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#2
ここ、三上由紀奈の家は二世帯住宅だ。
昔は彼女の祖父母、両親、彼女を含む子供たちの三世代家族で住んでいたらしいが、彼女の祖父母が他界した後は、親子のみとなり、彼女の両親も一年前に別宅に越してしまったという。
そんな経緯で、今この家には由紀奈が管理人を兼ねて居住し、一階の空室を律が間借りすることになったのだ。友情価格ともいうべき、格安の家賃で。
現在、職探し中の律にとって、これ以上ありがたい話はなかった。
ゆるゆると鍋をかき混ぜながら、律は片手に持ったスマホで再び求人サイトの一覧をスクロールし始める。
当座の生活資金は今までの貯金で何とかなるものの、いつまでも無収入ではいられない。
なるべく早く次の仕事を見つけて、生活を立て直さなければ。
好きなだけこの家にいていいと由紀奈は言ってくれているけれど、あくまでもここは仮住まいで長居すべきじゃない。
そう肝に銘じておかなければ、きっと律は彼女の言葉に甘えてここに居ついてしまうだろう。
気の合う同居人というのは、一人暮らしを阻むのに充分な理由だ。
それに、律の十歳上であるアラフォー独身の由紀奈だって、今は恋人はいないけれど、今後もずっとそうだとは限らない。
彼女だっていずれ結婚する可能性もある。
律の方だって縁があれば、そう遠くないうちに結婚したいと思っている。
誰か、いい相手がいれば。
カレーのルウを刻んで鍋に入れたところで、ちょうどよく炊飯器が仕上がりの合図を出す。ほとんど同時に玄関の鍵が開く音がした。
次いで「ただいまー」と由紀奈の声が聞こえる。
「おかえりなさい~!」
ガスの火を止めて、律は小走りで、友人兼家主を出迎える。
「律、何度も言ってるけど家事を請け負おうなんて思わなくていいのよ」
廊下を通り抜けてリビングに入る途中で、キッチンの作業台を見た由紀奈が、今日もまた念押しをする。
「分かってます。でも、今日は何も予定もなかったし…それに」
相場を無視した安い家賃で置いてもらっているのだ。料理くらいはさせてほしい。
しかし、案の定その言葉は、口にする前に由紀奈に遮られる。
「家賃のことだったら、何度も言うけど気にしないで。こっちだって空き部屋をほったらかしておくより、誰かに使ってもらった方が助かるの。その相手があなたなんだから、尚更ラッキーだったわ」
由紀奈に誘われ、律がここに住むと決めた時に、共同生活のルールについては何度も話し合いがなされた。
“料理については双方、義務として請け負わないこと”というのも、相談しあった末に決まったことだ。
しかしシェアを始めて三日、その取り決めを無視したように毎日キッチンに立つ律を見る度に「家事は義務ではない」と由紀奈が釘をさすこととなった。
何度もなされたやり取りを、二人は今日も繰り返す。
「とにかく!やらなくていいんだからね!」
「わかってます!私がやりたくてやってるんです!」
声高に叫びながら手を洗いに洗面所に向かう家主の背中に、律は炊飯器の米を混ぜながら負けじと声を張り上げた。
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