3話  嵐の中で輝けない

3/5
19人が本棚に入れています
本棚に追加
/116ページ
「小柴には今日から、姫川についてもらいます。 姫川がどういう姿勢でどんな風に仕事に取り組んでいるのか、よーーく観察して下さい。朝の走り込みをしてから一緒に仕事に入ってもらいます」 出社早々、水沢からこう言い渡された。 「姫川から学ぶことは本当に多い。それをとりこぼすことなく、自分のものにするように」 いつもの訓練から解放されることに、小柴は正直ほっとしていた。 しかし、本当に大変なのはここからだったのだ。 朝のランニングが終わった後、姫川と小柴はガントレイの格納庫にいた。 「まず朝のスタートは、本日搭乗予定の機体のリスト確認」 「えーっと、どの機体に乗るんですか?」 「これ全部だ」 姫川は壁一面に整然と並ぶ10機以上はあるだろうか、ガントレイを指し示した。 「いっ?!」 「これは試作開発中の機体や改良型のガントレイなんだ。毎日検査項目を渡されてチェックをして、報告書を提出する。昼までにな」 「お昼までにこれ全部?!」 小柴は腰を抜かしそうになった。 「休憩一時間はさんで、13時からは4課の整備班との打ち合わせ。14時からは水沢さん・香住さんと出撃機、プロデューマ310-RHの性能確認と戦術ミーティング。15時からは浅井さんの引継ぎ事項の再チェックをして小宮山係長へ提出。15時45分からはプロデューマの点検をしてから筋トレとランニング。17時半には事務室へ戻って小柴と一日の振り返りと日報作成。18時半に退社だ」 姫川が見せたタブレット画面の行動計画表には、びっしりとスケジュールが詰め込まれていた。 「こっこれ…今日全部やるんですか?」 「そうだよ。さぁ、もたもたしている暇はないぞ!」 そう言うと姫川はさっさと機体へ向かっていた。彼はガントレイの整備点検にも精通しており、基本的なチェックは自分でこなすことができるのだ。 「整備隊のみなさんに細部までのチェックはお願いしているけど、パイロット目線でしかわからないところもあるんだ。だから小柴も整備についてはしっかり勉強するんだぞ」 姫川は搭乗予定の機体を恐ろしいスピードで点検すると同時に、検査項目を次から次へとクリアしていく。小柴は走り書きのメモをとることで必死だった。 12時きっかりに午前の仕事を終わらせ、食堂で昼食休憩をとる。 姫川はカツカレー定食セット+小うどん、小柴は月見そばを注文した。 「それにしても浅井さんの時はごめんな、小柴」 席に着いて早々、姫川は申し訳なさそうに謝ってきた。 「え?いえ全然・・・」 「本当は俺が出撃しなければいけない場面、前日に負傷してしまったがために許可が下りなくて・・・」 「それは仕方がないことじゃないですか。お怪我の方はもう大丈夫なんですか?」 髪をかきあげると、生え際に傷があった。傷は横に入っていて、縫った跡が痛々しい。 「嫁さんにフライパンで頭はたかれちゃってさ!一瞬意識失って救急車で運ばれちゃって〜情けないよな」 「ええっ?!一体なにがあったんですか・・・?!」 「嫁さん、いま妊娠中でさ。すごく体調が悪くて、俺が家事とか手伝わなきゃいけないのに、1課の仕事が忙しくて家帰るのが連日遅くなっていたんだ。 何度も言われてたんだけど全然協力できてなくて、業を煮やした嫁さんにはたかれちゃった」 姫川はアハハ、と頭をかいて苦笑している。 「そ、それは大変でしたね・・・」 「そんで浅井さんの件も重なって、3課にしばらく専念させてもらうことになったんだ。 でも、あの時小柴が勇気を持って出動してくれたからなんとか場を治めることができた。本当に感謝しているよ」 話しながら、姫川はカツカレーを大口で頬張る。 「いいえ、僕は何も出来ませんでしたから・・・」 「いや。小柴は自分の役割を果たそうとしたんだ。それは誰にでもできることじゃない。 採用試験の時も、そうだったんだろう?」 俯いていた顔を上げると、姫川はもうカツカレーをほとんど平らげようかとしていた。 「僕は夢中で・・・指示されるがまましかできなくて・・・自分では、何もできないんです…」 「今はそれでいい。 誰に言われなくても、自分が今やらなくてはいけないこと、いずれは自然とわかるようになる。自分の現在地をしっかり自覚し、どうしたらもっとできるようになるか、常に考え続ければね」 小うどんをスープのように流し込み、姫川はニカッと白い歯を見せ屈託なく笑う。 分刻みのスケジュールを鬼のようにこなしていく姫川を約10日間、間近で見て感じたことは、姫川は仕事ができる非常に優秀な人間だということだった。 パイロットという域を越えて、現場から事務まで幅広い仕事をこなし、3課にとっては必要不可欠な存在だったのである。 彼は与えられた仕事以上の成果を残すのだ。 頭の回転の速さはもちろん、人当たりもとても良いし、仕事は正確かつ迅速にこなし、鋭い意見を発言するので周りから信頼され、重宝されているのだとわかった。 自分が忙しい中でも、小柴には一から丁寧に説明を尽くし、一日の終わりの振り返りではわかりやすいマニュアルを作成して疑問点には真摯に答える。 そして定時までには必ず仕事を終わらせ、誰よりも早く退社するのだ。 小柴は日毎に姫川の偉大さを知り、同時に自分との落差を自覚し、やがて打ちのめされていくのだった。 水沢は日に日に落ち込んでいくそんな小柴の様子を、隣で黙って見ていた。 「(姫川先輩は僕と二個しか歳が違わないのに、何でも仕事ができて、みんなから信頼されていて、すごいなぁ。 僕の仕事までさりげなくカバーしてくれるし・・・)」 ランニングや筋トレや模擬演習に一人明け暮れる日々の方が、気楽だった気さえする。 ぼーっと考え込みながらとぼとぼと廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。 「あっ!小柴くん小柴くーん!」 「ん・・・咲姫さん」 1課の同期、咲姫志摩だ。咲姫は笑顔で駆け寄ってくる。 「小柴くん久しぶり〜!同じ越谷ベースにいるけど、バカ広いからなかなか会わないねぇ。 今日の同期会は小柴くんも行くんでしょ?」 「同期会?」 「今日!東京で同期飲み会やるってチャインで回ってきたでしょー?」 そう言えばそんなメッセージが来ていた気がするが、連日の忙しさで気にも留めていなかった。 「あーそうだった、かな・・・?でも僕は行けないよ」 「えーっなんでよ!小柴くんと一緒にいくって返事しちゃったよ」 「いやいや勝手に返事しないでよ・・・今日も残業だし・・・」 そこへたまたま通りかかった水沢が、声をかけてきた。 「残業は私がやっておくから行きなさいよ」 「響子さん・・・?!」 「やった!先輩、ありがとうございます! じゃ小柴くん、18時45分に正門ゲート集合ね!」 咲姫は笑顔で手を振りながらさっさと行ってしまった。 「たまには同期と息抜きしてきなさいよ。小柴は研修にも行けなかったし、同期にしか話せないことも色々あるでしょう」 「すみません・・・お気遣い、ありがとうございます」 小柴はぺこり、と頭を下げる。 「ところで、さっきの子はどこの課?」 水沢は咲姫の後ろ姿をじっと見ていた。 「1課の同期で、咲姫です」 「ふーん・・・あれがウワサの越谷ベース大型新人か」 「ああ、ご存知でしたか? 彼女、東大卒の秀才で同期トップ成績、入社式の代表スピーチも読んだんですよー。すごい子なんですよね」 「・・・私もトップ入社でスピーチ読んでるから。大学の先輩だし」 水沢はなぜかムスッとした顔になっていた。 「ほら小柴!今日は定時で上がるんだからボサボサするな!」 「あっはい!」 ずんずんと歩き出す水沢に、慌ててついていく。
/116ページ

最初のコメントを投稿しよう!