お花見日和

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『週末はぽかぽかと暖かく、絶好のお花見日和となるでしょう』  天気予報がそんなことをいうからいけないのだ。 「お花見行きたい! 行きたい、行きたい!」  陽依里がその気になってしまった。 「ねぇママ行こう、いいでしょー?」  台所で夕飯の支度をしていた母は、「包丁使ってるんだから危ないでしょ」と、まとわりつく陽依里を追い払った。 「いーきーたーいー」  なおも母にすがりついている妹を尻目に、私はテレビのチャンネルを換えた。  名前も知らない芸人が、先輩芸人に蹴落とされて泥沼にダイブする瞬間だった。 「ねえママ、あした行こー」 「ママは明日忙しいの」 「じゃああしたのあした! そのあしたでもいいよ!」 「そんなに行きたいならお姉ちゃんを誘いなさい」  右側頭部に熱烈な視線を感じる。  泥まみれの芸人はパニックに陥り助けを求めるが、もがけばもがくほど泥沼に足をとられて身動きできなくなる。 「ああ、そういえば宿題たくさん残ってたなあ。こりゃあ明日の夜までかかっちゃうなあ。大変だ大変だ……」  これみよがしにつぶやいてそろりそろりと自室へ退散する。 「ママー、おねーちゃん宿題たくさんあるって!」 「あら、だったら手伝ってあげれば?」  陽依里の顔がぱっと輝くのが、見ていないのにありありとわかる。 「おねーちゃん、ヒヨリもおてつだうー!!」  ずだだだだっと魚雷さながらに突進してきた妹が背中に命中。私は前方に倒れてがくしっとひざを折る。 「うう……5歳児の力、あなどれない……」  倒れた私の背中に抱き着いたまま、陽依里はけらけらと笑った。  家から徒歩15分で着く神社の桜は予報通り満開。参道には屋台がずらりと並び、大勢の花見客でにぎわっている。併設された公園にもそっちこっちに桜とブルーシートと酒と人というおそろしい混み具合。こんなところで陽依里と離れたら二度と会えないのではないか。私は不安になり、かたわらの妹の小さな手を握ろうと目線を落とした。  ……いない。すでにいない。  焦って辺りを見回すと、金魚すくいの屋台の前で陽依里が「おーい」と手を振っていた。 「おねーちゃんこっち! だめだよはぐれちゃ」  ほっと胸をなでおろす。目立つように赤いワンピースを着せてきてよかった。 「1回200円だよ」と屋台のおやじがポイとおわんを差し出す。  どうせ持って帰ったところで母に「戻してきなさい」といわれるのはわかっているのだが、陽依里は止める間もなくポイを受け取っている。 「えいっ!!」  そして一瞬のうちに、ポイは破られた。勢いあまって妹の服の袖はびしょぬれに。おやじもわずかにしぶきを受けて眉毛にきらりとしずくを光らせ、「200円ね、毎度あり」と笑顔でこっちを見る。  やれやれと思ってショルダーバッグから財布を取り出したところで、そういえば母から軍資金をもらっていなかったことに気づいた。所持金はわずか1000と56円。震える手で千円札を渡すと、おやじは少し申し訳なさそうな笑みを浮かべ、800円のおつりをよこす。 「もっかい! もっかいやる!!」  飛び跳ねる妹に、私はちらりと財布の中の現実を見せる。 「クレープもりんご飴もあきらめるっていうなら、やってもいいけど」  陽依里は「うーん」と3秒間熟考したすえに「それはいやだ」と結論した。「そうでしょう」という私の相づちも聞かずに、もう次のターゲットを探している。  ひらひらっと金魚の尾ひれのようにゆれるワンピースを、私は慌てて追いかける。
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