四.地下の職人たち

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四.地下の職人たち

夜明け前にルアの店を発ち、上町を抜ける途中で出会った意外にも親切だった巡回兵に、また離宮観光者か……行っても別に何も無いぞ……、とため息をつかれながらも教わった道を四時間近く走り抜け、離宮のものと思われる高い柵に囲まれた森に着いた頃にはすっかり明るくなっていたが、上町の道は下町と違いすべてきれいに舗装されていて走りやすく、それほど疲れたという感覚は無かった。 「いや、それにしても違和感あり過ぎだろ……。 こんな景色あるか? 有り得ねぇって……」 初めて間近で見るアティアラタス大山脈は、森を挟んでまだだいぶ遠くにあるはずなのに、非現実的なほどの圧倒的な存在感でそびえ立ち、右を見ても左を見ても空を覆い尽くし、よく倒れてこないなと思うほどの黒い巨大な岩壁のようだった。 「標高五千とか一万とか冗談だと思ってたけど、マジかもな……。 しかもこれが大陸の端から端まであってほぼ丸ごと鉱山って、全部掘るのに何千年かかんだよ、こんなもん……」 停車して自転車にまたがったまま眺める山脈は、快晴の中にも所々雲に覆われ山頂はその雲の遥か遥かさらに上、見えているのか見えていないのかもよくわからない。 ……神の背骨たぁよく言ったもんだ……っと、ぼんやり見ててもしょうがねぇ。 柵に沿った道を再び進み出し、しばらくするとふいに森が途切れ、柵に囲まれた広大な敷地の中に小さな城のような建物が見えた。 お?これが離宮か? ……って、なんかガキが駆けずり回ってんな。 ってことは……王の孤児院ってやつの方か。 さすがに王がやってるだけあって、すげぇ豪華な感じ……。 なんか……孤児だってのに俺よりいい暮らししてんじゃねぇのか……? 複雑な気分になりつつも、孤児院に用があるわけでは無いので、その子供たちの城を眺めながらさらに走ると再び柵の中は森となり、その森へと入る幅の広い道が現れた。しかし道は大きな門で閉ざされ、門の向こうですぐに折れ曲がり森の中へと消えていた。 ふぅん、これが離宮の入口ってわけか。 でも何も見えねぇし……確かに何もねぇ……。 思いつつ走ってきた道の先に視線を戻すと、向こう数十メートル程で木々の茂みに突き当り行き止まりとなっていた。 森を取り囲む柵はその奥までも延々と続いている。 ここで待ってりゃ何か起きる……ってわけねぇだろうなぁ。 まぁ、今じゃ王しか使ってねぇとか言ってたから、人はいねぇんだろうから……。 などと考えながらカトリアナやルアたちの忠告を思い出すが、 いや、まぁ、こんな森だし人もいねぇんだったら、ちょっとぐらいうろついてもわかりゃしねぇだろ、たぶん。 だいたいディトの家もそうだけど、こんなもん、誰でも気軽に入ってくれっつってるようなもんだぜ。 茂みに辿り着くと降りた自転車を引きずり込み数メートル入った辺りに寝かせ、草をかき分けてさらに奥へ進むと柵の近くに生えている木に登り始める。 木は地上からしばらく上がると太い枝が四方に大きく張り出し、その一本が柵を越えて離宮の敷地内にまで伸びており、モンヂはその枝を伝い柵を越えて飛び降りた。 秘密のなんとかってんだから、離宮自体じゃなくもっとこの森の奥の方じゃねぇかなぁ。 と歩み出すが、木々や茂みの合間には大小様々の岩が転がり、亀裂のような穴が口を開け、尖った突起だらけのその穴に落ちたら無事に済みそうも無かった。 それらを慎重に避けながら一時間近く歩いただろうか。 ふと移した視線の先に、森の中らしからぬ人工物が映った。 「なんだ……?井戸……?」 近付いてみるとそれは、直径一メートル強の穴の縁を囲む膝上ほどの高さの分厚い鋼鉄板で、その上には雨除けと思われる屋根が設けられており、屋根と鋼鉄板の隙間から何か嗅ぎ慣れた、工業的な製造現場特有の臭いが薄く漂ってくる。 確認しようと隙間に顔を突っ込むと、その井戸状の鋼鉄板には金網で蓋がされていたが、一部がはがれかけていることに気付いた。 同時に、吹き上げてくる風の中から臭いと共に金属音のような水の流れのような、人工的な音をかすかに捉える。 かなり……それっぽい……。 しかし……入るのか……?マジか……? 思いながらなんとなく金網を掴んで引っ張ると、引きちぎれる手応えを感じさせながらちょうど人が一人入れるほどに口を開けた。 うぅーん……こう都合良く開いちまったらなぁ……。 ま、慎重に行けば大丈夫、だよな、たぶんな。 ちょっと覗くだけだから、声かけたり関わったりしねぇから。 無理矢理自分を納得させるように頷くといったん隙間から頭を引っ張り出し、今度は足からゆっくりと入っていった。 穴の中は、両手を伸ばせるほどでは無いが肩幅よりはだいぶ余裕があり、突起の多い壁に手足を掛け降りていくのは容易だった。 が、進むにつれてだんだん岩肌に手応えが無くなるのを感じ始め、やがて突然全く何の取っ掛かりも無い滑らかな壁に変わったと思うと、一気にモンヂは落下し始めた。 「うぉっ!?ちょっ……!?」 慌てて周囲に掴まれる手掛かりを探してもがくが、岩肌は何やらぬめりのある湿気も帯びて滑り、モンヂの手足は虚しく空を切った。 嘘だろぉっ!?マジかよ!? ここまで来て急にこんな感じで死ぬんか!? 俺はなんかもうこんな感じか!? くそっ!!止まれ!!止まれっての!! 穴は傾斜を伴い垂直では無いものの、それでもかなりの速さが出ている。 いやだああぁあぁぁあぁあっ!! 頭の中で絶叫するモンヂだったが、突然穴が途切れて体が宙に投げ出され、次の瞬間、大きなしぶきを上げて水の中へと落下したのを感じた。 「キャーッ!!」  叫び声が聞こえ、良かった、生きてる……?とほっとすると同時に、ヤバい!!人がいる!?っつーか……。 「あっちぃーっ!!」 水だと思っていたその池のようなものが熱い湯だったと気付き、再び生命の危機を感じて慌ててもがき立ち上がると、上半身が湯の上に出た。 「なんだここ……ってか……そこまで熱くねぇじゃねぇか……風呂かなんかか……? でもなんか臭ぇし……大丈夫な水なのかこれ……?」 死んだと思ったが生きていたり、人がいるらしくてヤバかったり、水かと思ったら湯だったけど思ったより熱くなかったり、でも臭かったりと、一度に入ってくる情報が多過ぎて整理し切れず、いったん目先の湯のことに気が流れるが、 ……じゃねぇよ!人!完全に見付かったんじゃ……!? もっと重要なことに思い当たって見回すと、広い池のようになっているその湯溜まりの際に、身を縮めて怯えながらこちらを見ている人影に気付いた。 くそ、ヤベェな……どうする……って、あれ? なんか見覚えあるような無いような……。 地下の洞窟のような空間だったが、石炭灯がいくつも備え付けられていて、人の顔は確認できるほどの明るさはあった。 「……もしかしてお前、パノンか!?」 知り合いによく似たその人影に、思わず声をかけながら近付くと、人影は怯えながらもこちらを凝視し、 「え……えぇ……!? …………モ、モンヂ!? えぇ!?なんで?どうして? なんでモンヂがこんな所に……いきなり天井から降って……えぇ……? なんで!?どういうこと……?」 パノンと呼ばれた華奢な男子が、タオルで体の前半分を隠しながら、モンヂの顔と、モンヂが落ちてきた辺りの天井を交互に見る。 「あははは、まさかここへ来て知り合いに会うとはな!! ツイてんぜ!! あははは、パノンかあ、久し振りだな!!」 「い、いや、うん、久し振り……じゃなくて……えぇ? ていうか……なんでモンヂが……何やってんだ?モンヂ……。 あぁびっくりした……」 「あははは、つーか、いい歳した男子が『キャーッ』じゃねぇよ、相変わらずだな! だいたいこういうの普通、女湯でやるべき状況じゃねぇのか?」 「うるさいなぁ、あんな驚いたら誰だってそんな声ぐらい出るだろ……。 だいたいここに女なんか一人もいやしないよ……。 それよりここは外部の人間が入れるような場所じゃ……、って、そうだよ、モンヂ、天井から落ちてきたってことは、どっかから忍び込んできたんだよな? まともに正面から入ったわけじゃないよな!?」 「あ、あぁ、まぁ、そうだな」 「あぁもう、未だにこんなことばっかりやってんの!? いい歳して何やってんだよ、もう! ちょっと……とりあえず俺の部屋へ行こう! 今誰かに見られたらヤバい!早く!」 大きくため息をつき呆れながらもパノンが湯から上がり脱衣場の籠からタオルや衣服を取って走り出したので、とりあえずモンヂも後を追う。 パノンは小走りに浴場から出て通路を挟んだすぐ前の扉を開いて振り返り、周囲に人がいないことを確認すると手招きし、モンヂが入るとすぐに扉を閉めた。 室内にも石炭灯が置かれ、岩をくり抜いて作られたと思われるその空間の壁と天井、そして机と収納棚とベッドを照らしている。 「すげぇな、なんだこの部屋……けっこう広いし……。 つーか……ここって何の施設なん? こんな地下にこんな洞窟掘っちゃって、風呂とか個室まで付いてて……」 「あぁ……ここは開発院って言って、なんていうかな……王の直轄の、なんかよくわからないいろんなものを、最新技術を使って作ってる工房みたいなところなんだけど……。 っと、だからとりあえずモンヂもこれ着て。 俺のじゃちょっと小さいだろうけど、濡れてるし全部着替えといた方がいいんじゃないのか?」 話しながら体を拭き服を着て白衣を羽織ると、パノンは棚から新しい衣服と白衣を取り出してモンヂに渡した。 「おぉ、悪ぃな……ってか、工房なのになんだ?この服。 作業着じゃねぇのか?」 王直轄のなんかを作ってる工房っつったら……空を飛ぶ新型器具みてぇな、ディトの糸を使って作られてる何かの製造工場でたぶん間違いねぇ……。 でも、なんかよくわからないいろんなもんとか言ってるし、こいつは自分が何作ってるかわかってねぇのか……? などと思いながらも何気ない素振りで衣服を受け取る。 「あぁ、工房と言っても色々あるからね。 俺は石油加工房に所属してて……」 「はぁ!?石油……加工……!?」 思わずモンヂが声を上げるのを、パノンが自分の唇に指を当てて静める。 「石油ってあの……石炭に代わる超高出力、超高効率の、石炭の百倍役に立つとか言われてる伝説の燃料水のことか? しかもそれを燃料としてじゃなく加工するってのか? どんだけ特殊技術やってんだよ、ここは……」 「いや、まぁ王研ではけっこう昔から石油応用研究はやってたみたいだけどね、何しろ量が少ないらしくて、あんまり進んでないし人気も無いってだけで……」 その時、扉の外からこちらへ走ってくる足音が近付いてきて、ヤバい!どうする!?などと慌てているうちに、 「何してる、パノン!! いつまでも呑気に朝風呂してんじゃねぇ!! って……お前……誰だ!?」 怒鳴りながら白衣の男が勢い良く扉を開き、パノン以外にも見知らぬ男子がいることにすぐに気付いて、驚き眉間に皺を寄せ睨み付けた。 「ヴェレックさん……! あ……あ、あ、あの……! きょ、今日から入ることになったモンヂってやつで、昔の知り合いだったんで、ちょっと話し込んじゃって……!」 すぐバレる気がするとは思いながらも、パノンが必死に言い訳をする。 「新入りぃ? そんなのが来るなんて話は聞いちゃいねぇが……」 全く丈の合っていない白衣を身に纏った、石油加工系とは思えない筋肉質の肉体のモンヂを眺め回す男だったが、 「まぁいい、お前の知り合いだってんなら問題ねぇだろう! 後で棟梁に確認すればいい話だ。 とにかくさっさと来い! 今日は細けぇ鋳造だが量が多いぞ!! 先行ってるからな!!」 「はい!すぐ行きます!!」 パノンの返事に、モンヂをちらりと見つつ、ヴェレックはせわしなく走り去っていった。 「はぁ……危なかった……」 「あはは、あんな言い訳でどうにかなるもんだな、危ねぇ危ねぇ、ははは」 息をつくパノンだったが、当のモンヂにはどうも危機感が無い。 「はははじゃないよ……まぁこういうことになっちゃったからには、とにかくモンヂも行こう。 でも房長か棟梁が来たらすぐバレると思うから、その時はもう自分でどうにかしてくれよな……」 「あぁ、まぁ、なんとかなるんじゃね? いやぁ、工房だのおっさんの怒鳴り声だの、工場思い出してなんかすげぇ気分が乗ってきたぜ」 「本当に大丈夫かな……」 揚々と扉の外に出るモンヂを追ってパノンが扉を閉め、二人はパノンの部屋と同じような扉の並ぶ通路を走り抜けると、やがて突然に広大な空間に出た。 「うぉ……すげぇな、なんだこれ……? 広過ぎだし天井高ぇし……なんかもう普通に百人ぐらいは余裕で住める感じに……。 うわっ、なにあれ、もしかして食堂まで付いてんのか?」 走り続けながら見回すモンヂが驚きの声を上げた。 「あぁ、俺も来たばっかりの時は本当に驚いたけど、元々この辺は地面のすぐ下にこういう巨大鍾乳洞がものすごい規模で広がってるらしくて、人が掘ったのは部屋とか、工房間の通路とか、そのぐらいだって聞いてるよ」 「へぇー……鍾乳洞ねぇ」 鍾乳洞と言われてもモンヂにはよくわからなかったが、とにかくこういう洞窟のことをそう呼ぶのだろう。 しかし肝心の、天井や地面から伸びているはずの鍾乳石は、ほとんどすべてが根本から折り取られ廃棄されてしまっているらしく、洞窟の壁面はどこもかなり平らにならされていたため、モンヂの理解の助けにはなっていなかった。 「それにしても……地元初の学院入りを果たした天才がこんな洞窟で王直轄の謎の道具作りか……。 人生わかんねぇっつーか……、なぁ、学院ってどんなとこだったんだ?」 広大な空間から再び細長い通路に入ったパノンを追いながらモンヂが聞くと、 「学院は……まぁ……ほぼ上町の貴族とかしかいない世界なわけだから……、そこにダートバングなんかの下町もんが混ざったらってのは……察してくれるかな……」 パノンは表情を曇らせながら遠い目で自嘲気味に笑い、 「あとはまぁ……、俺は純粋に勉強が好きで入っただけだったんだけど、学院ってただ勉強してればいいっていう学校とは違って……、学院出た後の行き先が王立研究所か中央管理会か政府官吏、っていうのが普通だからなんだろうけど、そのための足掛かりみたいな感じでさ。 月に一度は確認試験があって点数と順位が発表されて、順位が常に高ければどこかからか直接召喚されたりするし、逆に自分からも希望の行き先を指定しやすくなるっていうんで、なんかほとんどその試験との戦いだったような気がするなぁ」 っていうかこういう感じの話、モンヂにわかるのかなぁ、と本人の顔を見ると案の定、 「ふぅーん……よくわかんねぇ世界だな……。 勉強なんて必要なもんだけ自分のために勝手にやって勝手に身に付けるもんじゃねぇのか? そんな風にいちいち点数付けて周りと比べられて無理矢理やってて、なんか役に立つもんかね」 頭のいいやつらのやることはわかんねぇな、と首を傾げるモンヂに、 「だから、上からの選別の可視化と簡易化なんだよ。 ただ俺は三年近くいたけど結局順位は好きな工業系以外は低い方だったし、国の機関で働くなんて考えて無かったから、適当な所で工業系のみ修了で卒業申請して、ダートバングに帰って講師でもやろうかなぁ、とか思ってたんだけど……。 そしたらある日突然学院長に呼ばれて、ここの棟梁が来てて、この開発院に入るよう王から直接召喚が出ている、なんて言われて、何がなんだかわからなかったけど、そんなもん断れるはずも無く、後は流れでそのまま……って感じだね……」 本当に人生ってわからないもんだよね……と、ひとりごちるパノン。 「そっかぁ……。 ……じゃあ、王がやってるっていうなら、ここってさぁ……」 少し突っ込んだことを聞こうとしたモンヂだったが、行く手を塞ぐ扉の前に辿り着き、 「もう着いたから、後でいいかな。 とにかく、何かあったら自分でなんとかしてくれよな」 とパノンが不安げにモンヂの顔を振り返った。 「あぁ……。 まぁ大丈夫だろ、工房っていうからには職人の世界なんだろうし」 「うらやましいよ、その楽天的な性格……」 言いながらパノンが厚い鋼鉄の扉を開き中へ入るのでモンヂも後に続くが、 「うおぃ!?なんだこれ!?洞窟ん中にこんなもん……!!」 入った先の広大な空間に、見上げるほどの高さにそびえ立つ、大量の金属管に装飾された巨大な寸胴の鉄の塔が目に飛び込み、立ち止まってしばし呆然と眺めた。 「石油精製塔だよ。 っていうかほら、驚いてたら怪しまれるって! こっち、俺は石油加工の後工程だから、とりあえず一緒に!」 パノンが塔より手前の、大きな炉の周りに配置された机に向かいながら手招きする。 「やっと来たかお前ら!じゃあ始めんぞ!」 苛ついた腕組みをほどいたヴェレックが号令をかけると、炉の隣に待機していた白衣の作業員が箱に入った大量の乳白色の粒をすくって、炉に乗せた細長い直方体の金型に流し込み、もう一人の男がふいごで炉に風を送り温度を上げ始めた。 モンヂが珍しそうに覗き込んでいると、粒は加熱されて下方のものからゆっくりと溶けて液状になっていった。 鋳造……だよな……。 ふぅん、まぁやり方としちゃ鉄と似たようなもんだけど、鉄よりだいぶ温度低いか。 ってか何だこの粒? 石油って水みてぇな液体って聞いてたけど……。 と、塔の横に位置する別の作業場の机を見やると、筒状の金属容器に、塔から運ばれてきた石油と思われる液体と、何種類かの液体やら粉末やらを混ぜ入れている作業員の姿が目に映った。 さらにその隣の机では、別の作業員が同じ形の容器の下方に細長い管を取り付け容器の上からねじ状の蓋を回して少しずつ押し込んでおり、下方の管の先から白い紐状の物がゆっくりと伸びるように排出されていく。 その紐を適当な長さで切断し続け容器の底まで蓋を押し切ると、今度はその紐を束ねて机の端に置かれた裁断機で細かく刻んでいく。 刻まれた白い粒が机の下に置かれた箱へばらばらと落ちていった。 なるほどねぇ……よくわかんねぇが、あれがあぁなってこうなってこうなるわけね……。 原理などは全く想像もつかないが、とにかく石油になんか混ぜると固まって、それをまた溶かしたり固めたりすんのな、とざっくり理解した所で、再び炉の上の箱に目を移すと、ヴェレックが小さなガラス瓶を持って近付いてきて、蝋で封印されたコルク栓を瓶から外し、中に入っていた何かをピンセットで丁寧に取り出した。 ピンセットにつままれた小指の先ほどの小さな木片のような物には、細い白い糸が巻かれている。 い……と……!? これか!? まさしく糸だよな!? マジか、こんないきなり……! ……いや、でもディトの糸ってのは目には見えねぇはずなんじゃ……。 つっても他にこんな状況で糸なんてあるか? どうなってやがる……。 突然遭遇した真相現物に鼓動が高鳴り全身の鳥肌が止まらないが、同時に不可解な疑問も生じ、思わず身を乗り出すモンヂに、 「はは、まぁ新入りにはわかんねぇよな。 こいつは我が開発院の秘伝秘術ってやつ、だな」 新入りはここで必ず驚くから面白ぇな、とヴェレックは得意げな顔で糸の巻かれた木片を見せながら、瓶を置いた手にもう一つのピンセットを持つと、糸の先端をつかみ木片からほどいていく。 ピンセットの先から垂れ下がり炉の熱気で時折揺れる、数十センチほどの白い糸を食い入るように見詰めるモンヂの表情に、満足気に笑い、 「これをこうして、溶かし込むのさ」 ヴェレックは糸を金型の中でわずかに沸騰する白色の液体の中へと沈めていった。 え……?溶かし込む……だけ……か? 嘘だろ、こんなもんに溶かし込むだけで何がどうなって人が空飛ぶ道具になるんだ? わけわかんねぇぞ……。 いや、この後まだ何か……? 驚いているモンヂにヴェレックは、石油製品の製造に全く無関係そうな糸などを入れる、この光景の不思議さに驚いているのだと勘違いをして、ニヤニヤしながらモンヂに近付き肩に腕を回すと耳元で、 「でもな、実はこれに何の意味があるのかってのは棟梁と房長しか知らねぇんだ。 俺らは応用院から届いた指示書の通りに作ってるだけなんでな。 はは、ビビッたか? 安心しろよ、俺もみんなも、わけわかんねぇまじないかなんかだと思ってやってんだよ、ははは!」 周囲の皆も、そういうこった、といった顔で笑ってモンヂを見ていた。 そうか……こいつらは何も知らねぇのか……。 指示書の通りっつーと、結局ここもうちの工場と同じなんだな……。 ってことは糸を溶かし込んで作られた物が空を飛ぶ道具だとかなんとかもわかってねぇ……ってことか……? パノンもそんな感じだったしな……。 と、パノンを見ると、口元を引きつらせながら妙な笑顔を浮かべていた。 モンヂの正体がいつバレるかという不安の中でも一応周りに合わせて笑っておかないと、という気持ちがあからさまに出ていて、相変わらず真面目だな、とモンヂも笑った。 「さて、こいつが今日は予備も含めて百十ある。 どんどん行くぞ!」 再びヴェレックが号令をかけ、へーい、というような気の抜けた声が皆から上がった。 いい体してんな、ならお前はこっちだ、と、炉の裏に回され石炭をくべる仕事を任されたモンヂに、周りの作業員たちが時折声をかけたり指示を出してきたり、身の上を聞いてきたりするのを適当にかわしながら、入れ替わりに次々と置かれる金型の中の液体に糸が一本ずつ溶かし込まれていく度に凝視し、何がなんだか全くわかんねぇ、と悩むモンヂだったが、作業自体は単純で単調であり卒なくこなしていた、つもりだった。が、 「火力強過ぎんぞ、常識だろうが」 と隣の若い男に注意されて、はっとする。 「なぁ、お前、なんかいまいち基礎的な用語もわかんねぇし、本当に……」 男が怪訝な顔でモンヂをじろじろと見回してきたので、 ヤベっ……えぇと……工房だとか言うんだから、たぶんあるよな、いや、絶対あるはずだ、くそっ、パノンにここのこともっとちゃんと聞いとけば良かったぜ……。 と別の場所で作業しているパノンの背中をちらりと見ながら、 「あぁ、いや、実は……何かよくわかんないんですけど、本当は俺は鉄鋼が専門で……」 鉄鋼房がどこかにあるはず、と信じながら賭けに出ると、男は大きくため息をついて、 「ちっ、なんだよ、せっかく珍しく力仕事ができそうな新入りが来たと思ったのによぉ。 おかしいと思ったぜ、やたらとガタイはいいし白衣も全然さまになってねぇし……。 おい、ヴェレ!こいつ本当は鉄鋼らしいぜ!?」 と、新しい木片を小瓶から取り出そうとしていたヴェレックを呼ぶ。 「あぁ!?そうなのか!? おい、パノン! なんで先に言わねぇんだよ!? 白衣なんか着てるからてっきりうちのもんだと思ったじゃねぇか!」 木片を小瓶に戻しながらヴェレックがパノンを見ると、パノンはびくっと背を震わせ、 「す、すみません! 作業着が無いっていうんで俺の白衣貸しちゃったんで……!」 と言い訳をしながら頭を下げた。 「ったく……まぁいい、だったら鉄鋼房だ! パノン、連れて行ってやれ! また間違えて副材工房行ったりすんじゃねぇぞ!」 「は、はい!すみませんでした! じゃ、じゃあモンヂ!」 周囲の漏らす笑い声の中、パノンが道具を置いてモンヂに目配せする。 「お、おぅ……! えぇと……まぁとにかく短い間でしたがお世話になりました!」 「あぁ、鉄鋼飽きたらいつでも戻って来な、力仕事だったらいくらでも任せてやるぜ」 ご挨拶を受けながら頭を下げて作業場から出るモンヂは、こっちこっち、とパノンが招くのに従って、入ってきた扉とは別の方向の通路へ走る。 「いやー、バレたかと思ったぜ……」 「本当だよ……心臓止まるかと思った……」 走りながら笑って白衣を脱ぐモンヂに、泣きそうな顔でパノンが白衣を受け取った。 通路を出ると再び新しい空間が広がり、その奥で遠目に熊のような大男が毛の長い革の敷物のような物をちくちくと丁寧に裁縫している姿が見えて、ちょっと笑いそうになりながらもさらに岩壁を挟んだ次の空間に出ると、嗅ぎ慣れた鉄の焼ける臭いと、金属を打ち鳴らす心地良い音が聞こえてきた。 「あぁ、これこれ、やっぱこれだよなぁ……すげぇ落ち着くわ……」 故郷に帰ってきた、とでもいった顔のモンヂを尻目に、 「房長いますか!?」 とパノンが叫ぶと何人かが振り返り、その中の一人がこちらに近付きながら、 「房長はまだ来てねぇ!何か用か!?」 と怒鳴った。 房長がいなくてむしろほっとした様子のパノンが、 「あぁ……ガラットさん……。 こいつ俺の昔の友人なんですけど、鉄鋼の新人ってことで来たのを俺が間違えて自分とこに連れてっちゃって……」 「鉄鋼一筋十六年のモンヂ・バックです!! よろしくお願いします!!」 「はしゃぐなよ、状況忘れたのか……? ……あぁ、すみません……」 食い気味に大声で挨拶をするモンヂを制しながら謝る。 「新入りが来るなんて話は聞いてねぇが……っていうか大丈夫か?こいつ」 ガラットが不審そうにモンヂとパノンを交互に見るが、 「あぁ、はい……子供の頃から腕は本当にいいんで、その点は大丈夫です……」 「うぅーん、まぁお前の知り合いってんなら大丈夫……かぁ? まぁいい、とりあえずやるこたぁいくらでもあんだ、細けぇこた後にしてとりあえず来い! 案内お疲れ、パノン」 と軽く手を挙げモンヂを顎で呼びながら工房へと戻っていく。 「はいっ!!じゃあな、パノン、また後でな!」 「本当に……状況忘れんなよ……? ……それじゃあね……」 絶対色々忘れてるよな、といった顔で不安げに何度も振り返りながらも、小走りに自分の持ち場へと去って行くパノンを見送っていると、 「ぼーっとしてんじゃねぇ! お前パノンのダチだってんなら、下町もんだよなあ!? もしかして鍛造できんのか!?」 と怒鳴るガラットにモンヂが振り返り、 「できんのかも何も、生まれてこの方、鍛造しかやってきてねぇっす!」 「そいつはちょうど良かったぜ! だったらこっち来な! ここは鋳造主体だし、鍛造なんて学院で軽くかじった程度のやつらしかいねぇんだよ!」 嬉々として怒鳴り返すモンヂに軽く笑むと、ガラットは製品と思われるよくわからない鉄の大きな立方体や球体が並ぶ脇を大股に抜け、壁沿いにいくつか並んだ鍛鉄炉の一つへと向かって行き、それを、やった、と満面の笑みでモンヂが追った。 「指示書は読めるよな、別に外のもんと変わんねぇ。 とりあえず今日急ぎで必要なのはこいつだ。 まぁごたくはいいから作ってみせろ、それで全部わかるってもんだ」 「はい!道具借ります!」 なかなか話のわかるおっさんじゃねぇか、そうこなくっちゃな。 「ふぅーん……こういう小物はガキの頃以来だけど……」 種火の燃える炉に石炭を何度か放り込み、数年ぶりの手漕ぎのふいごで火力を上げると、粗く鋳造されていると見える手のひらほどの小さな円盤状の鋼塊をハサミで掴んで炎の中へと突っ込み、空いた右手で脇に挟んだふいごを器用に吹かしてさらに火力を上げ続ける。 しばらくの後に鋼塊が赤く色付き出し、やがて黄金色に輝きを放ったところで素早く炎から取り出し、振り返りざまにふいごから離れた右手が金床に置かれた金槌を取って振り上げ、金槌に代わって金床に横たわった黄金色の円盤を殴り付けた。 激しく飛び散る火花に、舌打ちしながらも笑みをこぼすと、そのままさらに何度も殴り続ける。 あぁ、楽しい……。 モンヂが金床と隣の作業台の上で、流れるような手さばきで何度も道具を持ち替え、必要に応じてまた加熱しつつ、叩き、曲げ、伸ばし、穴を穿ち、溝を掘り、角を取り、時折寸法を測りながら、あっという間に指示書に示された製品形状に近付けていくのを、ガラットだけで無く、周囲にいた作業員たち皆が手を止めて見入った。 「すげぇ腕だな、何もんだ?お前……。 あぁ、いいから、そのまま続けろよ」 一人の男がその合間を抜けてそばに近付き声をかけ、作業を止めて返事をしようとしたモンヂに続きを促した。 「こいつはとんだ拾いもんだぜ、こんなやつが本当にうちで働いてくれんなら、今日からでも鍛造の班長にしてもいいぐらいだ、なぁみんな!?」 男が周囲に振り返ると、 「あぁ、まったくだぜ!すげぇなお前!」 「俺も十年やってるが全然真似できそうもねぇぜ!」 見ていた作業員たちが口々に並べる賛辞の言葉の中、モンヂは、 「いやぁどうも……っと、後は……研磨の仕事だな」 言いながらベルトの固定具のような形状に仕上がった半製品を作業台に置いた。 「上出来だ……。 俺はここの房長のタカザリだ。 これからよろしく頼むぜ、班長候補」 「はいっ!ダートバング出身の鉄鋼職人、モンヂ・バックです! よろしくお願いしますっ!」 はいっ!じゃねぇな、いくらなんでも、と心の中で自分に苦笑しつつ、歳は四十ほどと見えるが小柄で細身ながらも引き締まった肉体や、薄く生やした髭とその上の鋭い眼光の房長に、ただもんじゃねぇな、この人、と思いながら軽く頭を下げるモンヂに、 「ほう……モンヂ・バックねぇ……。 まぁじゃあとりあえずそのまま続けて次もやってくれ、モンヂ・バック。 今日は終わったら盛大に歓迎会でも開いてやらねぇと、なぁ!」 タカザリが言うと皆から歓喜の声が上がった。 「いやぁ、悪ぃな、そんな」 などと笑うモンヂだったが、タカザリが歓声の隙間を縫うような低く通る声で、 「だが歓迎会の前に棟梁に挨拶しに行かねぇとなぁ、まだ行ってねぇだろ?」 とささやいた。 一瞬にして背筋に冷たいものが走るのを感じ、 もしかして、っつーか当然かも知れねぇが、俺が侵入者だって、気付いてる……? 思いつつもなんとか笑顔でモンヂが「はいっ」と返事をすると、 「じゃあ終わる頃に迎えに来るぜ。 俺は歓迎会のことを棟梁と食堂に伝えてくるわ」 と言い残してタカザリは工房から去って行った。 歓迎会って……違う意味での歓迎会なんじゃ……。 俺もしかして取り囲まれてぶっ殺されんじゃねぇの……? などと不安になり脱出も考えるモンヂだったが、周囲から人が集まり、すげぇなお前だの、これから作業の質が上がるぜだの言われながら、ガラットに次の指示書を渡されて、どんどん頼むぜ、と流されるままにやむを得ず作業を続け、見学者も常に絶えなかったこともあって、結局どこへも逃げ隠れする機会は無いままに、終業の時間になってしまった。 あぁ……ヤベぇなぁ……ヤベぇよなぁ……でもどうすりゃ……。 相変わらず熱く語りかけてくる者が途切れぬままの状況に打つ手を見失っているところに、ふらりとタカザリが現れモンヂを呼んだ。
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