お花見日和

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 しまった。今度こそ本当に見失った。  露店のあいだを大勢の人が行き交うなか、茫然と立ちつくす。  茶髪の若い兄さんと肩がぶつかり、大きく舌打ちされる。  私はふらふらと道のわきにそれ、植え込みの石囲いの上に腰を下ろした。ごつごつしていて座り心地がいいとはいえなかったが、それでも同じように腰を下ろし、焼き鳥やらかき氷やらをぱくついている人もいる。  土ぼこりが鼻をかすめ、私はくしゃみをした。  どうも私は縁日やお祭りの屋台を心から楽しむことができない。  人混みが苦手というだけじゃない。こういう人いきれのなか、むき出しでさらされているチョコバナナやイカ焼きを見ると想像してしまうのだ。さっきの私みたいにくしゃみをふりかけてしまう人がいたかもしれないと。あるいは、小さな子どもが指の先でつっついたかもしれない。その子は、トイレに行って手を洗わなかったかもしれない。飼い主に連れられて悠々と歩いているゴールデンレトリーバーのふわふわの毛が、ひらひらと鉄板の上に舞い降りているかもしれない。「おいしいよ!」と叫ぶおじさんの汗がふりかかっているかも。あるいは、おじさんの冗談に笑い返すカップルのつばが。それらをすべてくぐりぬけたとしても、4月に宙を舞う花粉を一粒残らず避けきることは不可能だろう。(たぶん潔癖症の人は想像力が豊かなのだ。)  そういうことを5歳の子どもにもわかるように説明したら、妹はショックに目を見開いて「うそだー!!」と叫んで、走って人込みのなかに消えてしまった。  参ったなあ。そこまでおどかすつもりはなかったのに。  残り856円で乗り切るために、友だちには決して披露してこなかった持論をぶちまけてしまった。それでも陽依里が望むなら予算の許すかぎりチュロスやじゃがバターを買ってあげてもよかったし、ばかばかしいキャラクターのお面や高確率で6等の10円ガムしか当たらないくじ引きをやってもいいのだと、真っ先にフォローしておくべきだった。  ……だけどほんの少し、せっかくの休日を持っていかれた腹いせもあったかもしれない。後悔しても遅いけど。 「あれ、もしかして葉菜実ちゃん?」  ふいに名前を呼ばれて顔を上げると、同級生の美緒ちゃんが右手にりんご飴、左手にヨーヨーをぶら下げて立っていた。ひたいには、なぜか戦隊ヒーローものっぽいお面を斜めにかけている。  私の視線をたどって「ああ、これ?」といってお面を外す。 「さっきまで弟の付き添いだったんだけど、友だちを見つけて公園のほうに走り去って行っちゃったの。だったら最初からいっしょに行けって話だよね」  美緒ちゃんは私のとなりに腰を下ろし、「あ、意外と硬い」と石に座った感想をつぶやいた。同級生といってもクラス替えからまだ2週間も経っていないので、しっかり話すのはほとんどこれが初めてだ。人見知りの私は小さく息を詰める。  そんな私の緊張をよそに、美緒ちゃんはお面のゴムをびよんびよんと弾いて 「800円もするんだからもうちょっといいつくりにしてほしいよね。この輪ゴム、細くて痛い」となんの屈託もなくいう。  800円もするのか…… 「地球の未来はおれが守る!環境保全戦隊エコソルジャーレッド!!」  突然、美緒ちゃんが派手な決めポーズをとる。 「……っていうの、知らない?」 「さ、さあ? なんかクリーンなヒーローだね」 「いえてる。葉菜実ちゃんはだれかと待ち合わせ?」 「ううん。私も妹といっしょに来たんだけど……」 「なんだ、あたしといっしょじゃん。気の合う友だちに連れ去られちゃったわけね」 「ええっと、そうじゃなくて……」  私はことの顛末を美緒ちゃんに話して聞かせる。 「ええっ、いなくなったの!?」  素っとん狂な声に私はびくっとする。 「いや、それより葉菜実ちゃんは潔癖症なの!?」 「そういうわけじゃないけど」  私は自由に驚く美緒ちゃんに面食らう。 「でもこういうとろこで買い食いするなら、お店で買ったほうが安いし衛生的だよなって思う」 「そっか……現実主義なんだね」  美緒ちゃんはうなずき、食べかけのりんご飴を見つめる。 「そういう話を聞いてからだと、気になっちゃうなあ」 「あ、あくまで私の個人的な意見だから。美緒ちゃんは気にせず、心ゆくまで花見をエンジョイしてよ」 「花見か。そういえば主役の桜をぜんぜん見てなかった」  美緒ちゃんは頭上で花開くソメイヨシノを見上げる。ひらりひらりと、時々花びらが舞っている。  突然、美緒ちゃんは残りのりんご飴を口に入れると、ガリガリッとかんで一気に飲み込んだ。そして勢いよく立ち上がると、「よし、あたしも探すの手伝うよ」といった。 「えっ、いいの? 弟くんは?」 「あいつはもう来年小学生だし、友だちもいるから大丈夫でしょ。ヒヨリちゃんだっけ、特徴は?」  来年小学生ということは陽依里と同い年じゃないか?  とはいえ有り難い申し出なので、断る理由もない。 「背丈はこのぐらい」  私は胸のちょっと下あたりを手で示す。 「赤いワンピースを着てるからけっこう目立つと思う。髪は下ろしてる」 「おっけー。連絡先教えてよ。手分けして探したほうが早いからさ」 「あ、ごめん。うちはスマホは高校生になってからって決められてて……」  私はきまり悪くなってうつむく。中学生になってスマホを持っていないというのはかなり肩身が狭い。親には理解してもらえないけど。  でも美緒ちゃんは落胆した様子もなく、 「わかった。じゃあ10分後くらいに境内で会おう。大丈夫、混んでるけど端から端まで15分もかからないし。すぐ見つかるよ」  と励まして、さっそうと人込みのなかへ切りこんでいった。 「かっこいい……」  美緒ちゃんの好感度、急上昇中。
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