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ー「なあ、珠希、銀次とケンカでもしたか?」
短い昼休憩の合間、従業員たちが交替でたむろする小部屋で、光央が天音に尋ねた。
「してないでしょ。だって銀次がいま珠希を横浜まで送ってるんだよ」
「ならいいけどよ。でもどーせならもっと居りゃよかったのになあ、まだ祭りも花火大会もあんのに」
「弟と喧嘩して飛び出してきたらしいから、たぶん仲直りできたんじゃない?あと祭りの前に旅行行っちゃうし」
「ああそーいやハワイ行くとか言ってたな。いいなあ」
「別荘があるんだって」
「あるだろうなーあんなでかいジムの社長さんトコじゃ。お前の小学校の近くにも去年出来たし、こないだ葛飾にも24時間のやつ出来たって聞いたぞ。流行ってんだなあ」
「葛飾で真夜中にジムなんか行く人いるの?」
「いねえだろ」
「立地が謎すぎるよね」
「なあ」
父子ふたりで同時にププ、と噴き出し、「まあ年寄り向けだろ、あいつら朝早えーから」と光央がニヤケながら言った。
ー「タバコも値上がりしちまうなあ」
ソフトケースから直接タバコを口で咥え、テーブルに置きっぱなしになっている百円ライターで火をつける。職業柄か土地柄か、ここでは学生を除くほとんどの従業員は喫煙者だ。光央は自宅では寝る前にベランダで吸うのが習慣で、それ以外は出先の喫煙所を利用しており、車内でも吸うことはない。これらは天音が生まれてから定着したものであるが、天音は父のタバコを吸う仕草や横顔の渋さが好きだった。
「値上がりするの?」
「秋って言ってたぞ」
「今いくら?」
「450」
「いくらになるの?」
「500はいくだろうな」
「2箱で千円ねえ」
「鬼だよな」
「お酒かタバコどっちかにしたら?」
「どっちかは無理だ。でもずいぶん減ったよ、どっちも」
吐き出された煙の輪を、天音がフッと吹き返して散らせる。もうひとつおまけで飛んできた輪も同じように吹き散らし、そのときふとハルヒコと初めて話した日を思い出したが、煙と共にすぐにかき消えた。
ー(珠希もサラもたぶん違うし……よーすけもただの友達っぽいもんなあ。かと言ってまさか芳賀くんってこともあるまい)
紫煙の中、息子に悟られぬよう、光央はひそやかに彼の「恋人の有無」を気にかけていた。わざわざ探るようなことはしないが、年頃も年頃なのでさすがにそういう存在のひとりやふたり居てもおかしくはない。しかし「カノジョできたか?」と聞けるのなら気楽だが、「カレシできたか?」とは聞けないのだ。それは同性愛になじみがないからでもあるが、当事者である天音も親にそんなことを問われるのは嫌がるとわかっているからだ。
(たびたびうちにも連れてきてたし、三国くんはクサいと思ってたが……結局ただの恩人なのか友情なのか、あるいはやっぱりそういう仲なのか、俺にはまったく判別できん)
もしも特別な存在ができたのなら、気負わず自分たちの前に連れてきてほしい。そう思えるようになるまで、正直なところそれなりの時間は要したし、苦しみもあった。だがちひろがすぐにそのことを受け止め、彼を応援できるような母親であったからこそ、自分もこうして息子の性的指向を理解し飲み込むことができたのだろう。
修学旅行なんか行きたくない、と涙を浮かべていたあのときの顔は、今なおまぶたの裏に鮮明に焼き付いている。遠い昔のことに感じるが、まだほんの数年前のことだ。クラスメイトに撥ね付けられ傷ついた息子を、もしも親である自分たちまで「特殊な人間」として扱っていたら、彼が今こうして元気に生きていたかはわからない。三国の助力によって立ち直り、ごく普通に友達を連れてくるようになったことは、本当に救いであるし、喜ばしいことであると心から思っている。
神様はなぜ子供をひとりしかくれないのだろう、と寝る前に天井を見つめながらよく考えていた。天音が高校を中退した日の夜も、しばらく眠れずにもの思いに耽った。神を信じる柄ではないが、初詣では毎年「今年は天音に弟か妹ができますように」と願ったものだ。だがもしも本当にこれが神の御心によるものなら、今になってようやく、その理由もなんとなく理解できるようになった気がする。「代わりがいる」などと思うことは、命への冒涜なのかもしれない。天音の他に子があって、その子がごく普通に結婚をしやがて子を儲けるのなら、天音にその望みがなくても「安心」だ……という考えは、卑しい打算であり卑怯な保険であるのだろう。
「そういや最近三国くん来ねえな」
煙を吐き出しながら思いきって問うと、天音は飲みかけていた缶ジュースを置き、「忙しいんだってさ」と返した。
「近くに住んでんだから、気が向いたら顔見せろって言っとけよ」
「うん」
「あとまあ、別に三国くんじゃなくても……」
「?」
「もし連れてきたい奴がいるんなら、遠慮なく呼んでくれよ」
「……うん」
ふうー、と最後の煙を吐き出すと、アルミの灰皿でくしゃりと揉み消し、「そろそろ行くかな」と一足先に部屋を出て行った。取り残された天音は顔色こそ変えなかったが、缶ジュースを握ったままひとり静かに動揺する。父が何を言わんとしたのかを察したのと、そのようなことに彼が触れてきたのが初めてであったからだ。
(連れてきたい奴って、恋人ってことだよね……ケイちゃんのことまで挙げてきて、急にどうしたんだ)
彼なりの気遣いなのか何なのか、こんな場で思わぬことに触れられ、気恥ずかしさがじわじわとこみ上げてくる。自分が不在の間に両親でそういったことを話し合ったりするのだろうか、と思うこともあったが、息子が高校を中退までした「原因のひとつ」なのだから、話し合わないわけがない。
だが気恥ずかしさの反面、嬉しさもあった。家族に認めてもらえなければ、自分の指向を一生の負い目として「背負って」生きていくはめになっていただろう。三国とも邦博ともそんな話をした。父母が受け入れてくれたから、今の自分があるのだ、と。
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