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三
悟史が一人暮らしを始めてから、もう半年が経とうとしているが、思ったよりも気軽で快適な暮らしだった。
身の回りのこともさほど苦ではない。
洗濯は洗って干すより一気に終わらせることにしており、コインランドリーで二日分の洗濯物を洗うことにしていた。
この日の夕方、乾燥まで終了したことを確認し、持参した袋に戻しているとスマホの着信音が鳴った。
ディスプレイに映し出された名は「怜衣」。
昔付き合っていた彼女だった。
連絡先をまだそのままにしていたのだ。
多少驚きながらも、今頃なんの用事だろうと思いつつ応答すると、
「あ、悟史。私……怜衣」
変わらない声だった。少しトーンが低めで語尾が少しかすれるところがある。
「怜衣……」
「元気? 変わりない?」
「ああ」
「そう、良かった……」
彼女は今、悟史と同じ市内の会社で働いていると言い、しばし互いに近況を語り合った――。
五年間の出来事がたった数分で語られた後、怜衣はようやく用件を切り出した。
「あのね、今度会えないかな」
「え? 」
「私ね、もうすぐ結婚するの」
「結婚……」
今年でお互い二十三になる。
女性にとっては適齢期だろう。
「そっか、おめでとう」
「ありがとう」
怜衣は昔から感情をあまり表に出さなかったが、今もまるで台本を読み上げたような答えかたをした。
――結婚を決めたのに、会いたいってどういうことだ。
違和感を覚える。
「それなら今さら、会うこともないと思うけど」
すぐそばの椅子にゆっくり腰を下ろした。
静まりかえった空間にみしっと軋む音が響く。
「うん、そうなんだけど。結婚する前に一度、ちゃんと会っておきたかったの。だって私たち、別れかたがなんか曖昧だったから」
お互いに別れようと言って別れたわけではなかった。
悟史のほうが彼女より自分の時間を優先するようになり、だんだんデートにも誘わなくなってくると、彼女のほうからも次第に連絡をして来なくなった。そのうち校内で顔を合わせても挨拶程度になり、二人きりで会うこともなくなったのだ。
「別に喧嘩別れしたわけじゃないだろ。自然な成り行きだと思ってたよ」
「だって私、ずっと意地張ってたから」
「え?」
「結婚なんて本当は嘘」
「え?」
「プロポーズはされたけど、まだ返事してない。だって私まだ……」
彼女がなにが言いたいのかわからなかった。
「あれからいろんな人と付き合ったけど、そのたびに私、悟史のことばかり考えてた。連絡しなかったのは、悟史からの別れの言葉を聞きたくなかったから。それに私にもプライドがあったし、離れて行く人を追いかけるなんて恥ずかしくて出来なかったし」
「怜衣」
「でも会いたいの、私もうあの頃の私じゃない。今なら自信を持ってあなたに会える」
その言葉に、悟史は僅かに心が揺れた。
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