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 暮らし始めて三日目の家は、まだまだ他人の家庭と呼ぶのがふさわしい。 特にキッチンに立った時に、(りつ)はそう感じる。 この家の、アイボリーを基調としたセミオープンタイプのキッチンは、ついこの間まで律が住んでいたアパートの、小さな壁付きキッチンとは比べものにならないほど広く立派だ。 きっとこの家には以前、料理好きな人間がいたのだろう。 それは、キッチンの造りだけでなく、そこに収まる多くの家電からも察せられる。 炊飯器、電子レンジ、トースター、冷蔵庫…どれもこれも型は古くとも、安物の間に合わせではない。 その“料理好きな人間”が、家主兼友人である由紀奈(ゆきな)でないことだけは明白である。 彼女は料理など、ほぼしない。となると、由紀奈の母かもしれない。  鍋の中で野菜を炒め、そこに水を投入しようとして、律は計量カップを探した。 しかし作業台の壁に並ぶ、キッチンツールの群れの中に計量カップは見当たらない。 目分量で水を注ごうかとも考えたが、自分だけが食べる料理ではない。 それに、適当な水量にルウを合わせるやり方は、律としてはなんとなく抵抗がある。 浮かんだ考えをすぐに捨て、律は作業台の引き出しを最上段から順に開けていく。 ここへ越してきた初日に、どこに何があるかは、家主である由紀奈にざっと説明してもらったけれど…覚えるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。 なんせこのキッチンの引き出しは十以上もある。 律が一人暮らしをしていた時は、自分の横幅よりも少し大きい程度のキッチンスペースに、ガタつく引き出しが一段あっただけだ。 実家のキッチンだって、引き出しの数はこの家の半分あるかどうかというところだ。  五つ目の引き出しに、やっと計量カップが見つかった。 律は、調理台の端にS字フックでひっかける派だが、計量カップを引き出しにしまう家もあるらしい。 とにかく、これでやっと作業再開だ。律は急いでカップで水量を計り、鍋に注ぐ。 キッチンは好きなように使って構わないと言われているので、計量カップは今後(少なくとも律がここで厄介になる間は)作業台の上にぶら下がるキッチンツールの一群に加えることにしよう。  鍋に規定量の水を入れ終えると、次はローリエを探し、視線をさまよわせる。 幸い、ローリエはオープン棚にずらりと並ぶ調味料の瓶の中からすぐに見つかった。 その葉を二枚、鍋の中に沈めると、律はガスコンロのレバーを弱火に回した。 時刻は19時半を過ぎたところだ。リビングの壁掛け時計を見て、ダイニングテーブルに置いてあるスマホを取りにいく。 由紀奈(ゆきな)からのメッセージは何もない。 急な予定変更がないなら、今日もいつも通り20時過ぎには帰ってくるだろう。 家主兼友人の帰宅時間を推測すると、律はスマホを手にまたキッチンに戻った。
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