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「ところで、ご主人、かなり鍛えてらっしゃるようですね」
とスーツの上からでもわかる貴弘の締まった身体を見て、大家のおじさんが笑う。
「私も毎週ジムに通ってるんですけどね」
と何故か、筋肉トークが始まった。
……そうだったのですか、大家さん。
去る間際になって、初めて知りましたよ。
ナスときゅうりを作るのが上手くて、大量に余らせては、店子に配って回るのは知っていたのですが。
そして、大家さんと従兄のお嫁さんのおじさんが同じ高校の同級生だという、今更知ったところで、どうなるものでもないことも知ったところで、大家さんとは別れた。
……この人と並んでにこやかに手を振ったりなどしたら、本当に夫婦みたいなんだが、と思いながらも、大家さんに罪はないので、笑顔は崩さなかった。
ちょうど信号は赤。
渡れない大家さんがいつまでも視界に入っているので、笑った顔のまま、のどかは言った。
「やばいです。
大家さんの中では、我々はもう完全に夫婦になってますよ」
「……世界中、何処でも、もう夫婦だろ」
と言いながら貴弘は夕陽を背にした区役所を振り返り、
「そういえば、お前、もう処理が済んだのかどうかすら確認しなかったな。
お前は仕事のできない人か」
とクビになった身にトドメを刺してくる。
いや、別に仕事にミスがあって、クビになったわけではないのだが……。
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