第1章 因幡国(いなばのくに)

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第1章 因幡国(いなばのくに)

 トオルが鬼神・鬼蜘蛛を連れて部落に戻ったのは、申の刻(午後4時)ごろのことでした。彼が呼ばわると、祖父母は畑仕事の手を休めて駆け寄ってきます。ふたりの足取りは、とても50歳を過ぎた老人とは思えないものでした。  40年ぶりの再会でも、仁王丸はすぐに鬼蜘蛛と分かったようです。 「久しいな。葛城山の麓で別れて以来だ。胡蝶(こちょう)ねえさまは息災(そくさい)か」  鬼蜘蛛の主人、胡蝶は東国におりますが、元はこの部落の生まれだそうでした。 「私がこの世に留まっておるのだから、主人もまだ生きている。仁王丸、一緒に東国へ下ってくれないか。胡蝶も会いたがっていた」  祖父が返事をするよりも先に、なでしこが割って入りました。 「話は後にして、まずは中へどうぞ」  鬼蜘蛛は影となって祖父の家に入り込みます。ふたたび姿を現すと、寺の釣鐘ほどもある巨体を鞠のように縮こめました。その様子には、なんとも言えぬおかしみがあります。  8本脚を器用にたたんで祖父と向かい合うと、鬼蜘蛛は武蔵国(むさしのくに)上総国(かずさのくに)下総国(しもうさのくに)あたりに現れるという怨霊(おんりょう)の噂ばなし、上総の国守が(みやこ)(かえ)るのだが道中が不安だ、などということを語り始めました。鬼蜘蛛は話し上手ですが、話の中身はどうみても老人どうしの世間話です。  トオルは東国で起きているという大事について、興味がありました。以前から、里を飛び出していろいろな国を見てみたいと願っていたので、鬼蜘蛛の求めに応じて東国へ助けに行くのも悪くないな、と思い始めていたのです。  祖母のなでしこは夕飯のしたくを始めました。鬼蜘蛛の話がなかなか本題に入っていかないので、トオルは思わずため息をつきます。  もう半刻もすれば陽が山の向こうへと落ちるでしょう。それでもまだ鬼蜘蛛の話は続きます。
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