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ゆっくりと彼の顔が近づいて。
私は無意識に瞼を下ろしていた。
そうして、唇が重ねられようとしたその瞬間。
大きく体が震えた。
『いいか、男を信用するな』
『母さんみたいな女にはなるな』
頭の芯を殴られたような感覚と一緒に、父さんの声が脳内を揺らす。
「いやっ!」
気付いたら、涼平さんを突き飛ばしていた。
「あ……ごめ……ごめんな……さ」
傷つけた――
彼の目を見てハッキリと悟った。
やっぱり駄目だ。
分かっていたのに……だからもう会わないって決めたのに。
震える指先でシートベルトを外した。
「送って下さってありがとうございます。ここからは、ひとりで帰ります」
「待って、巴ちゃん!」
車を飛び降りて全力で走った。
走りながら何故だか、煙草をくわえた桜田課長の横顔を思い出した。
課長の瞳の奥に住み着いた孤独が、私を意味深に見つめている。
そんな光景が浮かんで、そして朝の光に溶けた。
涼平さんは……追ってはこなかった。
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