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#7
「それはびっくりしたでしょう、ごめんね~」
夕食の席で、からからと笑う由紀奈の声が部屋に響く。
律の必死の願いが通じたのか、あの後、由紀奈が20時ぴったりに帰ってきたことで、諸々の心配は杞憂に終わった。
律はダイニングテーブルの真向かいに座る由紀奈から少し視線をずらして、斜め向かいで箸を動かしている彼女の弟の様子をそっと窺う。
彼は本当に由紀奈の弟で(疑っていたわけではないけれど)、名前を三上詩織と名乗った。
「詩織も帰ってくるなら一言くらい連絡入れときなさいよ!」
帰宅した由紀奈は弟を見ると驚きで目を丸くし、その後、事前連絡をせずに帰ってきた彼をくどくどと叱りつけた。
突然の帰宅を一度のみならず二度も三度も姉に咎められると、さすがの詩織も少しムッとした顔をする。
「前はそんなこと言わなかっただろ」
「それはこの家に私しかいなかったからよ。私一人だったら連絡無しでいつ帰ってきても構わないけど、今はもう律がいるんだから」
食事をしながら、律は由紀奈と弟のやり取りを耳で追う。
一人っ子の律には、姉弟のやり取りというもの自体が新鮮だ。
「三上さんは…学生さんですか?」
由紀奈の文句が一段落したところで、律は話題を変えようと詩織に質問をする。
確か、由紀奈が一番上の長女で、その下に学生の弟がいるという話を、以前聞いたことがあるような気がする。
おまけに彼の風貌はとても勤め人には見えなかった。
彼が首を横に振ったのとほとんど同時に、由紀奈が口をはさんだ。
「あれ、言わなかったっけ?それは下の弟よ。今、院生なの。で、こっちの詩織は…」
「一応、社会人だよ」
詩織が二本目のビールのプルトップを開けながら、由紀奈の言葉を継ぐ。
「社会人って呼べるのかしらね、だって、正社員じゃないんでしょ?」
「働いてれば社会人だろう」
憮然として答える弟に由紀奈は肩をすくめながら、ビールのグラスをあおった。
そのやり取りで彼が正規職員でない身分の勤め人だということだけは察せられた。
どこもみんな大変らしい。やいやい言いあう姉弟の会話を聞きながら、律は思う。
律の友人達だって、正規と非正規の割合は半々くらいだ。
もしかしたら非正規の方が多いかもしれない。
かくいう律自身、今はその身分すらない無職だけれど。
「仲いいんですね」
待遇の話は脇に置いて、律は目の前の姉弟の印象を口にする。
すると、二人は露骨に異議ありげな顔をする。
「うちにふさわしいのは“寄ると触るとけんかする”だろう」
「そうね。もっと仲の良い兄弟はよそにいっぱいいるわよ。うちは普通じゃないかしら。大体、私は弟が勤めてる会社も知らないのよ。そもそも、あんた何してるんだっけ?」
「前に言った。老化で記憶力が落ちたか?」
弟の一言に由紀奈が目を吊り上げたちょうどその時、彼のスマホが振動した。
彼は「電話に出る」と断ると、二階に上がっていった。
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