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「それでもなにも……」
言って、羽田理津子は不機嫌そうに、また口をつぐんでしまう。
「実はね」
と右側の男性が、私に身を擦り寄せるようにしてから手で覆いを作り、突然耳元に囁いてきた。湿り気をおびた、温いような息を一瞬感じて寒気がする。
「彼女の夫……つまり、あの俳優の鳥越アキラ氏だね、が、今日の昼ごろからずっと行方が分からないでいるんだ」
「……ええっ?」
驚いて私が顔を上げると、羽田理津子は俯いたまま、不機嫌そうに何も答えないでいた。
「どうだ、ビックリしたかい? わかってくれたかな、これで我々の窮状が……」
空いた口がふさがらない、とはこのことだ。
「しかしねえ。ちょっと私には、いささかこの事態がよく、つかめなくなってきているんだなあ」
初老の男性、小堀というその人は、苦笑いしながら腕組みをすると、そのままソファに深々と体をうずめるようにもたれ込んだ。
「どうかねえ、君は。この事態は、なにか非常に錯綜しておりゃせんかね」
「……ああいや、それはむろん、私も同感です。さっきから、なんだか頭がごちゃごちゃして仕方がないんですから」
「……」
だいたいそれにしても、そもそもこの男性二人は、いったい何者なのだろうか。見た目からは、全然見当がつかない。
右側の人に限っては、おそらくギョーカイ系の人だろうと、なんとなく推測はできる。そんな匂いが、さっきからぷんぷんしてる。
一方、左側のおじいちゃんに至ってはまるでわからないのだ。
羽田理津子は、依然不機嫌そうに、二人の会話に黙って耳を傾けていた。
「確か森村さんは、旦那さんと、私よりも早く……どうだ、梅雨の終わり頃からだったか、それくらいに、東京からここに避暑に来たのだったね? 違ったかな」
おじいちゃんにそう言われて、羽田理津子は小さくうなずいた。
「その通りです」
「しかしいったいぜんたい、そんなおたくらに、何が起きたっていうんだね……」
と急に、羽田理津子の表情が鋭くなった。私にはその表情に、いやに既視感があった。テレビでよく見覚えのある、あの顔だ。
「今日の朝までは、彼とずっと一緒にいたんです。でも昼ごろから、急にその姿が見えなくなってしまって」
「うむ。それで?」
「それで、そろそろ夕飯時ですし、エルミタージュ・ドゥ・タムラのディナーも予約してましたので、ひょっとしたら小堀さんのところに伺ってはいないかと、それで尋ねにきたんです。そうしたら……」
「そうしたら!」
右側の男性が、まるで落語家か何かのように威勢よく膝を叩いた。びっくりする。
「あなた方の持ち物のこのカバンを、何故かこの子が、小堀さんの別荘であるここに、突然届けにきたってわけか」
「その通りよ」
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