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一から説明すればとても長くなるのだが、僕には十歳年上の姉がいる。
父は僕が五歳の時に病死して、その後は母子三人で支え合って仲睦まじく暮らしていたが、母も僕が中学生の時、同じく病で亡くなった。すでに社会人だった姉が、僕にとって保護者であり、母親のような存在だ。
姉は僕が大学に入学した年に、恋人と結婚した。その恋人が、実は先生の弟だったのだ。結婚式当日、スーツ姿の先生を見つけたときは、あまりの驚きでうわあって叫んでしまったくらいに、何も知らないまま、僕は先生と親戚になってしまった。
僕の姉の夫、つまり義兄の新(あらた)さんは姉と同い年で、プラントエンジニアリング会社の電気技師として働いている。大学時代からの付き合いで、ふたりはとても仲良しだ。
ただ、新さんはずっと海外勤務で、いまはマレーシアにいる。ふたりの将来の設計図はよく知らないけれど、いまのところ別居婚という形式を選んでいる。つまり、独身の頃と同じように、僕と姉は実家で一緒に暮らしている。
姉の妊娠が発覚したのは、結婚式から二ヶ月も経たない頃だった。間違いなくハネムーンベイビーだ。だって、沖縄への新婚旅行から帰ったその足で、新さんはマレーシアにとんぼ返りしてしまったのだから。
姉は大手損保会社で正社員として働きながら、産休まで仕事をこなした。もちろんつわりがあったし、その後はお腹が膨らんできたから、家事のほとんどは僕の仕事になったけど、母の死後からふたりで家事を分担して暮らしてきていたので、料理も家事も、僕には全然苦じゃなかった。
むしろふたりきりの生活に赤ん坊が加わることが楽しみで、暇なときは姉の育児書を読み、赤ん坊のお世話の勉強もした。姉は二ヶ月の育休で職場復帰する予定だったから、僕が面倒見る機会も多いだろうと、張り切っていたのだ。
そして迎えた八月五日。葵が生まれた。三千百グラムちょうどの、元気な女の子だった。
「ヒー」という甲高い泣き声が特徴的で、本当に小さくて、可愛くて。こんな可愛い子を産んでくれた姉と、父親の新さんに、心の底から感謝の気持ちが涌き起こってきた。
僕は葵を撮って、すぐさま新さんに送った。子どもの誕生を心待ちにしていた新さんは、姉の出産直前に勤務するプラントが大規模な爆発事故を起こして、その事故対応に追われて帰国できなくなっていたのだ。
新さんからは「ありがとう。実咲と葵のこと、よろしくお願いします。」とすぐに返事が返ってきた。
葵はよく眠って、たくさんおっぱいを飲んで、とても元気だった。姉もそんな葵を「かわいい、かわいい」と眺めて、産後のふらふらした身体で、それでも熱心に面倒を見ていた。何もかもがしあわせだった。
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