金の瞳

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 吸血鬼の瞳は金色だ。  なんて噂話が人の間で出回ってしまったからおちおち街も歩けない。  夜の人気のない森を散歩するのは少々味気ない。  と言っても人を襲うのが趣味というわけではない。単なる食事だ。その食事だって一月に一度できれば何も問題ない。  別に人間に恐れられていようが、生活に多少の不便があろうが、困るわけではない。ただつまらないというだけで。  そんな矢先、木々が生茂る森の地面に寝転がってる少女がいた。  深夜の森で眠ってるなんて明らかにおかしい人間だと思いつつ好奇心に負けて近寄った。  まだ十七、八くらいの美しい少女だ。白い肌に豊かな黒髪。ほっそりとした首の中には美味しくて生暖かい赤い血が通ってることだろう。 「……あなた、誰?」  じっと見つめていると不意にそう声をかけられた。いつの間にか彼女は目を覚ましていたらしい。 「見かけない顔だわ。どこからきたの?」  そっと起き上がる彼女の問いかけに言い淀む。なんて答えたらいいものだろう。 「わぁっ!」  不意に彼女は大きく腕を広げて口を開くとそう声を上げた。  突然のことに驚く私にけらけらと彼女が笑っている。 「こんな夜に一人で出歩いちゃ危ないわ。この辺って吸血鬼が出るんですって」  一頻り笑った後の彼女は声を潜めてそう言った。  それは私だ。彼女は気付いていてそんなことを言ったんだろうか。ちらりと表情を見るとにこにこと笑っていた。 「それから狼男とかゴーストとか、死神とかね! だから、夜の森は危険だって言われてるの」  彼女の呑気な様子に脱力する。  噂話なんてこんなものだろうか。全く信じていない様子だ。 「……君はその危険な森で何をしてたの?」  そう言いながら座っている彼女の隣に腰を下ろした。  特に気にした様子もなく彼女は口を開く。 「お散歩よ。夜の世界って素敵だわ。何もかもが違って見えて」  随分と詩的な表現だと笑うと彼女が言いづらそうに続ける。 「昼間は外に出ないから、比べたことなんてないんだけどね」  すくりと立ち上がった彼女の手足が真っ白で細くて折れそうだと思った。 「駆け回ったりもできないしね」  病弱。その言葉が脳裏に浮かんだ。  病に伏せてる彼女はこうして夜に時々抜け出しているんだろう。それは想像に難くないことだった。 「だから、吸血鬼や狼男やゴーストに会えないかなって思ってるの! 会えたらすごいじゃない? 私、きっと街中の人に話すわ! それでみんな聞きたがって、新聞とか、本とか、みんなみんな聞きにくるの!」  わぁわぁと一頻り騒いでから彼女がゆっくりと息をつく。 「……いないと思うんだけどね。子供に夜の森は危ないって伝えるだけの、教訓じみたお伽話だって分かってるんだけど。でも、死神くらいいそうよね。私を迎えにくるの」  そう言い終えた彼女は再び座り込んだ。少しだけ疲れた様子だった。 「ねぇ、また会える? ここでこうしてお話ししたいわ。話し相手が欲しかったの……」  勿論だと頷いてしまったのは、私も彼女と同じように話し相手が欲しかったのかもしれない。  不必要になればそのまま食べてしまってもいいし、別に突然会わなくなっても不審に思われないだろう。暇つぶしなのはお互い様だ。  それでも時間というのは厄介なもので、一晩二晩と重ねていくうちに惜しいと思った。  餌にするのは惜しい。別れが惜しい。会えなくなるのが惜しい、とそう思ってしまった。 「ああ、面白い。あなたって物知りで話が上手ね。時間があっという間だもの。朝になるのが惜しいくらい」  また会えるのが楽しみだと彼女が笑顔で言う。私も楽しみだと言って、二人で笑いあった。 「また明日ね」 「ああ、また明日」  次の日、彼女は来なかった。  二、三日彼女と会えない日が続いた。飽きたのだろう。ただの暇つぶしだったから。そう思ったがどうしても納得できず街へと降りた。  夜の街はぽつりぽつりと火が灯っているだけで人影はない。  寝静まった街の中で彼女の吐息を探すのは簡単だった。 「わざわざ来てくれたの?」  外から窓際に立つ私にベッドに横たわったままの彼女がそう言った。 「ねぇ、入らないの?」 「そうだね、君に招かれるまでは」 「紳士なのね。こんな夜中なのに」  ゆっくりと立ち上がった彼女が窓を開ける。 「いらっしゃい」  月明かりに照らされる彼女はいつもより美しく見えた。 「突然、ごめんなさい。最近、具合が悪くて」  早々にベッドに戻って座る彼女は言葉の通り具合が悪そうだった。死神が迎えにくると言うのもあながち間違いではないと思えた。 「でも、来てくれて嬉しいわ。あれがお別れだなんて寂しいものね」  別れが寂しいと言う彼女の言葉に胸が打ちぬかれた気分だった。 「私との別れを惜しいと思ってる?」 「ええ、勿論。とても楽しかったもの。別れが惜しいわ」 「私も君と一緒にいるのが楽しいよ。いつも別れが惜しいと思ってた」  彼女の白い頬に触れる。拒絶はされない。招き入れたのは彼女の方だ。 「君が私とずっと一緒にいてくれたらいいのに」 「それってとても素晴らしいわ。楽しそうね」 「色んな国を旅するんだ。狼男もゴーストもいるかもしれない」 「南の国とか北の国とか? お伽話みたい」  彼女が笑うとひんやりとした頰が震えた。  ベッドに彼女の体を押し倒して覆いかぶさる。  驚いた様子もなく受け入れられてるのが分かる。 「それから色んな時代を見て行くんだ」 「未来の世界をあなたと一緒に? 素敵ね」  首筋にかかる長い黒髪をよける。白いなだらかな皮膚に顔を埋める。 「あなたの瞳が金色だって知ってたの」  牙が当たる寸前だった。彼女の声に動きが止まる。 「でも、誰にも話してないわ。私の胸にしまい込んだまま。ねぇ、私は田舎の街娘で、病弱で夢見がちで世間知らず。夜の森で会った吸血鬼に恋をしてしまうような女の子なの」  声が震えていた。泣いている気がした。 「それから、愛する人と永遠に楽しく生きられたらって夢を見たまま死んでしまうの」 「ハッピーエンドじゃ終わらない?」 「そうね、美人は薄命だって言うもの」  人間だから。そう言われた。  怖いとは言わなかった。止めてくれとは言わなかった。  だけど、はっきりと拒絶されているのがわかった。  血くらい吸っておけばよかった。関係ないとこちら側に引きずり込んでしまえば良かった。せめて一度くらい抱いておけばよかった。  何もせずに終わってしまった。  泣きながら眠りにつく彼女を置いて暗い森へと戻った。もう二度と彼女と会うことはないだろう。  彼女が私の瞳の色を知っていたのに逃げなかった。  私の金色の瞳を受け入れてくれていた。それだけで満たされていたんだと思う。
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