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「じゃあ、行くか」
顔は笑ってるのに目が全く笑ってねぇんだよ……くそ……どうする……。
思いながらもモンヂは連れられるまま工房区を出て長い通路に入り、やがてタカザリがノックして開いた、通路に並ぶ扉の一つへと足を踏み入れた。背後で鍵の掛かる音を聞きながら正面を見ると、三人の男がモンヂとタカザリに向かって椅子に腰掛けていた。
一人は最初の石油加工房で見たような気がする、神経質そうな痩せた男で、こちらを見てはいるが目を合わせては来ない。
もう一人はその後に通り過ぎた工房で乙女のように裁縫をしていた熊のおっさん、そしてその二人の間で腕を組む大柄な髭の男が口を開いた。
「さてと……俺たちが何を聞こうとしてるのかは、お前自身がいちばんわかってることだとは思うが……」
「あぁ、ちょっとその前に、一つだけ確認させてもらっていいか?棟梁」
「あぁ……構わねぇよ」
話し始めた言葉を遮るタカザリに、棟梁は鋭い視線をモンヂから外さぬまま答える。
「お前、ダートバング出身のモンヂ・バックって言ったが……親父の名前は何だ?」
モンヂの正面に回ったタカザリが、顔を近付け目の奥を覗き込むように見据えてきた。
「は?親父?えっと……、親父は、リッヂ・バックですけど……」
なんでここで親父?と思いながらも答えるモンヂに、真偽を確かめるようにしばらくそのまま沈黙していたが、
「なるほどな……そうか、お前リッヂ・バックの息子か……。
だったらあの腕も納得だな」
と頷き、下がって三人に並んで立つタカザリ。
「え……と……親父の知り合い……ですか?」
「直接の知り合いってわけじゃねぇさ。
ダートバングなんか行ったこともねぇしな。
だが上町でも鉄鋼に関わってるもんなら、その名を知らねぇやつなんか一人もいやしねぇよ」
「マジで?親父ってそんな有名人だったのか……?」
「まぁな。
でもだいぶ前に死んじまったんだろ?
伝説の職人が若くして死んじまうなんて、世の中なんにも上手くできてねぇもんだと思ってたが、お前みたいな息子が跡を継いでるってんなら、そうでもねぇ気もしてきたな」
「いや……俺は跡を継ぐっつーか……親父の背中もまだ見えてねぇような駆け出しで……」
「その辺でいいだろう」
話がそれてきたのを棟梁が制した。
「リッヂ・バックの名だったら俺も知っている。
惜しい男を亡くしたもんだな。
だがならばなおさらのこと……。
お前がリッヂ・バックの息子、それを踏まえた上で、そしてお前も職人の端くれだと認めた上で、だ。
いいか、俺たちもこんな洞穴でモグラみてぇに暮らしちゃいるが、その職人の端くれだ。
『職人は職人を裏切らない』、そうだよな?」
ん……?どういうことだ?
ここは王直轄の新型器具の製造工場で、こいつらはその親玉なんだろ?
でもなんかこの口ぶりだと……、
「……あんたたちを……信用しても……いいってことですか……?」
いきなり殺されるようなことはねぇ、か?と期待を込めてモンヂが恐る恐る確認すると、
「お前が本当にただ純粋に職人である、というのならな。
だがそれ以外の何かとしてここに入ったというなら話は別だ。
その時はお前を上に差し出し、お前はその日のうちに誰にも知られることも無くあっさりと処刑されて、上の森の獣たちの餌にでもされるだけだ。
どうなんだ?リッヂ・バックの息子。
伝説の鉄鋼職人の息子が、まさか薄汚く秘密を嗅ぎ回り盗み出す密偵のような真似なんか、しねぇよなぁ?」
棟梁が鋭い眼光をさらに凄ませてモンヂを問い詰める。
密偵なんて言葉自体が今生まれて初めて耳にした単語であり、自分はそんなもんでは無いとは思ったが、しかし考えてみればやってることは同じなんじゃ、と気付き、どう答えたものか一瞬迷った。
が、どうせ逃げ道など無さそうだし、信用すると言っているのだからいっそ全部話した方が理解を得られるかも知れないし、だいたいあぁだこうだと嘘や理屈を重ねるのも面倒だし好きでは無い、と、意を決したモンヂは、
「……俺は……密偵とかそんなもんはよくわかんねぇけど……、ある人のために、というか、ほとんど俺の勝手なおせっかいなんだけど、ティアロロス……王が密かに作ってるとか外で噂になってる空飛ぶ新型器具とかが、どう作られてどう使われてるのかを調べてて……そしたら変な穴から落ちてここに入っちまって……」
とりあえず正直にざっくりとした流れを伝えた。
が、ざっくりし過ぎたためやはり、
「……そのある人ってのは?」
「えぇと……俺も詳しくはよくわかんねぇんだけど……なんつったらいいのかな……ダチ……?でもねぇな、一度会っただけだし……」
「わかんねぇな……もっと必要な眼目全部入れた上で順を追ってまとめて話せよ」
モンヂ以上にわからない四人を代表してタカザリが理路整然とした説明を催促する。
「あぁ……確かに……ちょっとまとめさせてくれ……。
俺も色々あり過ぎて自分がなんでここにいるのかとか思ったりするぐれぇで……」
「……密偵どころか、お前もしかしてただの馬鹿なのか?」
とタカザリが疑いの目を向け始めたので、
「えぇと最初のきっかけは……三日前だ。
工場の製品配達でガンリットに行った時に……」
頭の中でごちゃついている時系列をあわてて整えながら、モンヂはディトとの出会いからここに至るまでの経緯の一部始終を話した。
「これで全部か?
もうこれ以上、何も隠したり偽ったり言い忘れたりしてねぇな?」
「あぁ……。
もう……マジで……。
っつーか、我ながら長ぇ話だった……」
モンヂの話す間にも何度か質問をしたり、細かい突っ込みを入れながら聞いていたタカザリが確認すると、疲れ果てた様子でモンヂがため息をついて頷いた。
「なるほどな……つむぎびとにウィンハ孤児……。
まったくあの王には恐れ入るぜ、頭が下がるな。
初期研究から関わってる俺らにもそんな重要なことを隠してやがったとは……」
「え?そうなのか?」
意外そうな顔で驚くモンヂに棟梁が頷き、
「あぁ。
まずあの糸だが、俺ら四人は目に見えねぇ糸ってのは知ってんだ。
うちに持ち込まれる時は使いやすいようにその糸を目に見える普通の糸と撚り合わせてから届くがな。
この開発院は今から十四年前に、その目に見えねぇ糸が何なのか、何に応用できるのかって研究を、王自身が主導者としてやり始めたのが発端なんだ。
だが糸はトーンコトク経由で手に入れた別の大陸からの輸入品だってことだったし、糸を使って作られた器具は、最初はあの研究好きの王が面白い物ができたと趣味的に楽しんでる感じだったんだが、途中でそのウィンハ戦争が起きたりもしたんでな、恐らく敗戦の結果を踏まえて王立軍に新戦力でも作るための、新兵器として用いるんだろうとは思っていたんだが……」
「兵器?工業器具じゃねぇのか?」
「あぁ……実際見りゃあわかると思うが……、あれは確かに工業器具としても相当に使える道具だし、最初はそういう使い方も想定していたと思うんだが、その後の状況やあの王の性格からすれば、今となっては間違いなく兵器として使うつもりだろうな」
棟梁の隣の二人がその推測に深く頷いている中、
「胸糞悪ぃ話だな。
ウィンハ孤児っつったらまだ十代だろ?
そんなガキどもが戦争するための道具を作らされていたとはな……。
うちにもまだ十歳のガキがいるが、あれが戦場に出て殺し合うなんて考えたらぞっとするぜ。
ウィンハのやつらだって孤児とは言え人の子だし、今親がいねぇっつったってそいつを産んだ親はいるんだからな、ガキがその親にもらった命を懸けて戦場になんか送り込まれるもんじゃねぇ」
タカザリが憤りを隠せない様子で天井を睨む。
「じゃあ……」
どうすんだ?もう作るのやめるのか?王に逆らって……?
と聞こうとしたモンヂや、不快感をあらわにしているタカザリの思いを察し、
「だが、それでも俺たちは作り続けるしかねぇ。
作ったもんを誰が何に使うかなんてことまでは決められねぇし、そんなことまで決めるのは作り手の奢りってもんだ。
自分の作ったもんが戦争の道具になろうがそれを使うのが子供らの兵隊だろうが、そこに口は出せねぇ。
だいたい職人や技術者ってのは国だの王だのなんて世界じゃ無力なもんだ、残念だがな。
逆らって消された所で代わりはいくらでもいる。
特に学院だの王研だのが定着しているこの国ではなおさらだ。
俺らにもどうにか何かできることがねぇか考えてはみるが……」
「そういうもん……なのか……?
要は別に何もしねぇってことじゃ……」
棟梁の言葉に、なんだか物分りのいい大人の理屈のようで釈然としないモンヂに、
「だが……自分の作ってるもんがどう使われてるのか、それを知ることも、知った上でさらに精進を深めることも、職人としての腕を上げるための、魂を鍛える糧じゃねぇかと思う。
そういう意味じゃ俺たちもお前に会えて真実が知れて良かったぜ、モンヂ・バック」
少しはいい話もあるだろ、とでもいうような棟梁だったが、
「いや……んなこと言われても素直に喜べるような流れじゃねぇって……」
「俺も納得いかねぇな、このまま見て見ぬふりで今まで通りなんてのは」
ますますなんとも言えない表情のモンヂの横で、タカザリも声を荒げ始めたのを、
「まぁ落ち着け、お前ら鉄鋼職人はどうにもすぐ熱くなっちまっていけねぇな。
相手はあの王だ、うかつに動くもんじゃねぇ。
だが必ず俺らにも何かできる時が来る。
とにかく今は耐えろ。
機会を待ちつつ、これまでと変わらず仕事を続けるんだ、いいな」
と棟梁が話を締めた。
やはり釈然としないながらも沈黙する二人に棟梁は頷き、
「さてと、遅くなっちまったな。
検品もまだ済んでねぇし、もののついでだ、お前も来い。
話の礼でもねぇが、お前が知ろうとしていたその新型工業器具ってやつを見せてやる」
と立ち上がると、三人の房長と共にモンヂを引き連れ工房区へと向かった。
既に全ての工房で作業は終了しており、各房長が自分の工房に誰もいないか、片付いているかを見て回り、戻ってきて問題無いことを棟梁に伝えると棟梁は入口の扉を施錠した。
扉の横の壁沿いには、広いシートの上に今日仕上がった完成品が並べられており、
「こんな鉄の塊が一体何に使われるかなんて全く想像もつかねぇだろ。
よく見てろ」
完成品の中から抱えるほどの鋼鉄の立方体を選んだ棟梁が、
「五二一の◯三一六の◯二の◯◯一」
と表面に刻まれた番号を読み上げ、横のタカザリが手元の紙束を見ながら復唱した後に、
「咬み削るヌマネズミの歯」
と付け加えると、棟梁は頷き、右手で立方体に触れる。
と、鋼鉄の立方体はまるで高熱に溶けるように静かにゆっくりとその形状を崩し始め、地面をのたうつナメクジのような姿を見せ、さらにその頭が大きく口を開き、中には数本の太く鋭い歯が生えて蠢いた。
「うぉおぉぃっ!?なんだよこれ!?気持ち悪ぃ!!」
あまりの光景に後ずさり声を上げるモンヂの前で、副材工房長の熊男が太い木材片をそのナメクジの口元に当てると、ナメクジはその木材片に咬み付き、ばりばりという破砕音を上げながら一瞬にして粉砕するように削り尽くし、大量の木くずを吐き出しながら、またゆっくりと形状を変化させて元の立方体へと戻っていった。
「よし、合格だ。
……モンヂ・バック、これが糸を元に作られた新型工業器具、お前が知りたがっていた、糸の行き着いた先の姿だ。
まず俺の所に封書が添えられた糸が小瓶に入って届く。
封書には元材、つまりその娘曰くの『元素』、に関する内容が記された書簡が入っていて、糸と封書に同じ管理番号を振って、糸はこっちで保管、封書は隣の応用院に届ける。
すると翌朝には今度は応用院からこういう指示書が届く。
ここの管理番号の横に書かれているのが、元材名と、その元材から一つだけ選別された、その元材の持つ能力を示した記述で、つまりこの能力ってのが、その娘の言う『存在の意味』の一つということになるな。
今は応用の利便性を考慮して一つの製品に一つの能力ってことで使われてるが、本来はその元材の持つすべての能力が潜在してるし、使用できるし、その形状は使う人間のイメージ次第で微妙に違うんだ。
こんな風に」
立方体が再びぐにゃりと変形し、四本の足を生やして歩き出した。
「ティアロロスどころじゃねぇぜ、こんなもん……。
完全にまっとうな工業技術の範疇超えてんじゃねぇか……。
うーわ、また口開いてるし……気持ち悪ぃ……。
しかし確かにこりゃ……武器とか兵器とかに使いたくなるかも知んねぇな……」
恐る恐る覗き込むモンヂの前で、いくつか生物的な動きを見せた後、その鋼鉄のヌマネズミはまた静かに元の立方体に戻っていった。
「こうやって糸を鉄だの石油だのといった素材に溶かし込んで作られた製品は、糸に宿る元材のすべての能力を得て、人間が体のどこか一部ででも直接触れることで、その人間の意思で自由に形状を変えながら、潜在する能力を発現することができる。
ただしどんなに変形しても総体積は変わんねぇから、どうしてもこう、でかくなっちまうんだがな。
結局原理や根拠だけはわからないままだったが、今でもそこの基礎研究が続いているならもしかしたら王はそれを突き止めているかも知れんが、わからんな。
ちなみに指示書のこの部分は届いてすぐに切り取って俺が保管するから、俺たち四人以外が目にすることは無いし、この能力発現の検品も俺たち四人だけでやるから、他のやつらは自分たちの作ってるもんにこんな能力が宿ってるなんてこたあ、全く知らねぇ。
けっこうな集中力で、元材の能力自体をイメージできなきゃ発現しねぇから、知らないのになんとなく偶然で動いちまうってことはまず無いしな」
「うぅーん……わかんねぇ……。
鉄の塊が加熱もしてねぇのにこんなぐにゃぐにゃ動き回るって……。
すげぇな……世の中知らねぇことわかんねぇことだらけだと思ってたけど、なんかもういよいよ目の前で直接見てもわかんねぇもんが現れちまったな……」
つーかこんな小難しくて気持ち悪ぃ話、ディトになんて説明しよ……。
気持ち悪ぃのはどうにか抜きにするとしても、まず俺がまともに説明できるかわかんねぇわ、もう……。
ただでさえ衝撃の光景を目の当たりにして理解が追い付かないところに、小難しく長い理屈を一気に説明され頭を抱えるモンヂだったが、
「……あぁ、でも、じゃあ、あの噂になってる空飛ぶ道具ってのも、こういう感じの……?」
「あぁ、確かにそういう製品ももう何百と作ってきている。
鳥や虫が元材になってんだ」
「そっか……まぁとりあえずそこの謎は解けたな……いざとなったらそれだけ話そう……」
それにしても棟梁、けっこう説明好きなんだな……。
まぁ職人っつても学院出てるんだろうから、やっぱり頭いいやつってのはこう、こんな話が延々途切れもせず出続けるんだろうな……。
なんつーか……疲れる……。
ため息を付き辟易してきた様子のモンヂに気付くと、
「はは、ちょっと長くなったな。
さて、いい加減みんな待ちくたびれてるかも知れねぇが……、終わったか?」
言いながら棟梁が背後で製品を試用しながら検品作業を続けていた三人の房長を振り返ると、背負って用いるのか、革の固定ベルトの着いた小箱のような物に集まって作業をしていた。
「お前が作った金具、ここに使わせてもらってるぜ。
さすがだな、全くズレも歪みもねぇ」
「そりゃ良かった……」
笑いかけるタカザリにぼんやりと答えるモンヂに、そう言えば、と気付いた棟梁が、
「っていうかお前、確か温泉の上の通気孔から落ちてきたと言ってたな。
帰りはどうする?
お前の話じゃ滑って上れそうにねぇが、他の通気孔も都合良く蓋が外れてるとは限らねぇし、通常の出入口は剣狼が常に見張りで立ってるしな……」
「げっ、また剣狼かよ……鬱陶しいやつらだなぁ……」
クノパトの顔を思い出しさらにぐったりするモンヂに、検品を終えた石油加工房長が、
「こ、この装具を使ってみたら、ど、どうだい?ま、まさしく、そ、その用途のための製品だよ。
の、納品前だけど、い、一度使うぐらいなら、わか、わからないと思うな」
と一組のかなり厚手の手袋を差し出した。
「なるほどな、『張り付くヤーラットアカヤモリの手』か。
それならイメージもしやすいだろうし、まぁ手だけ滑らなけりゃなんとか登れるかも知れねぇな。
あとは腕力次第だが、それはまぁ……大丈夫か。
モンヂ、これはな、ヤモリの糸を使った、壁とかに張り付くことができる製品だ。
登り終えたら丸めて下に投げて返してくれりゃいい」
「すげぇな、何でもありだな……」
先ほどのナメクジ鉄塊が脳裏に焼き付いているため恐る恐る手を伸ばして受け取るが、
「大丈夫だ、使用者のイメージで形状が変わるんだから、お前が妙なもんを思い浮かべなきゃさっきみてぇのにはならねぇ。
それより一度試しといた方がいいんじゃねぇのか?」
という棟梁の勧めで、顔をしかめながらも手袋を装着し壁際へと移動する。
「で、ヤモリが壁に張り付いて移動してる姿をイメージして、その手袋がヤモリの手になったと思い込んで……って、お前すげぇな、初めて使うんじゃねぇのか?」
「と、というより、す、すごい、き、筋力だね……」
「ははは、さすがリッヂ・バックの息子だ……って、関係ねぇか」
皆が驚く中、ほぼヤモリの手と同じ形状に変形した手袋を左右交互に壁に張り付かせ、モンヂは岩壁を上っていく。
「まぁ……ヤモリなら家にいくらでもいるからな……。
なるほどね……これで滑って外れねぇために手首にこんな頑丈な留め具付けてんだな……。
ちょっと痛ぇけど、耐えられねぇほどでもねぇか」
しばらくヤモリの手で壁を上り降りしていたが、やがて地面に降り立つと、
「ありがとな、助かるぜ、じゃあ、ちょっと借りるわ」
と礼を言って頭を下げた。
「あぁ、まっとうな使い道ができて、そいつも喜んでるだろ。
さて、じゃあ、お前の歓迎会兼送別会にでも行くか」
「いいのか?今さらそんなもん……」
手袋を丸めてポケットに押し込みながら、なんならもう帰った方がいいんじゃ、と思うモンヂだったが、
「まぁあいつらは何も知らねぇんだ、お前のことは俺が適当に話してやるから、お前もそれに乗っかって何も知らねぇ顔して楽しんでくれりゃいい。
何しろみんな毎日忙しいし、出たところで車も用意してもらえねぇんじゃ街にもまともに出れやしねぇしで、ほとんど外に出てねぇから刺激に飢えてんだ。
下町の職人街の話でもして盛り上がってくれよ」
と言う棟梁に、
「そっか……まぁ……じゃあ……」
確かにこういう特殊な仕事してるやつらと話してみてぇしなぁ、と、迷いながらも頷く。
「だが調子乗って飲み過ぎんなよ?夜明け前には出た方がいいからな。
寝過ごして明日にでもたまたま王でも来て見付かったら、残念ながら獣の餌だからな」
「はは……それは勘弁だぜ」
やっぱり帰ろうかな、と思いつつも、モンヂは四人と共に工房区を出て、棟梁が扉に施錠するのを見守ると、居住区に向かった。
食堂広場に到着すると、既にテーブルには料理と酒が並べられ、その周りには今にもがっつき出しそうな勢いで作業員たちが集まり騒いでおり、待ち切れない一部の年長者はちびちびと酒をすすり始めていたが、棟梁の姿を確認するとグラスを置き、皆も静まった。
「みんな今日も一日ご苦労だったな。
今日は腕のいい鉄鋼職人が一人加わってくれたおかげで、いい仕事ができたと聞いている」
おぉっ、と、鉄鋼房の面々からモンヂへの賞賛の声が上がるが、しばらくそれを聞いた後に、棟梁が片手を挙げて制し、
「だがみんな、せっかく盛り上がってるところ悪いが、残念な知らせが一つある。
こいつはここの新人じゃねぇそうだ」
と脇のモンヂを指して言うと、どういうことだとざわめきが広がり始めた。
やっぱりバレたんじゃん……。
後ろの方の席でパノンが青ざめているが、
「こいつはなぁ、王族の若ぇ女のケツを追っかけ回してるうちに離宮に迷い込んで、森ん中で通気孔に落っこってここに迷い込んだ、下町の大馬鹿野郎なんだとよ!」
と棟梁が怒鳴って笑うと、ざわめきの質が変わり、小さな笑い声も漏れ聞こえ始めた。
その反応に満足気に頷きながら、
「だが大馬鹿野郎には違ぇねぇが、なんとあのリッヂ・バックの息子だってんだ!
ここの性質上、バレるとマズいんで明け方までにはこっそり上に帰ってもらうし、お前らもこいつが今日ここにいたことは一切秘密ってことにしてもらうが、特に鉄鋼のやつらは今日一日のこいつの腕や仕事っぷりを見たよなぁ!?
こいつはもう立派なここの一員だ、仲間だ!
そうだよなぁ!?」
一瞬の間の後、
「おぉ!!」
「リッヂ・バックの息子かよ!?
道理で腕が違うわけだぜ!!」
「女のケツ追っかけて離宮に侵入たぁ、大した野郎だな、下町もんはやることが違ぇぜ!!」
歓声や笑い声が上がると棟梁はテーブルに寄ってグラスを取り、
「よしっ!!
そんじゃ歓迎会と同時に送別会ってことになるが、手厚くもてなしてやりな!!」
号令と共に皆が一斉にグラスを合わせ、モンヂの周りは人だかりの大騒ぎとなった。
「腕はすげぇが相当馬鹿だな、お前!!」
「なんだ!?
どんだけいい女だったんだ!?
そいつは!!」
「残念だぜ!
せっかく鍛造教えてもらおうと思ってたのによぉ!!」
「いつか下町行った時はおごれよな!!」
様々な歓迎が浴びせられ、勢いで適当な返事をしながら笑い合う中、人並みをかき分けてパノンが現れる。
「まったく……タカザリさんに連れてかれるの見えた時はどうなるかと思ったけど……」
「あははは、な?なんとかなっただろ?
やっぱ職人に悪ぃやつなんかいねぇよなぁ!」
「運が良かっただけだと思うよ……」
「まぁいいじゃねぇか!
俺もとりあえず一通り片付いたし、とにかく今日は飲もうぜ!」
モンヂの言葉に、やっぱり何かやらかしに来たんだな、とため息をつき、
「そもそも本当は何しにここに来たの?」
と尋ねるが、
「あー、まぁ、そりゃいつか地元帰って来たら話してやるよ。お、ヴェレックさん!
いやぁ、悪かったな、石油どころかここのもんじゃねぇただの迷子だったのに色々教えてもらっちまって!」
パノンの質問をはぐらかすと、モンヂは人並みの中に入り皆と共に楽しげに騒ぎ出した。
その後深夜まで宴は続き、やがて多くは自分の部屋に戻ったが、一部の者たちはテーブルの上や地面に直接転がって眠っていた。
棟梁がその中からモンヂを発見して起こすと、
「あぁ…………?あぁ……」
寝ぼけつつも状況を理解したモンヂが大きく伸びをして立ち上がり、あくび混じりに棟梁と共に温泉へと歩いて行った。
脱衣所でパノンが乾かして置いていってくれたという元の服に着替え、ヤモリの手袋を装着し、おしっ、と気合を入れると棟梁に振り返り、
「一日お世話になりました!
ありがとうございました!!」
とモンヂは大きく頭を下げた。
「あぁ、気ぃ付けてさっさと帰りな。
あとまぁ……止めてもどうせ行くんだろうが……、できればその娘のいる社ってのにはもう近付くなよ。
ここと同じだ、アティアラタスかリトミルトか、どっちの獣の餌になるかって違いしかねぇ」
「うーん……はいっ!!」
「ちっ、行く気満々だな……。
……見付かんなよ。
今はキナ臭ぇ時代になっちまってるが、それもいつか必ず終わる。
そん時にお前のようなやつが必要なんだ。
時代や使い道が変わっても職人の腕そのものは変わらねぇ。
未来のために、今は自分が何やってて何作ってんのかわからなくても、作ってるもんに納得がいかなくても、腕だけは磨き続けろ。それが俺たちの道、俺たちの存在の意味、ってやつだな」
「あぁ……そうだな……っと」
また長くなりそうだったので返事をしながら壁に手を付き、手袋をヤモリの手のように変形させて登り始め、
「まぁ棟梁も元気でな!
ほんとにありがとうございました!
ダートバング来ることがあったら言ってくれよ、一杯おごるぜ」
と振り返ると、
「十年早ぇよ」
棟梁が笑って追い払うように手を振った。
岩壁を登り、落ちてきた穴の中へと入り、さすがに腕の力だけでは疲れそうだったので足先を着くが、高性能の滑り止めの効果も無くやはり全く引っ掛かることは無かった。
「すげぇな、この手袋」
そんな無摩擦の壁にも張り付き体を支えられる能力を持った手袋に、こんなもんが普通に世の中にあったらどんだけ便利になるかわかんねぇってのに、こそこそ隠れて変な兵隊の武器にしか使わねぇとはろくなもんじゃねぇな、王様なんつっても、などと毒づきながらかなりの距離を登った頃、落ちている時には全く気付かなかった横穴を発見した。
いい加減疲れたし、まぁまぁ広いし、なんか風も吹いてくるし……こっち行くか。
たぶんどっかにつながってんだろ。
あんな金網なんかその気になればいくらでも壊せるしな。
と、中腰で横穴に入り、一瞬迷いながらも手袋を外して丸め下方へと投げると、しばしの間の後に水に落ちたような小さな音が響いてきたので、頷き奥に向かって進んでいった。
横穴はかなりの距離で続いていたものの少しずつ上っていたため、やがて簡単に出口に辿り着けるかと思われたが、地上に近付くに連れて傾斜が無くなり、時折天井に小さな亀裂や隙間があって光が入るが、出口らしき例の井戸は一向に現れなかった。
いざとなったら天井壊して出るか、などと考えながらさらに進み続けていると、遠くに天井だけでなく壁からも光が漏れている箇所があり、まさかすぐ横が崖にでもなってんのかと少しぞっとなって近付き、その光を漏らす小さな亀裂を覗き込むと、遥か下方に白い人影が何人か作業をしているような姿が見えた。
白衣……?
あれ……もしかして戻ってきちまったのか?
そんな方向じゃなかった気がすんだけど、穴ん中だからわからなくなったか……?
思いながら目を凝らしていると、上半身裸の男と思われる人間が寝かされた台がその狭い視界の中に入り込んできて、台の周囲で白衣たちが話し合い始めたため、
あぁ、これもしかして病院的な何かか……?
すげぇなぁ、こんな施設まで揃ってるたぁ、さすが王直轄ってのは規模が違ぇわ。
きっと医者の腕もいいんだろうな、ツバ付けときゃ治るだろとか言わねぇんだろうな。
などと羨ましく思いながら目を離し再び進み始めると、やがて道は行き止まり、大きなため息の後に、結局無理矢理天井の亀裂を破壊しながらなんとか外へ這い出た。
「あぁ疲れた……。
っつーかどこだ?ここ……。
まぁ山の反対に進めばそのうち出るか」
と一呼吸つきながら見上げた木立の合間の空を、一瞬何か大きな二つの影が飛び去った。
「おぉっ!?なんだ!?
超でけぇ……鳥……!?」
今までに見たどんな鳥よりも遥かに大きい、まるで倉庫で鋼材にかぶせる養生シートが空を飛んでるのかと思ったほどだったが、しかし鳥にしては胴体部分に違和感というかなんというか……。
「いや……まさかあれ……鳥じゃねぇ!?
人間か!?
やべぇ!!
あれが噂のティアロロスじゃねぇのか!?
王直轄の……孤児たちの……謎の兵隊……!?
見付かったらどうなるんだ!?
やっぱり獣の餌か!?
くそっ、どうする!?
見られたか!?
どうする!?
えぇと……とにかくとりあえず……逃げ……、いや、隠れよう、隠れる方が早ぇ!!」
深い茂みの多い森の中ならば、身を隠してじっとしていた方が見付かる可能性は低いと踏んだモンヂは、慌てて近くの背の高い藪の中へ飛び込み、体を丸めて息を潜めた。
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