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#19
朝食をオムレツにすることに決めると、卵を割ってボウルに落とす。
付け合わせの野菜を盛り付けて、フライパンを熱するためにコンロの火を点けたところで、詩織がキッチンに入ってきた。
「何か…?」
空間の限られたキッチンに彼が入ってくると、律はどうしても身構えてしまう。
「俺はコーヒーでも担当するよ」
朝食の支度を手伝ってくれるということらしい。
私がやりますから…と言いかけたものの、ちょうどよくやかんの湯も沸騰している。
断る理由は一つも見つからなかった。
律は三口コンロの上で、フライパンとやかんの位置を入れ替えた。
「じゃあ…お願いします」
「任せてくれ」
彼は手慣れた様子でコーヒー豆を電動ミルにかけると、フィルターペーパーの端を折る。
律はガスコンロの前で手を動かしながら、彼が作業する様子を横目でそっと盗み見た。
まさか家主の弟とキッチンで一緒に並んで立つことになるなんて。
絶対に口に出しては言えないけれど、この光景はまるで…
「新婚みたいだな」
「!」心の中を読まれたのかと思い、律はぎょっとして隣の詩織を見上げる。
「そっ…そうですかっ!?私は逆に、兄弟とかいたらこんな感じなのかなって思ってましたよ!」
動揺が声に出ないように気をつけたのに、その制御を振り切って上ずった大声になってしまう。
もちろん彼はそれを見透かしているのだろう。
明らかに律の反応を楽しむような顔をしている。
出会ってまもない相手に、冗談でもそんなこと言う?
猫がおもちゃを転がすような表情に、律はムッとする。
きっとあちこちで同じようなことを言っているのだろう。
少しぐらい外見がいいからって(いや、彼の外見が飛びぬけて麗しいことは認めざるをえないけれど)すべての女性があなたとこうした馴れ馴れしい会話をしたいわけではないんですよ?
その一撃を胸にとどめて、律はオムレツを3つに切り分けた。
律が朝食の皿とパン、3種類のスプレッドをダイニングテーブルに運び終えたところで、詩織がコーヒーを運んできた。
由紀奈は一向に起きてくる気配がない。
声をかけるべきか迷って階段を見上げていると、詩織に呼ばれた。
「先に食べよう」
「でも」
「そっとしておいた方がいい。今の姉貴を起こすのは熊を起こすことに等しい」
確かに、毎朝の由紀奈の機嫌はお世辞にもいいとはいえないし、他の誰でもない彼女の弟が真顔で証言するため、律は由紀奈の部屋のドアをノックすることを控え、朝食の席についた。
今日もまた、当たり障りない天気の話に始まり、テレビから流れてくる情報を話題に、あれこれ他愛ない会話を交わしながら朝食を終えた。
さっきの、爆弾みたいなからかいは、幻聴だったかのようだ。
食事を終えると、またも詩織が洗い物を引き受けると申し出てくれた。
当然、律は自分がやると言い張ったけれど、公平性という観点を持ち出され、彼にあえなく説き伏せられた。
きっちりと台所をきれいにし終えると、詩織は身支度を整え、急ぐ様子もなく家を出て行った。
男だから身にかける時間が少なくて済むせいだということを差し引いても、いつもバタバタと時間に追われて家を飛び出す律や由紀奈とは大違いである。
その後、律が洗濯物を干してリビングに戻ると、由紀奈が起きていた。
まだ目覚めきらない顔をしたまま、コーヒーカップを片手に新聞を読んでいる。
「ああそうだ、律」
律が温めた朝食の皿を由紀奈の前に差し出した時、彼女は思い出したように口を開いた。
「私、今週末の二日間、家を空けるから」
「もしかして、デートですか?」
とっさに思いついた理由を言葉にすると、由紀奈の眉間にしわが刻まれる。
その仕草だけで、このスケジュールが彼女にとって不本意なものであることは充分察せられた。
「そうだったらいいんだけど、出張よ。ちょっと他店で緊急事態があって、その応援で。だからその間、この家よろしくね。何かあったら連絡して」
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