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#16
***
飲み会があるから夕食はいらないと由紀奈からは連絡があったのに、どう考えても一次会も真っ最中であろう時刻に、玄関の鍵を解錠する音がした。
一人きりでテレビを見ながら夕食を摂っていた律は、予期せぬ音に一瞬ぎくりと身をすくめる。
由紀奈が何らかの事情で途中退出して帰ってきたのだろうか?そうじゃなかったら…
律はとっさにリビングのカレンダーの日にちを追った。
彼が来るなら由紀奈から前もって連絡があるはずだ。
それにこの間聞いた話では、そう頻繁には帰ってこないということだった。
席を立ち、リビングから廊下に踏み出そうとしたところで、ばったりと詩織と出くわした。
「ただいま」
毎日ここに帰ってくるわけでもないのに、そう言って彼はにっこりと笑みを向ける。
「おかえりなさい…」
つられるように返事をして、律はそそくさとダイニングテーブルに引き返す。
「この間みたいな出迎えはないのか?」
「なんのことですか?」
悪戯っぽく唇の端を持ち上げる詩織に、律はとぼけて首を傾げてみせる。
そう何度も傷口をえぐるようなからかいを受けるつもりはない。
詩織は肩をすくめ、極めて意味深な笑みを向けるが、律は気づかないふりをして食卓についた。
彼はカバンをソファに放ると、ダイニングテーブルに載った律の一人分の食事を見る。
「姉貴は?」
「飲み会です」
彼の帰宅を知らせる連絡はあったかと、律はスマホを確認するが、何もない。
「腹減った。なんかある?」
「えーと、残り物なら…」
自分の夕飯の皿を見て、律は憂鬱な気持ちになる。
いっそ“ない”と答えた方がよかったかもしれない。
今日は自分一人だと思っていたから、作ったのは“冷蔵庫の余り食材をかき集めて作った野菜炒めのような何か”だ。
つまり、本当に残り物である。
「食っていい?」
「…味は保証できませんが」
「構わないよ」
詩織が手を洗いに洗面所に行っている間に、律は料理をレンジにかける。
まったく、食事を当てにしているのなら本当に事前連絡がほしかった。
「夕飯食べてないんですか?」
八時半過ぎの時計を見上げて、律は尋ねる。
「今日中にどうしても片づけたい仕事があったんだ。それに、うちに帰ればなんかあるだろうと思ってたし」
詩織に思わせぶりに目配せされ、律は冷蔵庫を覗くふりをして背を向ける。
…きっと通い猫がしゃべったら、こんな風にのたまうに違いない。
ご飯とみそ汁と、レンジにかけた野菜炒め風の料理をテーブルに並べた。
こんなことまでしなくていいのだろうけど、相手は一応、家主の弟である。
格安の家賃でこの家に置いてもらっているという意識があるため、律はつい家政婦のように立ち回ってしまう。
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