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 え、え、え、という声で目を覚ました。泣き始める少し前の、僕を呼ぶ声。目は覚めたけれど、身体が動かなくてそのまま横になってうとうとしていたら、案の定エーともヒーともつかない声で泣き始めた。 「ちょっと待って、今起きるから」  眠い目を擦りながらのそのそと身体を起こすと、葵は火がついたように顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。 「はいはい、すぐ用意するから待ってろ」  電子レンジで消毒をすませたほ乳瓶に粉ミルクをこぼさないよう慎重に入れて、ポットの湯を注ぐ。良く振ってから水を張ったお椀で少し冷まして、頃合いを見て手の甲に落とす。丁度いい温度だ。  泣きわめく葵を抱えてあぐらをかいた膝の上にのせると、ミルクに気づいたのか、鳴き声が穏やかになる。口元にほ乳瓶の口を近づけると、勢いよく吸い始めた。  乳臭さを全身から発散させながら、葵は夢中でミルクを飲んでいる。あまりにも真剣な眼差しに、おもわず顔がほころぶ。 「いい飲みっぷりだなあ」    あっという間に飲み干して、葵は「ほおっ」とした表情を浮かべる。この上なく満足そうな顔。抱き上げて、肩に抱き寄せてから、背中をしばらくさすると、「げーっ」と大きなゲップが出た。  すっかりご機嫌の葵のおむつを替えていると、かすかな足音が聞こえた。 「お疲れ。お茶でも淹れようか?」 「……起きなくてもいいのに」 「葵の声が聞こえたら、自然と目が覚めるんだ」  真夜中の二時だ。こんな時間に起きていたら、明日の仕事に差し支えるに決まってる。 「僕は朝寝できるから大丈夫。先生は、寝なきゃダメだ」 「君だって、眠いのにいつも朝食作ってくれるだろう。お互いさまだ」  そう言ってキッチンに向かうと、ティーポットを用意してきた。 「美味しいアールグレイを見つけたんだ。一緒に飲もう」  にっこりと微笑む先生の顔はとても素敵で、葵を抱き抱えたまま、僕はその笑顔にぼおっと見惚れてしまう。
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