147人が本棚に入れています
本棚に追加
一.闇に蠢くもの
闇に包まれた原生の森の中では、昼間には息を潜めていた獣たちの声や足音が蠢き始めるはずだったが、轟音と地響きがその野生の世界から普段の落ち着きを奪っていた。
轟音の根源には、強く白く光るブロックのようなものを片手に持ち、黒いローブを纏い口元をマスクで覆った複数の人影があった。
人影が片手のブロックを輝かせたまま、地面に置かれた金属と思われる大きな立方体に触れると、立方体は崩れ落ちるように流動し、傍の木へと這い進んで絡み付き全身に無数の細かい棘を生やして激しく振動し始め、轟音と大量の木くずが周囲に飛散し、一分も経たぬうちに木は倒され、周囲の草木を巻き込みながら地面に転って大きな地鳴りを辺りに広げた。
「おい、ミュー、交代まだかよ」
一人の男子がその作業の手を止めてつぶやくと、
「あと一時間も無いわ。もう少しお願い」
その場の皆が片耳に装着している耳あてのような物から、淡々とした女子の声が響いた。
「ちゃんとメシ残ってんか?サンドリアに食い尽くされたりしてねぇだろうな?」
「まぁ……残ってはいるわよ」
「ちっ、何も無かったらマジでぶっ殺すぞ、あの野郎……」
「それは困るわね、今すぐ吐き出すよう言って……、あぁ……申し訳ございません、予定より一日あたりおおよそ百十三メートルの遅れが出ております……」
男子の懸念に応える声が、ふいに全く異なる内容を告げ始める。
「あぁ?なんか言ったか?」
「……気にしないで作業続けて。
今、陣屋にウィドラック王がいらしたの」
「マジか!?こんな夜中にか!?」
珍しいこともあるもんだな……まぁ直接会ってもめんどくせぇからちょうど良かったか、などと考えながら、愚痴る相手が無くなった男子は軽く息をつくと作業に戻った。
森の中のやや開けた平地には、石炭灯に照らし出された大型の天幕が建てられており、闇の中をどう走って来たのか、大型の高級馬車とその護衛と思しき黒服の兵士の乗った二頭の馬がその前に停まり、馬車から降りた二つの人影が天幕へと入って行った。
「あ……れ……?
ウィドラック王!?
……と……誰だっけ、あの超美人……」
天幕の中で各々自由にくつろいでいた数十人の少年少女たちが気付き、一斉に立ち上がって姿勢を正すが、
「そのままでいい、休んでおってくれて構わぬ」
と軽く制しながら王とその後ろに付き従う女は奥へと進んで行くと、歩みの先には、正面の壁際に置かれた人の背丈ほどある大きな置き時計と、その手前の机上に広げられた地図とを交互に見ながら、こちらに背を向けて立ち、何か一人で喋り続けている真紅の髪の小柄な少女と、その両脇に立つ男子二人がいた。
「進度はどうかな、指令長」
ウィドラックが話しかけると三人は振り返り、男子二人が慌てて直立敬礼し、
「今すぐ吐き出すよう言って……」
と言いかけていた少女が、
「あぁ……申し訳ございません、予定より一日あたりおおよそ百十三メートルの遅れが出ております……」
と深く頭を下げた。
「相変わらずのようだな」
「恐れ入ります、お見苦しい所をお見せして、お恥ずかしい限りです」
微笑むウィドラックに、口元を覆うマスクをずらしながら少女は頭を上げる。
「遅れと言ったが、今どの辺りかな?」
「目標地点まで残り八キロほどです」
確認しようと歩み寄ってきたウィドラックに、机上の地図の該当地点を指し示した。
「そうか……。まぁこの程度ならば問題はあるまい。
既に三分の二近くまでは進んでいるわけだしな。
それより焦って不測の事態が起こらないよう気を付けるがいい」
「はい……ありがたきお言葉を」
そんな二人のやりとりを背後から見守っていた女が、
「ふふ……本当にいつ見てもかわいらしい指令長さんね。
何も喋らずじっとしていたらとてもそんな風には……まるでお人形さんのようだわ。
少し抱き締めさせて頂いてもよろしいかしら?」
ふいに少女の前へと歩み寄ってきて膝をつき、その小さな体に腕を絡ませた。
「え……?あ……いや……あの……」
突然のことにどうしていいかわからない様子の少女に、
「あら、驚かせてしまったかしら?
ごめんなさい、直接お話しするのは初めてでしたわね……。
でもいつもあなたのことは愛おしく見守っておりましたのよ。
わたくしはウィドラック王の第四王妃、ジュリアと申しますわ。
以後、よろしくお願い致しますわね、指令長さん」
女は抱き締める腕をゆっくりとほどくと少女の手を握り、少女の目を見詰めて微笑んだ。
「は、はい、存じております、ジュリア王妃。
今までも何度かお姿はお見かけしておりましたのですが、ご挨拶に伺う機会がございませんでしたもので……。
わたくしはミューニール・ティロワと申します。
王妃に先に名乗らせてしまうなど、とんだご無礼を……」
黒く大きな切れ長の瞳に見詰められ、目を合わせ続けられずに頭を下げたミューニールは、このような薄汚れた詰所にはまるで相応しくない、王妃の身を包む上品で高級そうな体に密着した赤と黒のドレスに、さらに何か気恥ずかしさを覚えた。
「お気になさらないで。
そのようなことは大した問題ではありませんのよ、ミューニール。
そう……あなたは……今おいくつでしたかしら?」
「あ……はい、恐れ入ります……十になります……」
第四王妃が地に着いている膝下を見詰めたまま応えるミューの頭がそっと撫でられる。
「そうでしたわね……まだ十ですのよね……。
大変でしょうけれども、これからもしっかりよろしく頼みますわ、ミューニール。
あなたの代わりは、この世に誰一人として存在しないのですから」
「は、はい、恐れ入ります……」
背筋を指先で撫でるような声でささやかれ、戸惑いながらも答えるミューだったが、しばしの後に静かに立ち上がったジュリアが、
「ですが、よろしいかしら?
あなたがどれほど特別な存在でも、一人の人間、一人の小さな女の子であることに変わりは無いのですからね、無理はしないで、しっかり食べてしっかり眠るのですよ、大きくなれませんよ、お肌にもよろしくありませんことよ、まだ十歳の育ち盛りなのですからね」
などと言うので、
「あぁ……は、はい……肝に銘じておきます……ありがたいお言葉を……」
ますます戸惑いとにかく礼を言って、一度は上げた頭を再び下げた。
「ふ、ふ、それではまたね、ご機嫌よろしく」
そんなミューに再び愛おしげな微笑みを投げかけてから向き直ったジュリアに、手元にあった椅子に腰掛け二人の様子を笑んで見詰めていたウィドラックも、
「さて、問題も無さそうだし、帰るとするか。
お前たちもジュリアの言うように無理をすること無く事を進めるがいい」
と、立ち上がった。
「はい、恐れ入ります……。
本日はわざわざご足労頂きありがたき幸せにございました」
ミューニールと共に、少し離れて直立していた二人の男子も、ウィドラックに向かって深々と一礼した。
「小さいのに堅苦しいご挨拶もしっかり覚えてらして……偉いわね。
それではね、ミューニール指令長」
「はい……ジュリア王妃もどうか心安き夜を……」
ジュリアに向かってもまた深く頭を下げるミューニールと、直立のまま待機していた少年少女たちが乱れ始めていた姿勢を再び整える中を、二人は去って行った。
しばしの静寂の後、馬車の扉が閉まり走り出す音が聞こえた途端に、ミューニールたち三人を除いた一同から一斉に大きなため息が漏れ、その場に崩れ落ちた。
「来るなら来るって先に言っててくれよなぁ、俺なんかほぼ裸だったじゃねぇか」
「俺もせっかくの肉を味わう間も無く丸呑みしちまったぜ、ったくよぉ」
普段ならこんな騒ぎをすぐに注意するミューニールだったが、ジュリアに抱き締められた感覚を思い出し、かけられた言葉を思い出し、一瞬ぼんやりしていた。
が、耳あてから届く「く、く、く……」というような、くぐもって必死に笑いを堪えているような声に我に返りマスクを口に戻し、
「何よ?何かあったの?」
と問うが、
「……ぶっ、ぶははははは!!だってなぁ!?
小さな女の子だのお肌にもよろしくありませんだの育ち盛りだの、何を普通の女子みてぇな会話してんだよ!!
あはははははは!!」
ミューニールの耳に現場の笑い声が一斉に届いた。
「っさいわね……別に私が言ったわけじゃないでしょうが……」
憮然とするミューニールの声は届いているのかいないのか、なかなか笑い声が止まないので、
「随分元気そうね。だったら次の班の分まで続けて頼むわ」
言い放つが、
「がはははは……って、オイ、冗談だろ?
悪かったよ、お互いちゃんと休もうぜ、何しろお前も、ち、小さな女……女の子、ぶふっ、なんだもんなぁ、ぶ、ははは、はははははは!!」
娯楽も少ない土木作業が長らく続いているせいか、男子たちの笑い声はしつこく続いた。
「はぁ……もういいわ……。
予定通り進めるから……サンドリア、そろそろ準備して」
ため息をつき諦めたミューニールは、振り返って少女たちの一群に声を掛けた。
現場ではひとしきり笑い終えた男子たちが作業に戻っていたが、やがて上空に体の一部が光る巨大な鳥のような影がいくつも現れ、その羽音に気付き闇夜を見上げた。
ゆっくりと羽ばたきながら降下してくる巨大な鳥の群れは、背中に翼を生やし手に光る白いブロックを持った人間たちであった。
着地と同時に、翼は溶け落ちるように降り立った者の体を覆う厚手のローブに変わり、その完了を待たずに走り寄りながら、
「あははは!!ガット!!ちゃんとメシなら残ってるぞ!!
あれはミューのかわいい冗談だ!!
それよりさっきあっちになんかすげぇでけぇ動物いたぜ!?
食えるかなぁ!?なぁ!!あれ超でかかったよなぁ!?」
「あぁ、そうなの」
大はしゃぎで感動を伝えるぼさぼさの赤髪の女子に、男子がめんどくさそうに目も合わせず答えると、彼女とは対象的に物静かそうな雰囲気の、男とも女とも見える均整のとれた顔立ちの人影が赤髪女子の背後から歩み寄り、
「ほんと、いちいち騒がないで欲しいんだよな、子供じゃなんだから……。
僕も本当はけっこう面倒なんだよ?」
と風に乱れた長い前髪を、片目を隠すように整えながら大きなため息をついた。
「だってさぁー、なんかこういう山奥って懐かしくってさぁ!!
あはははは!!」
「君は一体いくつの時からこういう山奥で野生児やってたんだい?
ったく考えられないよ……」
そのやり取りに加わることも無く、
「……まぁとにかく後は任せたからな。
おし、お前ら帰るぞ!」
号令をかける男子の声に、作業をしていた者たちが木を削り倒す流動物から手を離し、辺りは暗闇の密林に大きな金属の立方体や球体が点在する奇妙な光景となった。
さらに彼らの纏っていたローブが瞬時に体にまとわり付くように縮むと同時に、背中に大きな翼を構築して羽ばたき始め、
「んじゃ、おつかれ」
「頑張ってね、サンねぇちゃん」
声を残して上昇するとあっという間に闇夜の中へと飛び去って行った。
「おぅっ!まかせとけっ!!予定の倍は進むぜっ!!」
ぼさぼさ赤髪のサンねぇちゃんが大声で答える脇を抜け、他の者たちはそれぞれに持ち場へと歩き出した。
最初のコメントを投稿しよう!