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夢やぶれて
十八年ぶりに見る玄関は、くぐるまでもなく家の中の状態を雄弁に物語っているようだった。
今時こんなの使ってないよなという、小さな片側だけに刻みのついた鍵を差し込み、木枠にくもりガラスをはめ込んだ引き戸をガラっと開ける。
最初に顔に感じる渇いたカビの臭いに気圧されるも、勇気をもって敷居を跨ぐ。
背後からさす五月の真昼の陽光に照らされて、薄暗い廊下の先もなんとか見ることができた。
ここに来る前に立ち寄ったホームセンターで買った黒のスリッパを、買い物袋から取り出して廊下に投げ落とすと、パフっという音とともに埃が舞い上がる。光に照らされてゆらゆら舞うその様は、埃のくせになんか綺麗に感じられた。
都落ち。そんな言葉が何度目かは忘れたが頭の中を埋めていく。
東京で小さなバーを始めたのは、今から六年前だった。
大学時代からコリドー街の路地を入った小さなバーでバイトを始め、そのまま卒業しても昼の世界に行くことなく、バーテンダーとして夜の世界を歩み始めた。自分には転職だと思っていた。
正式に雇われて七年目に転機が訪れた。オーナーの知り合いが身体を壊し、店を譲れる相手を探しているとのことだった。オーナーの「おまえ、やってみないか?」、その言葉に俺は飛び付いた。バイト時代も合わせると九年目。三十歳までに独立を目標にしていた自分には、願ってもないタイミングだった。
父親を保証人に国民政策金融公庫から一千万円を融資してもらい、念願かなって開いた恵比寿の店も、六年しかもたなかった。
すべては慢心。雇ったサブのバーテンダーに店を任せて客と出歩いていれば、もつはずもない。
店をサブのバーテンダーに売り払い、融資を精算して、手元に残ったのは六十万円しかなかった。
自業自得とはいえ、悪いことは続くもので、雇われ時代から同棲していた彼女にも出ていかれた。ある時部屋に帰ると、飼っていた猫と一緒に消えていた。
俺は東京にいることにすら疲れてしまった。伝をたどって、八丈島のリゾートホテルのバーテンダーの職に就くことができたのは幸いだった。
ただ、仕事始めは七月からなので、それまでゆっくりとしたかった。
新潟市の実家に身を寄せることも考えたが、両親の顔を見るのも落ち着かない。
そこで俺は、新潟市から二時間程離れた海沿いの村にある父親の実家で過ごそうと考えた。俺が二十七歳の時に祖父が、三十一歳の時に祖母が亡くなっているので、随分と空き家状態だった。もっとも、父親が祖父母を新潟市の家に呼び寄せていたので、その期間はかなりのものだ。
祖父母の葬儀も新潟市で執り行ったので、ここを訪れるのは大学入学前の春以来のことだった。
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