11話

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11話

「便器に尻をかじられる?」  こんな噂が流れ始めたのは、オレが中学校3年になった夏の日の事だった。  その日はプール開きの翌日で、教室の窓辺にたむろした男子生徒達は、下級生の女子のお尻に食い込んだ水着を眺めては、根も葉もない卑猥な噂話に花を咲かしていた。そんな時だ。クラスメイトの上田が言った。 「おい知ってるか、歯の生えた便器があるって?」 「は? それって何処の中世物語だよ」  オレの脳裏には、中世の拷問器具「アイアンメイデン」と便器のイメージが一瞬にして結びつき、そんな答えが何故だか口をついて出た。 「バッカ、中世だったらオマルで窓から汚物を投げ捨てるんだよ。オマルじゃ無くて便器な、便器。しかも様式のお尻を便器にフィットさせる方だよ」 「どっちだって似たようなもんだろう、そんなもん」  オレたちは、一言返すごとにお互いの肩を殴り合いながら、いつもの馬鹿げた話を続けていた。そんな気の知れたオレたちの、仲間同士の会話に突然割って入ってきた奴がいた。 「私も知ってるよ、その歯の生えた便器の話し・・・・・・」  振り返ると、そこに立っていたのはクラスでも目立たない感じの女子生徒「黒岩良子」。いつも前髪が目にかかるくらい長くて、暗くて陰鬱な雰囲気の女だった。ふだん話すことも無いその女に、突然オレたちに話しかけらてきた。ビックリしたオレたちはせっかく盛り上がっていた会話を中断した。  驚いて固まっているオレたちに、女は「フンッ 本当よ」と捨て台詞を残して、わざわざオレたち二人の間を通って去って行った。  俺と上田のすぐ近くを無造作に通っていく黒岩は、普段女に滅多に近づくことも無い俺に、女の子の甘酸っぱい汗の匂いを初めて感じさせた。  その日、プールの時間に不幸な事件が起きて、女子生徒が一人死んだ。一つ下の学年で、名前は木下とか、木村とか、まあそんなありふれた名前だった。それよりもありふれていないのは、そいつの死因だった。  その女生徒は、トイレでバラバラになって殺されたのだ。正確にはバラバラと言うほど細かくも無い。見つかったのは生徒の上半身だけで、下半身は行方不明という事だった。いやむしろ、それならいっそバラバラの方がマシだったのか? そんな疑問さえ湧いてくるが、それよりもトイレでそんな事故が起きる何てあり得ないという事で、警察は殺人事件として犯人は部外者と言う線で捜査が開始された。しかし外部からの侵入者の形跡は無く、事件はそうそうに迷宮入りしていたのだ。上半身のみ発見されたことから、いらぬ憶測が流れる事を恐れた捜査本部は、事件をバラバラ殺人事件として発表していた。しかし複数の学生による目撃者の証言から、学校内では発見時の詳しい状況がとっくに知れ渡っていたわけだ。 「やっぱり便器だぜ便器、尻からかじられたのさ。ほら、お尻カイーノっていう歌あるじゃん」 「ばか、それってお尻カジーリだろ」 「お尻カジリーノよ」  ボケ同士の会話に、黒岩さんが鋭い突っ込みを入れた。  事件が起きてから、何故だかオレたちは黒岩さんとこうやって普通に話すようになっていた。殺人事件の話しに乗ってくる女子は、学校にはそれほどいないし、黒岩さんはオカルト関係に強いので話しは面白かった。なにより黒岩さんは普段は前髪で顔が隠れているが、よく見れば肌は色白で顔の造形は整っていて美人だったのだ。いつしかオレたちは、黒岩さんの気を引くために、競い合うように事件のネタを追いかけるようになっていた。 「うーん、事件のネタかー」  オレは自室の勉強机に足を投げ出して、独り言を呟いた。  上田はこの間、黒岩さんのために事件の捜査資料のコピーを手に入れてきたのだ。上田の父親は現役の刑事で、父親が事件の資料を家で確認しているところを、機嫌をとってウイスキーを勧め、酔い潰してまんまと資料のコピーに成功していたのだ。 「あれよりすごい事件関係の物なんて、どうやって見つけろって言うんだよ」  本物の捜査資料のコピーよりレアな物なんて、普通の中学生のオレにはとても見つけ出せそうに無い。でも、このまま上田にポイントを取られたまま中学を卒業なんて、何だか悔しかった。そうだ、別に俺は黒岩さんのことが好きって言う訳じゃあ無いんだ。 「オレだってそうさ、別に黒岩の事なんて好きじゃねーよ。ただ、事件の資料がたまたまあったから、それで持ってきただけさ」  上田はそう言い訳をしていた。でも、あいつの気持ちはもうバレバレだぜ。 「ちぇ、どいつもこいつも青春しやがって、ぺっ」  オレは咥えた鉛筆を机の上に吐き出した。  コロコロ、ポト  吐き出した鉛筆が机の上を転がって落ちる。  グサッ  鉛筆は、何故だか下に落ちていた開きっぱなしの雑誌に突き刺さっていた。雑誌を拾い上げて鉛筆を引き抜く。鉛筆は見開きの新作映画の記事を貫いていた。 「あ、これは公開中の最新シリーズ映画、地獄からの巨人ダイベンガーの復活編じゃないか」  そしてオレの頭は閃いた。  そうだ、黒岩さんを誘ってこの映画を見に行くというのはどうだろう。そうすれば上田よりも高いポイントをゲットできるはずだ。何しろ男子と女子で一緒に映画を見に行くと言うことは、これはもう立派なデートじゃ無いか! 「ざまみろ、上田」  オレの頭の中には、その時上田よりも一歩前に進めるという満足感で溢れていた。しかし内心は、初めて女子と二人きりで映画を見に行くという事に、俺の心は舞い上がっていたのだ。  そう、オレは、あの頃たしかに恋をしていた・・・・・・。 「大五郎さーん」  血の色に染まった真っ赤な海に、海岸を走るボロボロの服をまとった半裸の女性。ヒロインが主人公に駆け寄って抱きついた。しかし目覚めた主人公は地獄の魔神、ダイベンガーと長い時間シンクロしていたために正気を失っている。 「おまえは、誰だ-」  主人公が手を伸ばし、ヒロインの首を絞める。 「うう、ぐるじいぃぃぃぃ」  ヒロイン視点で主人公の顔が大写しになり、それからヒロインの目が閉じられる。そしてエンドスクロール、完璧だ、完璧なエンディングだ!    僕は隣に座る黒岩さんの手を握る。黒岩さんの手は、何だかゴツゴツしていて思ったよりたくましい。 「面白かったね、黒岩さん」  しかしそこに座っていたのは黒岩さんでは無かった。 「よくも、オレを裏切ったな-」  血まみれの上田が、ブクブクと血の泡を吹きながら、オレの首に手を伸ばした。 「う、うえだぁぁぁ」  ズズズズズズズゥゥゥゥ  大地を揺るがす地響きが起こった。 「便器ちゃん、何が起きてるんだ!」  ブラカスちゃんの声にハッと追憶から呼び覚まされた。目の前にはゴールドベル・スケープゴートの血にまみれた、エメドラちゃんとブラカスちゃんが立っていた。 「今、一瞬・・・・・・」  言いかけた言葉を僕は飲み込む。そうだ、今はそんなこと言っている場合じゃ無い。いや、自分の過去の記憶が蘇りかけた、それは確かに重要な事名はずだけど、記憶が蘇っても死んでしまっては意味が無いじゃないか。どの道、記憶ならガンバリ図書館で取り戻せるはずなんだ。 「ブラカスちゃんエメドラちゃん、僕の近くに来るんだ」  僕は二人を呼び寄せた。血にまみれた二人の体が、僕の体にピッタリくっつく。  グラグラグラッ  地面が揺れ続けている。立っているのもやっとだ。僕は二人の肩を抱いて、倒れないように体を支えた。二人は自然に僕の体にしがみついている。  地面が盛り上がってあちこちに地割れが走っていく。そして、人面岩の表面を覆っていた土がボロボロと剥がれ落ちていった。 「みろ、あれがダイベンガーの頭だ」  人面岩の剥がれ落ちた泥の下から、漆黒の金属が滑らかな光沢を放って現れる。その輝きは悠久の時を眠り続けていたとは、まるで信じられない。  まずは先端のトレードマークのアンテナが露出して、それから片方だけ開いている目が現れた。もう片方は眼帯で塞がっている。それから顔を覆うマスクが現れた。  そしてダイベンガーの頭が完全に露出すると、今度は肩や胴体が地面の中から浮上し始めたが、大半は土をかぶったまま細かいディテールは判然としない。辺りに次々と起こる地割れの下から、腕や足とおぼしき巨人の一部がこんもり山を作って覗いている。僕らが今立っているのは、それらの中心部分。  そして生け贄を捧げた便器が置かれているところは、人間で言うところのお臍の位置に当たる。鮮血を浴びて赤く染まっていたはずの便器は、いつの間にか元の白さを取り戻していた。 「揺れが収まった。もう便器を回収しても大丈夫そうだ」  僕は一瞬、ゴールドベル・スケープゴートの血で赤く染まった竜巻を方を確認した。すでにそこに竜巻は無く、代わりにユラユラと蠢くビッグマウス・サンドワームの群が見えただけだった。  僕が便器を回収して背中に背負うと、その下から地面にポッカリ空いた穴が現れた。 「やった、ダイベンガーのコックピットに続く入り口だ。エメドラちゃんブラカスちゃん、ここから中に入るんだ」  僕は二人の背中を押して、先に入るように促した。 「大丈夫、この中真っ暗だよ。平気?」  エメドラちゃんが不安そうに僕を見つめた。 「今はもう、便器ちゃんの言うことを信じるしか他に方法は無いよ。あいつら又すぐにこっちにやって来る」  ブラカスちゃんがビッグマウス・サンドワームの群を顎でしゃくって言った。それから自分は足の方から穴の中に入っていく。僕は彼女の手を持って、中に落っこちてしまわないようにしていた。 「足が付いた、ありがとう便器ちゃん」  そう言って、ブラカスちゃんの頭が穴の中に消えた。 「よし、今度はエメドラちゃんが中に入って」  僕が言うと、エメドラちゃんは今度は素直にしたがって、僕の手を掴みながら足から穴に恐る恐る入っていった。  「今度は便器ちゃんだね・・・・・・」  そう言って、エメドラちゃんの頭も穴の中に消えた。  僕は穴に入ろうとして便器を背負っていることを思い出し、便器をいったん地面に下ろした。その時、気がついた。  ダイベンガーの臍にあるこの穴は、便器の下に隠れていた穴だった。だからどうやっても便器は穴を通らないに違いない。便器と穴の直径を見比べて見て、どう見ても無理だと思った。それから自分の体にも目が行った。便器を背負えるくらい大きくて力強い、今の僕の体、便器よりも遙かに分厚い。 「便器ちゃん、はやく入りなよ」  穴から顔だけを出した、二人が言った。  僕は、自分のたくましい体に一瞬見とれて、上腕二頭筋の筋肉を盛り上げて格好つけたりしていたみたいだ。二人に見られてちょっと恥ずかしかった。 「穴が狭くて、入らないかもしれない・・・・・・」  僕は正直に答えた。 「足だけでも入れてみたら、そしたら私たちで中から引っ張るから」  エメドラちゃんに言われて、僕はそれにしたがって穴の中に足を入れた。 「せーの!」  中から二人の声が聞こえて、僕の体は中に引っ張られていく。 「おお、うおお、おおおおおお!」  ズルズル・・・・・・  ダイベンガーの穴の縁は、思ったよりも弾性があっておまけにヌルヌルしている。僕の体はひ弱な二人のズルンズの力でも、すんなりと中に吸い込まれていく。 「あ、便器便器」  僕は急いで便器に手を伸ばし、便器の腹を両腕でしっかりと抱きしめて掴んだ。  ズリュン、ポンッ  と言う音とも共に、僕の体はダイベンガーの中の狭い空間に吸い込まれてしまった。
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