友達と一緒に、ミチヤも写ってるでしょう。お友達に撮って貰ったんだと思います」  「なるほど」  マミヤの目に、僅かに涙が滲んだ。視線の先で、ミチヤが前歯を見せて笑い、Vサインを作っている。  「ほら、こんなに楽しそうな顔してるのに。このあと突然いなくなっちゃうなんてありえないです」  灌二が眉を寄せ、口をはさんだ。  「警察には届けたんですか? 捜索願を出すとか」  マミヤは頷いた。  「もちろん出しました。でも、真剣に取り上げて貰えなくて…。転校が決まったのはいいが新たな環境について行けるかどうか不安で、一時的に家出しちゃう子は結構いる。ミチヤもそんなところで、じきに戻って来るだろうって言われて」  「えーっ。そりゃ随分冷たいですね」  驚く灌二の前で、マミヤはスマホの写真の背景を拡大した。  「ここ、見てください」  ミチヤがクラスメートと写っている写真の背景に見える、教室の窓を指し示した。  「わっ」  大輔は仰け反った。  「あいつだ。黒ずくめだ」  そこには、黒ずくめの頭部がはっきりと写っていたのである。窓越しにミチヤたちを監視しているように見える。  「このあとは、すごいんですよ」  「何がです?」  「あの黒ずくめが、いっぱい写ってます」  マミヤが指で画面を何度か叩くと、黒ずくめの写真と思われる画像が現れた。  「これです。ミチヤが消息を絶つ直前に撮った写真、ということになります」  マミヤはスマホをさらに操作する。  「ほら、まだあります」  黒ずくめの写真は十枚ほど続く。顔だけのもの、上半身のもの、全身像、後ろ姿といろいろのアングルのものがある。  「何かの証拠を残そうとしたように見えませんか」  大輔は腕組みをした。  「なるほど。黒ずくめを追跡して、証拠写真を撮ろうとしたような意図は感じられますね」  「そう。私もそう思うんです」  マミヤは頷いた。  「黒ずくめは、どこかで人を殺した。その現場をミチヤがたまたま目撃してしまって、写真も撮られてしまった。で、警察に通報されることを恐れた黒ずくめがミチヤも殺してしまった…」  「いえ、そりゃあちょっと飛躍しすぎ。そこまでの証拠はないでしょ」  大輔は顔の前で手を振った。  「でも、ありえない話じゃないです」  「いやー。どうですかね。もしそうなら、証拠のスマホを黒ずくめは持ち去るはずでしょ」  「でも、気が動転して落としてしまったかもですよね」  灌二が首を突っ込む。  「警察には言ったんですか? この写真のこと」  「もちろん、言いました。でも、外見は黒ずくめでちょっと怪しいけど、それだけでしょ、の一言で片付けられてしまって…。全然相手にしてくれないんです」  マミヤはこらえきれないように、大粒の涙をこぼし始めた。  「お願いです。警察が捕まえて罰してくれない以上、せめて松浦さんの強烈なボールをぶつけて、黒ずくめを懲らしめてほしいんです。お願いです」  「そうは、いってもねぇ」  大輔は右掌を顔の前で振った。左手では頭を抱えている。  マミヤは両手で顔を覆い、嗚咽し始めた。  「ちょっと、待って。泣かないでよ」  大輔は腕組みし、眼を閉じた。  しばし考え込んだのち、カッと眼を開く。  「オーケー。わかった。俺がやつを、あの黒ずくめを懲らしめてやるよ」  この言葉に、マミヤは泣きやみ、顔を覆っていた指の隙間から瞳を覗かせた。  「ホントですか」  「ああ」  大輔は胸を張った。  「ただし、ボールをぶつけるのはだめだ。スポーツマンのすることじゃない」  マミヤは顔から両掌を離し、泣きはらした目を大輔に向けた。  「じゃあ、どうするんです」  「俺の一番速い球で、キリキリ舞いさせてやる。メールをみたとこ、やつは相当プライド高そうだからな。無様に尻餅つく位空振りさせて、プライドをズタズタに打ち砕いてやる。そんなら、懲らしめたことになるだろ」  「ええ。なります。なります!」  マミヤが嬉しそうに、胸の前で両掌を合わせ、握った。  「じゃあ。約束」  マミヤが右手小指を、大輔の眼の前に突き出した。  「指きり、げんまん」  「えっ」  大輔は思いながら、マミヤの小指を見つめた。ややのぼせながら、自分の右手小指を差しだした。  「指きり、げんまん。嘘ついたら、針千本、のーます」  マミヤが歌うように唱える。  「約束、果たしてくれたら試合後にお礼に来ます」  「え。また逢ってくれるの?」  「ええ。必ず」  マミヤは頷いた。  (ホント、びっくりしたなあ)  二人の会話を聞き終えた灌二は、ガクガクと震えていた。  (この子、ちょっと現実離れな、ひたすらカワイイ子なのかと思ってた…。豹変ぶりが半端じゃない)  灌二は唾を呑み込む。  (しかも、あの黒ずくめがミチヤ君を殺したって? その懲らしめのために大輔がボールをぶつけろ? ムチャクチャじゃないか)  灌二が拳を握り締めた時である。  「大輔。お前、何やってんだ。こんなトコで」  大輔は突然肩を叩かれ、振り向いた。
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