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#5
由紀奈を出迎えるつもりだった玄関で律が出くわしたのは、Tシャツにジーンズというラフな格好の見知らぬ青年だ。それも、モデルのような美貌の…
予想外の出来事に一瞬、時間が止まったように長く感じられた。
いや、正確には“空気が固まった”というべきかもしれない。
数秒の間、互いに目を瞬かせて相手を見つめていたが、青年の方がふと口元を緩めた。
「ただいま」
「お…おかえりなさい………?」
端正な顔を笑み崩す青年に、律はもごもごと言葉を返す。
「光栄だな、こんなに熱烈に歓迎されるなんて」
「そっ、それはっ…!」
てっきり由紀奈だと思い込んで、いつものような出迎えをしてしまったことを律は激しく後悔する。
特に今日は、さっきまでの沈んでいた気持ちを気取られぬようにと、勢いをつけすぎたせいで、余計にハイテンションになってしまったという事情があって…
心の中で、この奇妙な出迎えの経緯を弁解してみるが、相手に伝わるわけでもない。
とにかく、さぞやバカっぽいと思われていることは間違いないだろう。
それを考えただけで、恥ずかしさで体中が発火したみたいに熱くなる。
きっと顔も真っ赤だ。律はそれを隠すようにうつむく。
由紀奈以外の人間がこの家の玄関扉を開けることなど、律は想定もしていなかった。
大体、彼は誰?由紀奈の彼氏だろうか。
尋ねるより先に、青年は靴を脱いで律の横を通り抜けていく。
「いい匂い、今から夕飯?」
「そうですけど、それよりもあなたはっ…」
勝手知ったる足取りで細い廊下を進んでいく青年の背中を追いかけると、歩きながら首だけで振り返った彼が怪訝そうな顔をする。
「姉貴から聞いてないのか?」
そう返されて、律はあまり上等ではない記憶領域を探る。
けれど“姉貴”ということは…
「弟だよ」
「弟さん…」
そこでやっと律は思い出す。ここへ越してくる際に、由紀奈が話の折に触れていた話題を。
“ほとんど私一人で住んでる家だから。本当にたまに弟が来るくらいで…”
「君は?名前は…」
「あ、はい。有賀律です。由紀奈さんにはいつもお世話になっています。それと、これからしばらくの間こちらでご厄介になりますので…」
「よろしく、りっちゃん」
彼はにっこりと笑うと、当然のように律に名前で呼びかける。
りっちゃん?先刻の最悪な対面のせいで、その呼びかけにどこか小馬鹿にした響きを感じてしまうのは、被害妄想だろうか。
多くの場合、フランクであることは悪いことではないけれど、彼の場合は…見目麗しい容姿と相まって、逆に軽薄な印象だ。
「よろしくおねがいします…」
律はそれらの感想をそっと胸に秘めて、会釈した。
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