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1・雨の日の朝
この世の中の大半は、不公平で出来ている。
どこかの偉い人が言ったのかどうなのかは定かではないけれど、私は心の底からその時そう思っていた。
私の生活の大半は髪のためにある。
そう言っても過言ではないくらいに、私は自分の髪のために、お金と労力と時間を費やしている。
しかしながら、太くて、多くて、硬くて、黒い上に、唸るくせ毛の自分には、それが世間に認められることはないし、自分自身その結果に満足感を得られていない。そう鹿島花奏は思っていた。
現に今、同僚のゆるふわパーマの女子 笹沢杏奈に、これ以上ないくらいな侮辱されている気分だからだ。
「鹿島さん、どうしたんですか?その髪………」
それだけでも充分過ぎるくらいに傷ついていた。
「……可愛そう」
それなのに、次に発せられた言葉が花奏を貶める。
呟きのようなその小さな声がどうして自分の耳に届いてしまったんだろうと、花奏は悲しくなる。
だから雨の日は嫌いだ。
どんなにセットしても、すぐに膨らんでしまう。
女子力高めの彼女は、手入れの行き届いたネイルが可愛いその手で、バックの中から小さな瓶を取り出す。
「これ、良かったら使って下さい」
差し出されたその瓶を受け取る以外に方法はなく、「すごく良いんですよ。艶が出て、落ち着くんで」と、こっそり耳打ちしてくる彼女に、花奏はありがとうと笑顔で言った。
そんな事はとうに知っている。高校の頃にお小遣いを叩いて買った事があるからだ。本当にそれはいい商品だと思った。高校生が使うには高価すぎる品であったが、それだけの価値ある商品だった。ただ、花奏の髪のボリュームを抑えるには値しないというだけで。
さりげなく目立たないようにしているように見えるが、始業前のオフィスには、すでにほとんどの社員達が出勤していて、花奏たちのやりとりを、ちらっちらっと男性社員達が横目で見ている。
性格の悪い私は、杏奈はそれを全て計算しての行動だろうと意地の悪い事を思ってしまうと、花奏は思った。
きっと杏奈は、花奏がどんなに髪の手入れに対して意識が高く、知識もあり、努力もしているかなんて知らないだろうし、そういう事を怠っている花奏に親切にして、自分の女子力の高さと優しさを周囲の男たちにアピールしたいだけなんだろうだなんて。
「笹沢さん、さすがだな」
そこへ声をかけて来たのは、高梨樹だった。
それ見たことか、すぐに引っかかる奴がいる…
「いいなぁー、俺にもそれ貸してよ」
花奏の同期である高梨は、長身で小顔でイケメンだ。
しかも、それを自覚している 感じの悪い人間で、社内で一番、自分の隣に並んで欲しくない人物だと花奏は思っていた。
なぜならば、花奏には髪以外にもう一つ、顔が大きいというコンプレックスがあったからだ。
多くて膨らむ髪と、顔というか頭がでかいという二つのコンプレックスは、相乗効果となって花奏を苦しめていた。
「俺の天パにも、効くかな?それ」
そういう高梨に、ゆるふわ杏奈はフフッと手で口元を隠して笑う。
男性向けの可愛らしいその仕草が、鼻について感じる。
「高梨さんは似合ってるから…」
必要ないですよと、語尾に隠されているんだろうきっと。
「そんなことないよ。悩んでるんだから俺だって」
「高梨さん小顔だし、自然にふわっとしてて、いい感じじゃないですか。ねぇ、鹿島さん」
そう振られ、花奏は「そうだね」と、仕方なく返す。
居た堪れない気持ちの花奏の心を知るわけもない高梨は、花奏を一瞥するとフッと鼻で笑った。
なに⁈
感じわるっ‼︎
怒り心頭で、心の中で叫びながらも、表面は冷静に、「杏奈ちゃん借りるね」と一声掛けて、そそくさとトイレへと足を向けた。
「はーい」という、甲高い杏奈の返事の後で、背後では、ゆるふわと小顔イケメンのキャピバナが続いていたが、気にせず花奏は立ち去る。向こうも気にしてないんだから気を使う必要もないだろう、そう思ったからだ。
それに、付き合ってられないという気持ちが少しと、心の中の大半を占めるのは、ゆるふわと小顔イケメンへの苛立ちだった。
どーせ私は、似合ってないし、自然にふわっとでもないし、小顔でもないわよ!
それになんなのよ、悩んでるんだから俺もって、そんな気軽に悩んでるなんて言わないで欲しい!
心の中で、プンスカと叫びながら、杏奈から借りたヘアオイルを付けて、手慣れた手つきでアイロンをかける。
どうせこんなことしたって、30分も経てば、雨の湿気で、また爆発するに決まってるけど、しないよりマシだろうと自分に言い聞かせながら、トイレの鏡の前で花奏は、一人手を動かした。
花奏は、自宅で使うシャンプーとトリートメント、ヘアオイル代に、、月に約二万をかけている。
美容院へは、必ず一ヶ月毎に行き、縮毛矯正+カットとカラー+カットを、交互に隔月ごとに行い、毎回トリートメントまでして、二万の料金を支払う。
その分、スキンケアやメイクにはお金をかけられないので、時間と労力はかけていた。
髪が思い通りにいかなくて、肌も汚い、化粧もダメじゃ、どうしようもない。
髪の分を補うためにも、そこは力を抜けない。
服だってそうだ。同じ理由で、安くて可愛いものを、プチプラでいいものは何か、常にアンテナを張っていた。
念入りなシャンプーとトリートメント、お風呂上がりは何よりも早くドライヤーをかけて、アイロンで伸ばす。
それから、毎日のお肌のパックも欠かせない。
朝起きてからも、髪のセットに一時間以上の時間を当てている。
朝はもちろん、外出先にも、三種類のスタイリング剤とヘアアイロンを持ち歩き、雨の日の湿気に晒されたり、満員電車や風で乱れるのが嫌で、自動車通勤が出来る職場を選んだ。
もちろん、朝のスタイリングの時間を考慮して、自宅から通える範囲でだ。
髪にかけられるお金が削られるのが嫌で、実家通いをしているのもそんな理由からだ。
とにかく、髪を中心に生活が成り立っている。
三年前に、実家に浄水装置を、40万かけてつけて、家のすべての蛇口から脱塩素水か出るようにしたのも髪のためだ。
こんなにも、髪のために費やしているというのに、私の髪は風になびかない。
オイルをたっぷり付けられた髪は重すぎて、風に揺らぎもしないのだ。
生まれつき、多くて、硬くて、黒くて、太いこの髪は、その上天パで、くるくるではなく、唸るもんだから、爆発してしまう。
そして、残念な事に、私は人より顔がでかい。
顔もでかければ、頭もでかい。
だから、爆発した髪が、何が起きたのかと振り向きたくなるほど、目立つのだ。
その事で、幼少期から、原子人とか爆発とか、シンプルに頭でかっ!とか、男子に散々揶揄われた。おかげですっかり、嫌いとまではいかないけれど、男性が苦手だ。
だから、思い通りにセットしていない状況を作りたくなくて、そんな輩に見られたくなくて、学生時代のお泊り行事は、全て仮病で欠席した。
小学校は、プールがたまたまない学校だった。
中学校は、プールをしたくないがために、受験して、中高一貫の私立に行かせてもらった。そのためだったら、勉強だって、努力だって惜しまない。
どんなに頑張っても、私の髪はムサくて、垢抜けなくて、思い通りにはならない。
その努力が報われることはない。
可愛くなくても、おしゃれじゃなくても、綺麗じゃなくてもいいのだ。
普通で目立たなければ……
普通で、目立たない、それだけのために、私は髪中心の生活を今日も送る。
それでいいと思っていたんだ。
そう思ってたのに、あんなちょっとした事が気になって、心にずっと引っかかる。
ふわゆると小顔イケメンのことなんて、気にしなければいいだけの話なのに……
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