お迎え恋愛

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お迎え恋愛

「お疲れ様でしたー。お先に失礼しますー」  頭を下げ、そそくさとバックヤードから出て行く二つの影。今日はこの後のために急いで仕事を終わらせた。  挨拶をする顔にはいつもの笑顔。けれどそれは無理やり浮かべるものではなく、自然と出てくる笑みだ。  仕事が終わったからということもあるけれど、やっとこの日が来たからだ。  この予定を決めてから、ずっと楽しみにしていた。  裏口をくぐり、駐輪場も通り過ぎる。  職場から少し離れたところで二人は顔を見合わせ、にぃんと口角を吊り上げた。そして腕を持ち上げ、 「「呑みの時間だー!」」 がっちりと手を握り合った。 「いやぁ、いつも以上に仕事の時間が長かったー!」 「ほんとよ。でもとにかく早く終わらせようと必死だったわ」  二人、天宮優奏と野上志織は手を離し、前へ向き直る。  進む足取りは軽く、優奏は伸びをしながら「定時であがれてよかった」と笑った。 「てかさ、しおりんと呑むの久しぶりだよね」 「そうねー。誰かさんが誰かさんといつもデートしているから、なかなか誘えなくて」 「べっ、別にデートってわけじゃ!」  伸ばしていた手を戻し、両手を振る。それに志織は自分の髪を後ろへと流して「そうなの?」と、意地の悪い顔をしながら目を細めた。 「いつも一緒にご飯食べに行っているじゃない」 「それは、その、宇津保さんが書いている小説の話が聞きたくて……」 「内容はどうであれ付き合っている人同士が一緒にご飯食べるのよ? デート以外のなにものでもないでしょ。それに、小説のうつぼさんじゃなくて、恋人の宇津保さんと一緒にいたい気持ちもあるでしょ?」  そう言う彼女はすでに勝ち誇ったような顔をしていて、優奏は何とか言い返せないかと考えるけれど、何も言い返せない。  志織の言葉は正しい。  いつものファミレスで一緒にご飯を食べることは慣れた。デートであることも変わらないだろう。けれど、仕事終わりにファミレスに行くデートと、仕事が無い日にお洒落して待ち合わせをしてご飯を食べるデートは種類が違うというか、いや、感覚が違うのは当たり前なのだけれど、そうじゃなくて。 「なんとなくさ、仕事の後に一緒にご飯食べるのが当たり前になっちゃって、デートというより日常の続き、みたいな? 変な表現かもしれないけど、ご飯を食べるのは生きてくうえで当たり前だけど楽しみだったりする、そんな感じ」  何とかこの気持ちを伝えることが出来ないかと悩みながらそう言えば、志織は「……宇津保さんとデートをするのは生活の一部ということね」と、どこか呆れたように息を吐く。  そして顔を背け、小さな声で「夫婦かっ!」とツッコミを入れたのだが、優奏には届かなかった。 「まぁそうかなー。ネットのうつぼさんの時もよくメールのやり取りとかチャットしたりしてたから、元々生活の一部だけどね」 「はいはい、まさか初っ端からこんな惚気を聞くことになるとは思わなかったわ」 「惚気じゃない!」 「うんうん仲良しだねー」 「ちょっと、しおりーん!」  遠い目をしながら適当に返す志織に優奏は縋る。  そんなやり取りも面白くて、結局二人は吹き出し、笑いながら歩を進めるのだった。 「いらっしゃいませー」 「予約をお願いしていた野上志織ですが」 「はい、少々お待ちください」  着いた先は駅近くの大きめな居酒屋で、何となく優奏は周りを見回した。  少し早い時間だが、すでに店内には人の声が響いており、意外と人気があることが分かる。  こちらです、と店員に案内された先は個室で、少し広めな部屋だ。  二人だからてっきりカウンターに通されると思っていた優奏の気持ちを見透かしたのか「予約の時に個室か選べるのよ」とショルダーバックを置き、座りながら言った。 「スマホで調べたりしたの?」 「んー、一回来たことがあってね。お酒好きの親友といつか一緒に来たいと思ってたの」 「わー! ありがとう! ちなみにおすすめとかある?」  メニュー表を取り、志織の前に置く。タッチパネルは自分の前だ。志織のおすすめをどんどん頼んでいこうと思ったのだが、なぜか彼女は苦笑しながら「全体的に美味しいから、おすすめっていうおすすめは分からないんだけど」と言い、メニュー表を開く。  その表情は決して晴れたものではないのに、どこか懐かしいものを見ているかのような瞳だった。 「ポテトサラダは美味しくないよ」 「……そっか、じゃあそれ以外だね」  もしかしたら、この店で何かあったのかもしれない。そう思ったけれど、聞くことはしなかった。  気にならないと言ったら嘘になるけれど、なんとなく触れない方がいいと思ったからだ。いつか話してくれるならいつも彼女が自分の話を聞いてくれるように、大切に聞こう。 「しおりんは何食べたい?」  少し雰囲気を変えるように、パネルをタッチしながら尋ねる。  種類別になっている内容を見るに、和洋中、様々なものがあり、何を頼もうか迷ってしまう。  酒を呑むのは決定事項、ならばおつまみになるものがいいだろう。だが、空腹時に酒を呑むのはあまりよくないため、少しくらい食べておかなくては。  まぁ、単純に腹が減っているから何か食べたいというのもあるけれど。 「んー……炒飯あたりを頼んで、あとは細々頼もっか」 「おっけー」  優奏は頷き、注文する。他には餃子や唐揚げ、互いにあれこれ言っていき、取り敢えず落ち着いたところでまず一杯目の酒を選ぶことになったが、悩むことなく二人は同じ酒の名を口にした。 「「生ビール」」 「んで? 宇津保さんと上手くいってるのは分かったんだけど、ぶっちゃけどうなの?」  適度に腹が満たされ、あとは呑みながら食べるといったところで志織は二杯目のジョッキを置きながら優奏に聞いた。 「ぶっちゃけって?」  逆に優奏はジョッキを持ち、口をつける。こちらは三杯目だ。 「ネットのうつぼさんと、上司の宇津保さん。同じ人物だったわけだけど、何か思うところないのかなーって」 「うーん。そうだなぁ。仕事中の宇津保さんはネットのうつぼさんと同一人物だと全く思えないけど、一緒にいたらところどころネットのうつぼさんだと分かる部分があるんだよね」 「どんな部分?」 「考え方とかかな」  彼と小説の話をすることは多い。それは彼が書く小説だけではなく、それこそ東雲が書いた小説とか、他の人が書いた小説の話もする。  意見がぶつかり合うこともあるけれど、感想なんて人それぞれだ。だが、『あー、その考えうつぼさんっぽい』と思うときがある。  それは今まで何度もメールやチャットでやり取りをし、うつぼさんの考え方を聞いているからだ。  うつぼさんと宇津保さんは同一人物なのだから、そう思うのは当たり前なのだけれど。 「じゃあもう二人の宇津保さんに悩まされることはないんだ?」  箸を持ち、ポテトを摘んで口に入れる。  それを眺めながら再度ビールを呑み「いやぁ……」と、首を動かした。 「悩むことはないけど、驚くというか、こういうこともするんだーって思ったりもする」 「悪い意味で?」 「悪くはないけど、良くもない」  優奏はそう言い、ジョッキを置いて同じようにポテトに手を伸ばした。彼女と違い、箸は使わない。 「ネットの時は気を使ってた部分もあるのかもしれないけど、こうやって付き合うようになったらさ、結構意地悪なんだよね、宇津保さんって」 「ほー?」  志織は笑みを浮かべる。  もしかしてこれも惚気になるのだろうかと優奏は少し恥ずかしくなるも、話題を振ったのは彼女の方だ。話しても構わないだろう。 「仕事の時はさ、意地悪というより口うるさいというか、正しすぎる優等生っていうの? そんな感じじゃん」 「たしかにそうね」 「でもプライベートになると、自分のやりたいことをやる。押し通す。そこに正しさとか間違いとかないんだよ。いや、本気で嫌がればやめるだろうし、常識外れすぎることはしないんだけど、わざとこっちを困らせたりはするんだよね」  彼との時間を思い出す。  楽しさ、嬉しさ、くすぐったさ、けれどそれと同時に恥ずかしさも感じる。  恋人同士だ、手を繋ぐのはいい。恥ずかしいけれど。  向かい合わせじゃなくて隣同士で座るのもいい。恥ずかしいけれど。  でもファミレスでキスをするのはいかがなものかと思う。 「たちが悪いのはさ、私が困ったり恥ずかしがっている気持ちを理解してるのに、その気持ちになることを理解出来ない時があるところ。だって聞いて? 駅で人とぶつかりそうになって肩を抱き寄せてくれたんだけど、そのまま離してくれなかったの。恥ずかしいから手を繋ぐので勘弁してくださいって言ってんのに『今日はこれがいい』だよ!? 人目があるって離れようとしても『恋人同士ってわかるだけだから』って笑うの! びっくりしない!?」  思い出した恥ずかしさを逃がそうとまたビールを煽る。  話を聞いていた志織は「気持ちに素直ね~」と苦笑した。 「あれね。宇津保さんはオープンかクローズかしかないのね。気持ちを隠すなら徹底的に隠して、もう隠すことがない今は自分の中にある愛を全て注ぐ。不器用な人っぽーい」 「もうちょっとバランスよくして欲しいところです……」  小さく溜息をつけば、「互いに振り回されてるわねー」と苦笑からケラケラと乾いた笑いに変わった。 「それ、付き合うことになった次の日に似たようなこと宇津保さんに言われた。でも、振り回されてるのは私の方じゃない?」 「そんなことないわよ。自分の正体を隠していた頃はかなり振り回されてる状態だっただろうし、今だってきっと優奏ちゃんの言葉や行動に振り回されてるわよ」 「えー……我侭とか言わないようにしてるんだけど」 「それが逆に振り回してるのかも」  志織はジョッキを持ち上げ残りのビールを呑み干す。それに優奏は首を傾げた。 「どういうこと?」 「じれったいってこと」 「じれったい……?」  何がどうじれったいのか。分からずに眉を寄せれば志織はまた笑い、「彼氏に聞いてみなさいな」とジョッキを置く。  どういうことか分からないが、空っぽになったそれを見た優奏は、まだ何か呑む? と聞こうとしたところで、何かが振動するような音が個室に響いた。  互いに数回瞬きをしてから周りを見る。 少ししてからそれはスマホのバイブの音だと気付き、それぞれがバッグの中を漁ってスマホを確認する。  優奏のスマホは暗い画面のままだ。どうやら彼女のスマホが鳴っているらしい。  顔を上げて志織を見れば、 「しおりん、大丈夫?」  眉を寄せ、少しだけ唇を尖らせた顔。  まるで子供がいじけたような、はたまた大人が怒られた時のような、そんな表情。  あまり見ないそれに声を掛ければ、彼女は無言でスマホをタップする。するとバイブは止まった。そしてそのままカバンに仕舞う。 「電話じゃないの?」 「あー、まぁ気にしないで」  顔の前でひらひら手を振る。  そこに笑みはあるものの、どこか怖い。 (怒ってる、わけじゃなさそうだけど)  ここで本当に怒っていて、全て隠したいことなら、仕事の時のような完璧な笑顔を作るだろう。それこそ自分を守るバリアのような。  けれどこれは違う。隠し切れない、零れ落ちる感情。  それがどういうものなのか分からないけれど、こういう子供っぽい志織は初めて見た。 「んーと、取り敢えずもう一杯なんか呑む?」  聞けば何か話してくれるだろうか。もしかしたらこの店を知っている理由も一緒に話してくれるかもしれない。  少しでも話しやすくなるよう、また何か呑みながらと思い、そう聞くと「呑むー」と志織は頷く。そして酒を決めるためメニュー表を広げようとすれば。 ――――ブブブブブブ。  再び響くバイブの音。  志織はピタリと止まり、ニッコリと笑みを浮かべたまま、またカバンからスマホを取り、タップする。音が止む。だがすぐにまた振動する。 「で、出た方がいいんじゃ、ないかな?」  職場からの電話ならきっと出ている。実家からなら『また後で』と一言いえばすむ話だ。それともそれ以外の? まさかストーカーとか? 「…………」 「しおりん」  笑顔を消し、スマホを睨みつける志織の名前を呼ぶ。  いや違う。もしそういう嫌がらせの電話とかなら、きっとこんな顔はしない。 「私のこと気にしなくて大丈夫だから、出ておいで」 「……ごめん」  そう言い、立ち上がる。  そんな彼女に優奏は「なんもよー」と返して見送った。  少しは彼女みたいに優しく言えただろうか? 「…………」  止まらないバイブ。そして数字の羅列ではなく表示されている名前。  志織は大きく溜息をついて、先程からタップしている方とは逆の方をタップして耳にあてた。 『もしも、』 「今日、優奏ちゃんと呑む予定だから電話してくるなって言ったわよね?」  彼の声を聞かずに言う。  怒っていることは隠さない。隠す必要もない。そういう間柄ではない。  それを相手も分かっているのか、特に気にした様子もなく『まぁ言われたけど、心配になってさ』と、謝罪もなく続けた。 『女の子二人で呑んでたらナンパとかされてない? 大丈夫?』 「個室だから心配御無用です」 『悪酔いは?』 「そんなヘマしません」 『てかさ、』 「なに?」 『相手、本当に天宮ちゃん?』  そう聞かれた瞬間、志織は通話を切ろうとすれば『切んなよ! 頼むから切んな!』と焦った声が。  それに再度、今度は怒りを納めるよう溜息をついて「あんたねぇ」と空いている方の腕を組んだ。 「何で私が男と呑まなきゃいけないのよ」 『分かんねぇじゃん。いつ何があるか。気に入った男が出来たっておかしくないし』 「さすがは売れっ子作家様。大層な想像力で」 『本気で言ってんだって』  少し低く言う彼に、志織はまた唇を尖らせる。  いま彼がどんな顔をして、どんな瞳をしているのか想像出来て悔しい。でもより悔しいのは、そんな彼を「馬鹿じゃないの」と一蹴できないことだ。 「相手は本当に優奏ちゃんだから」  少し小さめな声。それに『ほんと?』と返す、同じくらい小さい声。 「そこまで疑うなら写メでも送る?」 『いや、そこまでさせるのはね』 「確認の電話はしてくるのに?」 『俺らの繋がりは電話だろ?』  それとも、 『迎えに行っていいわけ?』 「来んな」  即答かつ一刀両断。 『へーへー、そう言うと思った』  きっと彼はいま苦笑している。答えは分かっているだろうに、わざわざ聞くなんて女みたいと思いつつも、悪くないと思っている自分も確かにいて、志織は「でも、」と言った。  これは気まぐれ。酒が入っているから、少し気分がいいから、少しくらい良いかと思っただけ。 「電車下りてから、家に着くまでの帰り道くらい、電話繋げててやっても、いい、かな」 『…………』  広がったのは無音。  それがたとえ一秒であったとしても耐えられなかった。 「あー、うそ。冗談。なんでもない。適当言っただけ。忘れて」  顔が熱いというよりも、胸がざわつく。  恥ずかしさよりも、やってしまった感の方が大きい。 「じゃあ、切るわよ」  そうスマホから耳を離そうとすると、『待ってる』と優しい声が先程の無音を消し去った。 『何時になってもいいから。そっちから電話するの嫌ならメッセージ送って』 「…………」 『待ってるから。気ぃ使ったりすんなよ。逃げるのはいいけど、俺のこと気遣うのはナシな』 「……逃げないわよ」 『んじゃ、天宮ちゃんと楽しんで』 「ん」  頷き、今度こそ耳からスマホを離し、通話を切る。  待ってるって言ったくせに、逃げてもいいと言う。  それは彼の優しさだ。  待ってる――電話を掛けやすいように。  逃げてもいい――掛けたくなくなったならそれでもいい。 「……そーゆーところも嫌いよ。東雲祐悟」  スマホを顎に当て、壁に寄りかかってまた溜息をついた。 (しおりん、大丈夫かな)  優奏は両手で頬杖をつきながら出て行った志織を心配していた。  電話に出るよう促したけれど、もしそれで変なことになっていたらどうしよう。でも、もしそうなるような相手なら促したところで電話には出ないだろうし、着信拒否だって出来る。 (誰なんだろ、相手)  彼女は自分のことを多くは語らない。だが何も教えてくれないわけではなく、話したいことは話してくれるし、遠慮なく冷たい言葉を投げかけてくることもある。  優しくて、強くて、でもどこか臆病なのかなと思っている。  志織の強さは、強がりの強さでもあると優奏は感じていた。 「なんともないといいんだけど……」  はぁ、と大きく息を吐けば、またバイブの音が響いて飛び上がった。  何かと思えば今度は自分のスマホがテーブルの上で振動している。画面を覗き込めば『宇津保さん』と表示されていた。 「宇津保さん?」  一体どうしたのだろうと、一度おしぼりで手を拭いてから「もしもし?」と電話に出た。 『呑んでるところごめん。いま大丈夫?』 「大丈夫だけど、どうしたの?」  何か仕事で失敗でもしただろうか。最悪のパターンも考え、不安げに聞けば『仕事の話じゃないから』と笑われた。 『今日は野上さんと呑むって聞いてたけど、女性二人で呑んでたら変な奴に絡まれてないかやっぱり心配になった』  宇津保の言葉に優奏は「なるほど」と頷いた。  彼が心配性なのはもう百も承知。  今回二人で呑むことだって不安そうにしていたけれど、親友と呑む時間を邪魔したくはなかったのだろう。「分かった」と頷き、何かあったらすぐ連絡するようにと言われていた。  だがまさか何もないのに彼から掛けてくるとは、よほど心配だったのだろう。なんせ相手はあのべっぴんさんだ。優奏が一人で呑むのとはわけが違う。 「大丈夫大丈夫」  優奏は宇津保の心配を消すよう、笑いながら返した。 「しおりんが予約の時に個室にしといてくれたし」 『騒いでる人とかいない?』 「いないよ。まぁ、私たちも喋り続けてたから気付いてないだけかもだけど」 『酒のペースは?』 「呑みすぎてません。声だってしっかりしてるでしょ?」 『何杯目?』  そう聞かれ、目の前にあるジョッキを見る。  その大きさは小ではない。大だ。しかも三杯目。決して少なくはない。  宇津保が心配性なのを知っているように、彼もまた優奏が酒好きなのを知っている。だからこそ聞いているのだろう。  呑み過ぎないようにとも、口すっぱく言われた。 「び、ビールを少々」  先程とは違う種類の笑いを添えて返せば再度『何杯目?』と強く聞かれる。ここでカクテルを二杯とか言っても信じてもらえないに違いない。  うつぼさんとチャットをしている時にも、今日のお供は日本酒一升瓶です! と元気良くキーボードを叩いていたのだから。 「……三杯目です」  ちなみにこの後はウイスキーも呑もうかと思っていましたとは言えない。 『大ジョッキですね?』 「……大ジョッキです」  見透かされているそれに小さくなれば、やはり溜息が聞こえた。 『また水のようにビール呑んだな。優奏はアルコールに慣れてるだけで、ザルではないんだからゆっくり呑むようにって言っただろ』 「で、でも、ほら! 楽しい時は呑みたいし、缶じゃないし、呑まなきゃ勿体ないじゃん!」 『ゆーかーなー』  なんとか許してもらおうと言い訳をするも、低い声で名前を呼ばれ「すみませんっ」と頭を下げた。 「潰れない! 潰れないと約束する! でももう一杯! もう一杯だけ呑ませて!」  沢山の種類の酒を一気に呑んだら悪酔いしやすい。だからウイスキーは諦めるが、せめてビールをもう一杯だけ!  全ては口に出さず、もう一杯とだけお願いをすれば『分かった』と諦めた宇津保の声が。しかしその後にも言葉が続いた。 『じゃあ呑み終わったら迎えに行く』  それは優奏が何度も断った台詞だ。  すぐさま断ろうと思ったが『先に約束を破ったのは優奏だから』と言われる。 『それに、酔っ払った彼女を放っておくような彼氏じゃないんで』 「いや、でも、何時になるか分からないし」 『いいよ。終わったら電話して』 「でも……」  一緒に呑んで帰りに送ってもらうのなら分かるけれど、わざわざ迎えに来てもらうなんて申し訳ない。  なんとか断れないかと考えていれば、そんな優奏もお見通しだと宇津保はある提案した。 『さっき、カーテンを閉めようとしたら満月が綺麗だった』  だから。 『その満月を一緒に見ながら、お散歩デートしよう』  その声は優しくて、甘くて。優奏は空いているもう片方の手で顔面を覆った。  なんだそれ、なんだそれ、なんだそれは! 「……うん」  頷くしかないではないか! 『じゃあ連絡待ってるから。またあとで』  野上さんによろしく、と最後付け足し、通話が切れた。 「……あーもー」  優奏はゆっくりとスマホから耳を離す。そして顔を覆ったまま横に傾き、頭を壁にぶつけた。  頬が熱いのはアルコールのせいではない。 (なんでそんな卑怯な手が思いつくわけ!)  最後の一杯はビールじゃなくお冷にして頭からかけたい気分だ。 「優奏ちゃん、大丈夫?」 「わっ、あっ、しおりん! おかえり!」  いつの間に戻ってきたのだろう、志織の声が聞こえ、手を顔から離し身体を戻す。 「なんか話し声が聞こえたから終わるまで待ってたんだけど、宇津保さん?」  聞きながら席に着く志織の手にはスマホがあり、彼女はそれをバッグに仕舞うことなくテーブルの上に置いた。  優奏も同じようにテーブルに置きながら「う、うん。宇津保さん」と返す。 「宇津保さん、何だって?」 「しおりんによろしくって」 「それだけ?」 「……迎えに来る、みたいな感じ」  この後、お散歩デートらしいです、なんて死んでも言えない。  これだけでもからかわれそうなのに、と思ったが、志織は「そっかー」とだけ言い、頬杖をついて暗い画面のスマホに視線を向けている。 「あんまり遅くなったら悪いわね」 「で、でも、今日はしおりん優先だからっ」 「別に気にしなくていいわよ」  クスクス笑い、そしてスマホから優奏へ視線が移る。 「じゃあもう一杯だけ呑んだら帰ろっか」  その表情は柔らかくて、優しい時の彼女の顔だ。  本当はその一杯を呑みながら志織の話を聞こうと思ったのだけれど、優奏はやめておこうと思った。  電話の相手も内容も知らない。電話が掛かってきても切るくせに、着信拒否していない理由も。  聞かれないと話せないこともある。でも聞くのはきっと今日じゃない。 「うん」  優奏も微笑み、頷いた。 「ねぇしおりん」 「ん?」 「また一緒に呑もうね」  でも、いつか彼女の方から話してくれますように。 「……うん、よろしくね」  多分彼女にその気持ちは、伝わった。 【お迎え恋愛】 (皆さん、今日も月が綺麗ですね)
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