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最初に私が、俳優の鳥越アキラさんの忘れていった、そのルイ・ヴィトンのカバンに気がついたのは、確かユカとバイトを上がったら、一緒にどこか寄り道しようか、とかって話していた時だったから、たぶん夕方の四時前くらいだった、と思う。
だいたい、よくよく考えてみれば、いくらお店の大事なお得意さまの忘れ物だからといって、わざわざ店員にそれを家まで届けさせるのも、おかしな話なんだけどね。
「……もしもし。ジェラテリア・マッティーアです」
その依頼の電話には、私が出た。と、受話器の向こうの人物は、しばらくのあいだ何も言わずにただ黙りこんでいた。
「……もしもし?」
聞くと、やがてボソボソッとした、ひどく聞き取りにくいような声でーーその人物は、ある届け先の住所だけを、一方的にこちらに告げたのだ。
「じゃあ、よろしく」
「えっ?」
私が聞き返した時には、すでにもう、その電話は切れていた。
「……でもでもぉ。店長って、けっこう芸能人に対しては甘いとこありますよねえ」
その事情を店長に話した途端、ユカが背後から私に抱きつきながら、たっぷりと嫌味を込めてそう言った。
「いやいや、そういう訳じゃないよ」
と、苦笑いしながら店長。そんな彼の顔を、ユカが今度はまるで試すような顔で眺めてる。
「ほんとうですかぁ? じゃあ、なんです?」
「いや、だからほら……あからさまに顔出しはしてなくてもさ、やっぱりひんぱんに人前に出るのは、気後れしちゃうんじゃないの? あんな有名な俳優さんなんだからさあ」
ユカはいまだ納得していないような、それとも全てを見透かしたかのような、そんな顔をしたままでいる。
「でもさ、よかったじゃんハル! せっかくのチャンスだ、ついでに鳥越さんに、積年の思いを伝えてこい!」
そのときのユカの声があんまり大きいもんだから、私は大いに恥ずかしい思いをした。店長もまた、急にニヤニヤした顔で、サムアップしながらこっちを眺めてる。
ほんとのところは、私に雑事を押し付けるいい口実が出来た、と内心ホッとしてただけに決まってるのに。一応二人の手前、苦笑いを返しておくだけにしたけど。
……でも、確かに実際のところは、まるで違ったのだった。
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