おさんぽ。

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 勇ましいマーチの音色で、私は目を覚ました。  ぶるぶる震えながらスマホから流れているその曲は、私が昔大好きだった映画で流れていたものだ。勇敢な戦士が、心を失って黒く染まった悪の化身達をばったばったと薙ぎ倒すシーンで流れていたものである。――あの映画をまた見たいものだ。残念ながら、この小さな町にはレンタルショップというものがない。  スマホのアラームを止めて、うーん、と伸びをする。子供の頃から寝起きは悪い方ではない。それでも、昨日の夜ほどぐっすり眠れた日はなかった。快眠というものは想像していたよりも素晴らしい。私はベッドから降りてカーテンを開ける。――目の前に、鮮やかな青い色が映った。 「わぁぁ……!」  思わず声を上げる。この田舎町に越してきて、一人暮らしを始めてから三年。こんなに綺麗な青空を見たのは初めてかもしれない。雲ひとつない快晴、どんな絵の具でも表せないような深い深い青色。――学生時代は絵を描いていた。この空と町の素晴らしい眺めを久しぶりに絵にして見るのも悪くはないかもしれない。 「おはよー!!」  開け放った窓の向こうに、思いきり声を出した。近所迷惑になることはない。なんせ人口そのものが少ない環境である。山彦に跳ね返ってくるのは自分の声ばかり。芳しい空気を、私は胸いっぱい吸い込んだ。  久しぶりの休みだ。絵を描くのもいいが――こんな絶好の散歩日和に、外に行かないのは少々勿体無いのではないか。  私は出掛ける決意をした。通勤ではけして着れないようなミニスカートにヒールの高いブーツを履いて、上司が見たら即座に眉を跳ね上げそうな派手な赤いコートを着て。鏡の前に立ち、いつもなら濡れないような艶やかなピンクの口紅と、青くきらびやかなマスカラを塗る。自分で言うのもなんだが――今日の私は、人生最高に可愛いのではないだろうか。 ――あーあ、ヤス君に見せてあげたかったなー。今日の私、とびきり可愛いよ。きっと喜んでくれたと思うのにな。  大好きな大好きな恋人の顔を思いだし――ほんの少し、気持ちが沈んだ。彼はもういない。私を置いて一人、遠い遠い場所に行ってしまった。去年の暮れのことだ。一緒に仕事頑張ろうね、ミキと一緒なら何でも出来る気がするよ!そう言って笑っていた彼。  彼に今日の私を見せてあげたかった。――こんなに晴れやかな空、素敵な散歩日和に可愛い私と三拍子揃っているのに――彼の存在だけが、何処にもないだなんて。 ――……やめよう。せっかくのお休みだもん。私が笑ってた方が、ヤス君もきっと喜んでくれるはずだから。  私はヤス君の笑顔をそっと胸にしまうと、わざと大きな音を立てて思いきり玄関を開け放った。安アパートの階段を軽やかに降りていく。スキップさえ踏んでしまいそうなほど心が踊っている。  仕事がない日のなんと自由で満ち足りたことか!太陽の下を、私は胸を張って歩き出す。
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