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師
――あれは、まだ寒い冬のことだった。冷たい空気を搔き乱すように、村には季節外れの大嵐が訪れていた。
未曾有の荒天に多くの家が備えをしていなかったため、私は連日仕事に追われていた。人手が足りず村中の家にまじないを掛けて回っていたはずだ。
ある夜、私はずぶ濡れの彼女を見つけた。16、17辺りのうら若い少女が、コートも着ずに道端で蹲っていた。
その様子にどうにも引き付けられ、放って置くことが出来なかった。
「……一緒に来るかい?」
自身の名も忘れていた彼女を、私は連れ帰った。そして、"オーロ"と名付け弟子に採ったのだ。
****
「師匠、これで如何でしょうか?」
「ああ、いい具合だ。巧いものだな」
オーロが薬草の入った試験管を掲げるのを見て、私は満足げに頷いた。彼女が弟子になってから、早3年が経とうとしている。
オーロは黄金色の髪を持つ美しい娘だった。余りの見目の良さに、連れ帰って風呂に入れた直後は絶句したものだ。
そんな彼女は人柄も良く、私をとても慕ってくれる。おまけに魔術の飲み込みも非常に速い。すっかり私の自慢の弟子だ。最早実の娘と言っても良いほどではないかと思っている。
「そういえば師匠、次の仕事はいつでした?」
「次の満月だな」
「あの、それなんですが、今度も私にやらせてくれませんか?」
私は暫し思案したが、止める理由は無い。
「ああ……そうだな、任せよう。私は大人しく監督しておくよ」
「やった! ありがとうございます」
オーロはぱっと顔を輝かせた。
「あ、全然関係無いんですけど、師匠、見た目すごく若いですよね」
「……急にどうしたんだ」
「だってそれほど私と変わらないじゃないですか。幾つでしたっけ?」
そう言われても、歳など大して気にしていない。
「さあな……30くらいじゃないか?」
「そもそも魔導師としても若いですけどねー、何で20歳くらいの私と似たような見た目なんですか」
「そう言われてもな……」
彼女の年齢を聞いて、ふとオーロの将来が頭を過った。
「なあ、オーロ」
「はい?」
「君はこのまま魔導師になるのか?」
「え?」
オーロは目を見開いてこちらを見つめた。しかし別に、私が養育者だからと言って同じ道を行く必要など無いのだ。
「他になりたいものがあるなら、私は協力するぞ」
「今更何を言ってるんですか、師匠。私は師匠が一番大切で、大好きです。この仕事も誇りです。辞める気は全く無いですよ?」
あっさり答える純粋な瞳に、私は何故か酷く安堵したのだった。
****
あのやり取りから少し経ったが、近頃オーロは随分腕を上げていた。もう私の教えなど必要ないほどだ。そろそろ独り立ちの頃合いだった。
すでに王宮から、オーロを専属の魔導師にしたいという仰せも来ている。それも、最高位の"金"の称号でだ。私は村専属で仕える一族だから、彼女とは別れなければならなかった。
――唐突に。いや、ずっと前から。燻っていたものが実を結ぶ。
「……嫌だ」
私は己の醜い感情に気が付いた。
どうしても別れたくなかった。オーロと離れるなど、考えたくなかった。
「………どうして」
どうしてこんなに、執着してしまうのか。それは反芻する必要もなく、するりと胸に落ち込んだ。
「………嗚呼、そうか。そういうことか」
久方ぶりの感情に、乾いた笑みを浮かべる。……こんなもの、封じるべきだと。彼女を妨げることは赦されない。
私はオーロに知らせを伝えるため、足を踏み出した。
****
オーロが王宮へ旅立つ日がやって来た。私たちは粛々と荷造りをしていた。
「師匠、今までありがとうございました」
家を出ようとした時、彼女は涙に濡れた目で振り返った。愛しさが胸を灼く。同時に、途方もない罪悪感に襲われた。
こんな良い娘を、私は……
****
「……すまない。私は、君を利用していたんだ」
私は唐突に謝罪した。そうせずにはいられなかった。困惑した様子のオーロが此方を見詰める。
「どういうことですか」
彼女を心配しているようで、本当はそうではなかったのかもしれない。必要とされることに甘えていたのかもしれない。
――否、きっと、そうに違いなかった。優しくなんてない。誰より最低な奴だった。
「君には私しかいない、そのことに自惚れていた。縋っていた。自分の為だったのかもしれないんだ」
祝福すべき門出の日に、私は何てことを宣っているのだろう。恐ろしく感じるまま、下らない口弁は止まらない。
ただ相応しくない呪いを吐きながら、それでも尚何かを伝えたくなるほど、取り乱しているのかもしれなかった。
「……すまない」
とうとう黙り込む私に、そっと手が差し出された。
「師匠、それでも私は、師匠が好きです」
オーロは優しく笑ってそう言った。
「……どうして」
このような醜い私を、何故赦そうと言うのか。私は意味が分からなかった。
「師匠がくれた言葉は、貴女の想いは、確かに私を救ってくれたから。……それに、全部が嘘だった筈無いでしょう」
「……え」
「でないと、あんなに必死な顔してくれませんよ。私を拾ってくれたときの、本当に心配そうな顔」
「っしかし、」
未だ戸惑う言葉をきっぱり遮られる。
「何より、そんなに傷付いているのに、師匠が優しくない訳ないじゃないですか」
オーロはしっかりと私を見つめて、そう言った。
「――貴女は、私の尊敬する師で、大切な母親です。勿論ずっと」
「……そんな」
最早、どちらが師か分からない。いつの間にか、こんなにも立派になって。
長い間ずっと差し伸べられていた手に、漸くそっと手を重ねる。
私たちはきつく抱き合った。腕の中には確かに温もりが在り、それを愛しいと思う感情が在る。
――そこには只、美しく可愛い私の娘が居た。大切な少女が居た。
****
暖かい初夏の風が、私の側を吹き抜けた。遠くに、太陽に照らされ煌めく王宮が見える。彼処で今、オーロは働いている。
王宮に勤めてから数ヶ月、彼女はまだ一度も帰ってきていない。優秀なので手が空かないらしいと噂で聞いたが、誇らしい限りだ。
もう私は、彼女の保護者では無い。寂しいことだが、受け入れている。……私には彼女が必要だけれど、彼女はもう私を必要としない。これからは自分の力で歩んでいくのだ。
――しかし、たとえ求められていなくとも、私はオーロを愛し、待ち続けるだろう。
彼女は永遠に、可愛い私の娘なのだから。
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