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#24
冷たい水でバシャバシャ顔を洗い、律は手早く化粧を済ます。
15分で身支度を完了して家を出れば、予定の電車にギリギリ間に合うはずだ。
部屋に戻って着替えると、バッグをつかんでキッチンへ向かう。
朝食は食べられないけれど、せめて水一杯だけでも飲んでいこうと思って。
「おはよう」
「おはようございます」
今日もまたダイニングテーブルの席で、いつものようにスマホをいじっている詩織を横目に、律は忙しい足取りでキッチンに飛び込んだ。
「大丈夫か?」
忙しなくキッチンを動き回っていると、詩織に声をかけられる。
「大丈夫です」
片手間に返事をして、律は水を飲みながらリビングの壁掛け時計を見上げた。
小走りで駅に向かえばまだ間に合う。
本当は一本後の電車でも勤務開始時間前には余裕を持って着けるけれど、今日の勤務地は初めて行く場所だ。
道中何があるか分からないため、安易に悠長な行動は取りたくない。
グラスをシンクに置いた時、詩織と目が合った。
「すみません寝坊しました。今日はご飯は作れません」
「構わない。それより間に合うのか?」
「はい」
答えながら慌ただしく玄関に向かう律の後を、彼がついてくる。
「間に合わないなら車で送る」
「大丈夫です。走ればたぶん間に合うので…では」
やり取りの時間すら惜しく、律は靴箱からパンプスを探し出して足を突っ込んだ。
ローヒールだから走れないこともないだろう。
本当はスニーカーの方がいいけれど、今日の現場はスーツという指定がある。
行ってきますと言おうと詩織を振り返ると、彼は律の足元を睨んでいる。
何事かと聞きたくなるが構っている暇はない。
今は一刻も早く家を出なくては。
「行ってきます」
彼の反応を置き去りに、律が玄関の鍵を回した時、
「待て、駅まで送る」
そう言うが早いか、詩織が車のキーをつかんで靴をつっかけた。
律は辞退の返事をする間もなく、あれよあれよと玄関の外に押し出される。
表門をくぐり抜けるまでの間に、律は車を出す必要はないと再三、詩織に訴えた。
しかし彼はさっさと運転席に乗り込むと、律に乗るように促す。
乗らないとつっぱね続けたいところだが、自力で走ったところでもう間に合わない。
不本意な思いを抱えながらも、おとなしく助手席に乗り込んだ。
「お願いします」
「電車の発車時刻は?」
「7時2分です」
「間に合わせよう」
彼は車内のデジタル時計に目をやって、事もなげにそんな言葉を返す。
「あの、もし間に合わなくても次の電車で大丈夫なので」
シートベルトを締めながら、律は口早に付け加える。
致命的な遅刻ではないことを強調したのは、暗に安全運転をしてほしいという依頼でもあるけれど、どこか自己弁護のようでもある。
自分は時間にルーズな人間ではないのだ、と。
それに気づいて、律は顔をゆがめる。
だらしない女だと、いくら彼に思われようがどうでもいいことだ。
ついでに、自分の寝坊による遅れを彼にカバーさせているという後ろめたさにも目をつむる。
だってそもそも昨夜、彼が帰ってこなければ、今日だって平和で順調な朝だったはずなのだから。
そう、彼さえいなければ昨日の夜だってあんなことは起こらなかったわけだし。
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