旅する少年

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旅する少年

     小春日和に咲く花は 川に手を振る秋桜(あきざくら)    うす紅色のその花の 風に揺られて踊るさま  古くから伝わる歌を口ずさみながら、少年は小高い丘から村をながめている。  春のようにあたたかい風を頬に受け、ただじっと枯れはじめた草の上に腰を下ろして。  ときは陰暦でいうところの神無月。  輝く太陽が、その陽ざしで少年の栗色の髪を輝かせる。  草木染めの貫頭衣に羊の毛皮、足もとはブーツといったいでたちでは、今日はすこし汗ばむ。  これが小春日和というものか……、少年は青い空を見あげた。  鳥たちが鳴いている。  少年の名はシュロ。十八になったばかりだ。    歌にある〝秋桜〟といえど、シュロには馴染みがない。  生まれ育ったこの村には、そして〝峠〟と呼ばれるこの世界のどこにも、花はひとつも咲かないからだ。  だからこそ、春によく似た今日のような日に咲くという、秋桜を見たいと願っている。  前時代、民は不老不死が叶うとされる酒を、浴びるように呑んだ。可憐な花が開く前の、いくつもの蕾をもぎって漬けられた酒を。  それは、外見の美しさこそすべてといった風潮が蔓延していたことが原因だった。  民は酒だけではものたらず、美しい花々を数え切れないほど摘み取り、浴槽に浮かべた。   それも、毎晩。  湯浴みして、花の美しさを我がものにしようと、皆、競いあった。  民は働くことをやめ、酒に溺れ、美とは目に見えるもののみとして、追い求めた。  いつしかこの世界にある花たちは、峠から消えていた。  美を追究されなかった穀物の花こそ残ったものの、美しいと言われる花々のすべては、失われてしまったのだ。  今となってはもはや、教会のステンドグラスか学者の持つ古い書物でしか、その姿を拝むことはできない。  そして、そこに描かれた花たちに、シュロは幼い頃から親しんできた。 彼は花への憧れを、強く抱くようになっていった。  冒険者だったシュロの祖父は、若かりし日に花を求め、〝花(か)の地〟と呼ばれる国を旅したことがあった。  それはどこにあるのかも定かではない、世界の果て。  美しい花々が咲き乱れる、幻の楽園といわれるところだ。  花の地へ旅立ち、戻ってこられた者は、それまでいなかった。  民は、無事に帰路につき、ましてや貴重な花や種を持ち帰らなかったシュロの祖父の旅を、信じることはなかった。  シュロにしてみても、祖父の花の地への旅は、半信半疑だった。  けれど、数日前のこと。  シュロは亡き祖父の日記を見つけた。  日記にはさんであったものを見て、祖父の旅が偽りではなかったことを知った。 「シュロ、またここにいたのか」    村の長が近寄ってくる。 「おまえの家の羊が、私の末息子の畑で悪さをしているぞ」 「すみません……ちょっと考えごとをしていたもので。こんな小春日和には、花の地では秋桜というものが咲き乱れているのでしょうね」  シュロの言葉に、長はにんまりと笑う。 「花の地なら咲いているだろう。秋桜は、今の季節にふさわしい」 「……長。ぼくの祖父を、おぼえておいでですか?」    シュロがきけば、長は「もちろん」と返した。 「祖父の花の地への旅は、まことでした。日記から、押し花がでてきたんです。それほど古くはなさそうなものが」  長はおどろきのあまり、目を見開いた。 「なんと……押し花すら、この峠にはすでに存在し得ない」 「押し花から遺伝子を採取して、花を甦らせるために、すべて花学省に供出されたのですよね?」 「いかにも。そうか……花の地は、実際にあったのだな」 そして長は、こう告げた。 「シュロよ。おまえ、花の地へ旅立つ気ではあるまいな?」 「行ってみようと思います。祖父が見たものを、花を、この目で見たいのです」 「だがな。己に与えられた力を過信するな。時のはざまに落ちて、二度とは帰れないこともあるかもしれない」 「それは……わかっています……」    長が去ったあとも、シュロは花の地の花への、強い憧憬に襲われていた。  ――花というものを見たい。まずは、秋桜を。    シュロは目を閉じた。吹いてくる風に、心のリズムを同調させる。  ――花の地にいきたい。ぼくはいける。ぼくなら、必ず帰ってこられる。  強く念じた。場所や時間を、瞬時に移動する力を奮い起こす。    ――願わくは、今の花の地へ……。    目眩とともに、一陣の風を感じた。鳥の声は消え、無音の世界で目を見開く。  暗闇の向こうに、太陽光が見える。  ――跳べ!    軽やかな身のこなしでひとつ回転すると、シュロは着地した。  足もとには、枯れはじめた草むら。  眼前には陽ざしをきらめかせながら、大きな川がゆったりと流れている。  土手の上に、シュロはいた。    川岸に植物が生い茂り、その先端に、白やうす紅色の可憐なものがついている。    ――あれはなんだ? ここは……花の地か?    土手を下り、見知らぬ植物に駆け寄った。    それはまるで、女神のうす衣の切れ端のようだった。  白に黄色にうす紅色……それらがたおやかに、そよ風に揺れている。  静寂の中の美しさに、ため息がもれる。  あたりを見わたせば離れたところに、ひとりの少女がたたずんでいた。  黒くて長い髪を垂らし、うなだれている。  シュロは近づいてみた。 「……これは花? ここは、なんという国?」  ふり向いた少女は泣いていた。シュロがたじろぐ。 「……秋桜も知らないの? ここは、花の地よ」  少女の言葉に、シュロの胸は震えた。  祖父ゆずりの不思議な力で、憧れの国へたどりついていた。  花の地は、ほんとうに存在したのだ。  うれしさのまま、秋桜にそっと触れてみると、少女はシュロをにらんだ。 「あなた、見ない顔ね」 「峠の民だよ」 「まさか……この世の果てからきたの?」 「いや、ぼくの村では、この国こそが果てなんだよ」 「この花の地が? 不思議ね……」  少女は涙をぬぐった。 「どうして泣いているの?」  シュロがたずねると、話してくれた。 「ここの花たちは種類に関係なく、減るいっぽうなの。土地がやせてしまったから。肥料だけじゃもう無理。このままでは花が絶滅するわ。なのに、誰も真に受けてはくれなくて」  泣きくずれる少女に、シュロはやさしく問う。 「花の種は?」 「私は花守りよ。これまで採れるものはみんな、種も球根も、ちゃんと……」 「どうにかして花の命をつなごう。永遠に失くしてはいけない」  シュロが誓うように言えば、少女は首をかしげた。 「あなたは、花をたいせつに思ってくれるの?」 「そりゃそうだよ。失っては永遠に戻らないものもある。考えよう、どうするべきか。だからもう、泣かないで」  シュロの言葉に、少女は泣いた顔のまま、笑ってみせた。    美しかった。  はじめて見た花よりもなお、少女は美しく輝いている。  愛しい花を想う心が、その表情に表れていた。    シュロは歌のつづきを、心の中でつぶやいてみる。 小春日和に咲く花は 泣きし顔にて笑う者    寒き冬を前にして 春忘れじと 咲く者ぞ          旅する蝶よ聞くがいい おまえは花の虜なり    小春日和に花と逢い はるか峠を咲かせたり    秋桜を見つめながら、シュロは己の運命を悟った。  ――小春日和に花と逢い はるか峠を咲かせたり――  シュロは決意を固めた。 「種と球根を、ぼくに預けてはくれないかな。花のない峠に、必ず咲かせてみせる。花が絶滅したといったって、土地は豊かなんだ。ただ、花の種がなくなってしまっただけで」 「それなら……ねえ。私も一緒に行かせて。花を咲かせるには、私の知識も必要よ」  意思の強い瞳だった。  口もとは微笑んでいる。 「わかった。一緒にいこう、峠へ」  種や球根の入った、大きな麻袋を背負った少年が、少女の手をにぎる。 少女は話す。 「私が生まれるずっと前、峠からきた冒険者が、こう言ったそうよ。〝峠の民は、過去を反省している。それでもむやみに花を栽培せず、憧れるだけがいい。いつかそのときが訪れるまで、自然にまかせるべきだ〟って。だから種は持ち帰らずに、そっと一輪だけ、花を摘んでいったと聞くわ。〝花の地(ここ)は秘密の花園だ〟って」  冒険者とは、祖父のことに違いない……シュロは強く思う。  ――今こそ、そのとき。峠に花を……行くんだ、ふたりで!  少年はふるさとへ跳ぶ。  旅をするには絶好の、小春日和の空の下を。  秋桜が風に揺れている。                                       了
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