クリスマス

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クリスマス

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ クリスマス ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 翌週、私は拠点勤務地の変更を申請した。 私の勤める県では、初任から6年目までくらいは、遠方に飛ばされる事も多い。 しかし、それ以降は拠点となる勤務地を登録しておくと、基本的にはその中での異動となる。 私は、実家のある地域を拠点勤務地としていたが、今いる地域を拠点勤務地に変更した。 私は現在6年目。 次の異動でも、この地域に留まる事を選んだ。 そして、瀬崎さんは、一週おきくらいに私の部屋へ来るようになった。 お昼前に来て、お料理をして、おしゃべりをして、キスをして… 付き合ってないと言いつつ、キスをするってどうなの!? もはや、詭弁でしかない気もするけど、それでも、建前だけでもちゃんと取り繕っておきたい。 私は昔から、真面目な優等生タイプで、ルールからはみ出す事が苦手だった。 それは、今も変わらない。 黙ってればいい…と言う人もいる。 だけど、黙ってても私自身が落ち着かない。 だから、制服も校則をきっちり守ってたし、宿題も忘れた事がない。 その性格が、現在の状況を生んでいるんだと思う。 私たちは、付き合ってない。 その一点があるおかげで、私は罪悪感なく瀬崎さんに会う事ができるんだ。 武先生とは、結局、何の進展もないまま、年末まで来てしまった。 優しい武先生は、週末、よく食事に誘ってはくださるが、私が都合が悪いと言うと、それ以上、無理強いはしてこない。 だけど、ほんとにこのままでいいのかな? 変に期待を持たせたままじゃ、申し訳ない気もするし。 そんな事を考えていた12月の中旬。 私が教室の掲示物を張り替えていると、武先生が隣のクラスからやってきた。 「夕凪先生。」 「はい。」 なんだろう? 成績の事かな? 「24日、空いてますか?」 24日って、クリスマスイブ!? 瀬崎さんからは何も誘われてない…っていうか、嘉人くんもいるし、誘われる事はないと思われる。 だけど、これに続くのは、きっとデートの誘いだよね? どう答えるべき? 私が返事に困ってると、 「もしかして、もう予定ある? 瀬崎さんと。」 「えっ、あの… 」 っ!? なんで!? なんで、瀬崎さんの事、知ってるの? 「悪い事は言わないから、保護者はやめた方が いい。 うまくいっても、いかなくても、辛い思いを するのは、夕凪先生だよ。」 武先生は穏やかに言う。 「えっと… 」 これは、なんて答えればいいの? 「夕凪先生ん家の駐車場に瀬崎さんの車が 止まってるのを何度か見かけたんだ。 付き合ってるんだろう?」 ああ、そういう事! 瀬崎さんの車、珍しいから、知ってる人が見たら、すぐ分かるもんね。 「あの、違うんです。 実は、私、お料理が全くできなくて… 瀬崎さんにお料理を習ってるんです。」 「えっ?」 いつも落ち着いた武先生が、珍しく驚いた声を出した。 だけど、それも一瞬の事で、すぐにいつもの武先生に戻って言った。 「夕凪先生、いい大人が、それを信じられると 思う?」 そう…だよね。 だけど… 「信じていただくしかありません。 私も、その程度の分別は持ち合わせている つもりです。 少なくとも、担任する児童の保護者とどうこう なる程、無責任ではないつもりです。」 そう。 だから、瀬崎さんの様々な言葉にも、返事を返さないできたんだから。 「じゃあ、24日、付き合っていただけますか? 詳しい話は、その時聞きますから。」 「………はい。」 これ、断れないよね? 断ったら、瀬崎さんと何かあるからだと思われちゃう。 だけど… クリスマスイブかぁ… 別に、クリスマスだからって、何かがある訳じゃないけど、好意を寄せてくれるのに好意を返せない人と過ごすのは、気が重いなぁ。 私、なんで武先生の事を好きにならなかったんだろう。 こんなにかっこよくて、いい人なのに。 人の気持ちって、ままならないなぁ。 それからしばらくした週末、クリスマス直前の日曜日。 瀬崎さんが私の家にやってきた。 「こんにちは。」 そう言って玄関に現れた瀬崎さんは、いつものスーパーの袋じゃなくて、大きな紙袋を提げていた。 「あれ? どうしたんですか?」 不思議に思って聞くと、 「ちょっと早いけど、夕凪とクリスマス パーティーしようと思って。」 と紙袋を広げて見せた。 中には、たくさんのお料理。 「これ、どうしたんですか?」 「うちの店でテイクアウト用に作らせたもの だよ。 さすがに1人で全部作るのは無理だからね。」 と瀬崎さんは笑う。 えっ!? Accueil(アクィーユ)のお料理!? 一体、いくらかかってるの!? 「こんなにたくさん、いいの?」 「もちろん。 と言っても、品数が多いだけで、量は2人分 だから、そんなに多くはないんだ。」 それでも、フレンチレストランのお料理だもん。 安いはずがない。 瀬崎さんは、おいしそうなお料理をテーブルの上に所狭しと並べ、最後にお酒だと思われるボトルを取り出した。 「今日は特別。 とっておきのシャンパンを持ってきたよ。」 シャンパン!? 「瀬崎さん、帰りはどうするの?」 お酒を飲んだら、運転できないでしょ? 「泊まろうかな?」 「え!?」 瀬崎さんは私に艶っぽい視線を向ける。 それって… どうしよう!? どう答えればいいの? うろたえる私を見て、瀬崎さんは吹き出した。 「くくっ 冗談だよ。 今日は、夕凪と飲みたくて、タクシーで 来たんだ。 帰りもタクシーを呼ぶから大丈夫だよ。」 ほっ… 焦ったぁ。 クリスマスだし、本気かと思った。 「くくっ 夕凪、そんなあからさまにほっとするなよ。 俺が傷つくだろ?」 「あ、いえ、そんなつもりじゃ… 」 私が慌てて取り繕おうとすると、 「ま、夕凪のそういうところも かわいいんだけど。」 と、頭をポンポンと撫でられた。 キャー!! どうしよう。 胸がキュンキュンするよ。 ドキドキが止まらない。 「くくっ 夕凪、シャンパン開ける前から顔赤いよ。 そんなにかわいい態度を取られたら、 ほんとに泊まりたくなるだろ?」 えっ!? 私は驚いて顔を上げると、一歩踏み出した瀬崎さんにふわっと抱き寄せられた。 瀬崎さんの腕に包まれて、ドキドキすらも心地よくなる。 私は瀬崎さんの背に腕を回してキュッと瀬崎さんのニットを掴んだ。 「夕凪、好きだよ。愛してる。」 瀬崎さんが抱き締めたまま、耳元で囁く。 私は一気に耳が熱を持つのを感じた。 瀬崎さんは一瞬腕を緩めて、顔を傾けた。 そのままゆっくりと近づいて、そっと私の唇に触れる。 だけど、瀬崎さんの唇は、一瞬触れただけで、すぐに離れていった。 私には、それが寂しかった。 瀬崎さんにもっと触れたい。 触れてほしい。 そう思う私がいる事に驚いた。 「夕凪ん家にはないかなと思って、 これも持ってきた。」 そう言って、瀬崎さんが取り出したのは、丁寧に緩衝材で包まれたシャンパングラス。 「ふふっ 正解! 一人暮らしの家にそんな物必要ないもん。」 私はそれを受け取ると、キッチンで洗い直した。 瀬崎さんが、テーブルセッティングを終えると、2人で向かい合わせに席に着く。 「夕凪、クリスマスにはちょっと早いけど、 乾杯!」 瀬崎さんに注いでもらったシャンパングラスを掲げて乾杯をする。 「ん、おいしい!!」 香りがふわっと鼻から抜けて、ほんのり甘みも感じられて、とても飲みやすい。 「こんなにおいしいと飲みすぎちゃいそう。」 私が言うと、 「いいよ。 ここは、夕凪ん家なんだから、うっかり 寝ちゃっても、管を巻いても大丈夫だよ。」 と瀬崎さんは笑ってくれた。 「ええ!? そんな事、しません!」 私が口を尖らせると、 「くくっ それは楽しみ。 夕凪と酒を飲むのは初めてだもんな。」 そうか。 いつも瀬崎さんとは、食事しかしてなかったんだ。 「ふふっ 私も楽しみ。 瀬崎さんは、お酒強いの?」 「まあ、それなりには。 夕凪は?」 「んー、弱くはないと思うけど、ざるって 言う程、強くはないかな。」 「ああ! そういえば、夏頃、俺が電話したら、 ご機嫌で酔っ払ってた事があったな。」 「えっ!? 嘘!?」 そんな事、あった? 「嘘じゃないよ。 ほら、学年主任さんとデートの約束してきた 日。」 武先生とデート? 「ああ!! あの映画の?」 「そうそう。 あの時、電話越しの夕凪がかわいくて。 そのまま、電話を切って会いに行きたいと 思ったよ。」 瀬崎さんは、微笑んで言う。 「ええ!? 全然、覚えてない。 私、何、言った?」 「くくっ それは、すっごくかわいいから俺だけの秘密。」 「ええ!? 気になる〜 私、なんか、変なこと言った?」 「言ってないよ。 いつもより、ちょっと素直だっただけ。」 素直って? 私、何言ったの? 「瀬崎さん、すっごく気になるから、 教えてください。」 「じゃあ、ご褒美くれる?」 「ご褒美?」 「ああ。 俺だけの宝物を披露するんだから、 何かご褒美があってもいいんじゃない?」 ご褒美かぁ。 「それって、私が真っ先に思い浮かべた ご褒美でもいいんですか?」 「お? 夕凪が真っ先に思い浮かべたご褒美? いいよ。それ、すごく気になるし。」 「じゃあ、ご褒美あげるから、教えて?」 ご褒美、瀬崎さん、怒るかな? 「夕凪に『ご機嫌だな』って言ったら、 俺からの電話が嬉しいからって 言ってくれたんだよ。 俺のために学年主任さんと2人では飲みに 行かないようにした、とも言ってたな。 どんなに『好き』って言ってもらうより、 舞い上がると思わないか?」 は、恥ずかしい。 それって、好きって言ってるのと、変わらないよね。 私は、照れ隠しにシャンパンを飲む。 すると、瀬崎さんは、また笑う。 「夕凪は素直でいいなぁ。」 「えっ? 何が?」 私がキョトンとすると、 「今、照れてる? 恥ずかしいの? 顔が赤いのは、シャンパンのせいだけじゃ ないよね?」 嘘!? 私は、頬に手を当ててみる。 確かに顔が熱い。 「もう!! そこは、気付かないふりしてよ。 余計に恥ずかしいじゃない。」 私は立ち上がって、バッグから手帳を取り出した。 私は、手帳の裏表紙の所に挟んであったシールを取り出し、瀬崎さんの手の甲に1枚貼った。 かわいらしいイチゴドーナツのシール。 「よくがんばりました。 ご褒美です。」 そう。 小学校教諭にとって、1番馴染みがあるご褒美は、シール。 シールひとつで、不思議なくらい頑張れるんだから、子供ってかわいい。 「くくっ これ、嘉人なら、喜ぶんだろうなぁ。」 瀬崎さんは苦笑してる。 「それは、もう、大喜びです。 ただ、嘉人くんは、予定帳に貼ったのに、 やっぱり剥がして、下敷きに貼り直し、 やっぱり剥がして、定規に貼って、 もう貼り付かなくなってるから、わざわざ 糊を塗って貼り直すんだけど、糊じゃ定規には くっつかなくて剥がれてしまうから、 最終的には、怒って癇癪を起こすん ですけどね。」 「くくっ それは申し訳ない。」 「いえいえ、それも嘉人くんの個性ですから。 そうやって、シールは1度貼ったら、もう 剥がしちゃダメなんだって、学んでいくん でしょうけど、今のところ、まだ学習できて ません。 いつ、覚えられるのか、私も楽しみに してます。」 「じゃあ、スマホにでも貼っておこうかな。」 と瀬崎さんは、スマホをポケットから出して、本当にかわいいイチゴドーナツのシールを貼った。 「え!? いいんですか? イチゴドーナツですよ?」 私が驚いて聞くと、 「夕凪にもらったご褒美、どこに貼っても いいんでしょ?」 とシールを貼ったスマホを見せてくれる。 「いいですけど、社長さんのスマホにピンクの イチゴドーナツのシールが貼ってあったら、 取引先の人とか、驚きません?」 「そしたら、会話のいいきっかけになるから、 いいんだよ。」 「そういうものなの?」 「うん。 『かわいいですね』とか『どうしたんですか』 って聞かれたら、 『いいでしょう? 好きな女性にもらったんです』 って答えるだけで、会話が盛り上がるでしょ?」 す、好きな女性って… 私はまた、シャンパンを飲む。 結局、瀬崎さんの甘い言葉の数々に翻弄されて、私はシャンパンを飲みすぎてしまった。 食事を終える頃には、私はなんだかふわふわとご機嫌になっていた。 「夕凪は、先生をずっと続けるの?」 「うん。 できれば、定年まで先生でいたいな。」 「そうなんだ。 じゃあ、もし、俺が東京に行くから、一緒に ついて来てって言ったら、どうする?」 「ええ? 東京? そしたら、東京の採用試験を受けなきゃ いけないから、すぐにはいけないかなぁ。 東京はどうか分かんないけど、現役の教師だと 採用試験でいろいろ免除になる事もあるって 聞いた事があるから、忙しくても現役のまま 受けた方が有利らしいんだ。」 そう、公立の小学校の教員は、地方公務員だから、他の都道府県には転勤できない。 「そうなんだ。 先生も大変なんだね。」 瀬崎さんは、さらっと言うけど、私は何かが引っかかった。 「もしかして、瀬崎さん、東京に引っ越すの?」 「いや、決まった訳じゃないんだ。 そういう選択肢もあるっていうだけの事 だから。」 そういう選択肢? でも、瀬崎さんって、社長さんだよね? 「社長さんにも、転勤があるの?」 訳が分からなくて、酔いの回ったふわふわした頭で聞いてみる。 「くくっ 転勤はないよ。 今の会社は、元々、父の会社なんだ。 東京には母の親族がやってる会社があって、 うちの業績を見たその親族から誘われてね。 でも、そうすると、時間も自由にはならないし、 嘉人も転校させなきゃならない。 夕凪も連れていきたい。 って考えると、簡単には決められないな…と 思って。」 でも、簡単には決められないって事は… 「いろんな条件が許せば、東京に行ってみたい って事?」 私がそう聞くと、瀬崎さんは、少し困った顔を見せた。 「そう…だね。 小さな会社を大きくするのも、もちろん楽しい んだけど、大きな会社で、世界を相手に勝負 するのも魅力的だと思うから。」 ん? 「その東京の会社は、大きな会社なんですか?」 「ああ。 夕凪も聞いた事ぐらいはあるんじゃないか? 丸一(まるいち)グループだよ。」 「丸一って、終戦後にGHQに財閥解体された、 あの、丸一ですか?」 「くくっ そうそう、その丸一。 母は、その創業者、一宮 敬嗣(いちのみや たかつぐ)玄孫(やしゃご)なんだ。 今、母の兄、つまり、俺の伯父が社長で祖父が 会長をしてるんだけど、おじの所には、娘しか いなくてね。 優秀な社員と結婚させて…と思ってたらしい んだけど、その娘たちがまた、自由奔放な 性格で、長女は婚約破棄してスポーツ選手と 結婚したし、次女は独身主義で、丸一の グループ会社で社長をしてるんだけど、 本社を継ぐ気はないと言い張るから、困った 伯父が俺の所へ来たんだ。」 はぁ… 私は思わず、ため息を吐く。 私、6年生を担任した時に教えたよ。 戦前の三大財閥がGHQによって解体された事。 農地解放とかと一緒に、嘉人くんも5年後には習うよ。 瀬崎さんは、そんな会社を継ぐの? でも、それって… 「そんな大きな会社の社長さんになるなら、 奥さんは専業主婦じゃなきゃ、ダメなんじゃ ないの?」 「夕凪は、夕凪の好きな事をしていいんだよ。 俺は夕凪の人生を一生かけて守っていくから。 夕凪を縛り付けなきゃいけないなら、俺は そんな会社継がないし。」 でも、そんなすごい人の横に、私一緒にいてもいいのかな。 「ただ、俺がいくら頑張っても、東京の採用 試験を免除にする事は出来ないから、そこは 夕凪に頑張ってもらうしかないんだけど。」 「っ!! それは、当たり前だよ。 一年後、無事、採用されるように頑張るね。」 早速、東京の採用試験の内容を調べなきゃ。 「くくっ ありがとう。」 瀬崎さんは、なぜかクスクス笑ってる。 「瀬崎さん?」 「夕凪、気付いてる?」 「何?」 「夕凪、今、俺のプロポーズにOKの返事を くれたんだよね?」 「えっ!?」 私、そんなつもりは… 「俺が東京について来て欲しいって言ったら、 東京の採用試験を受けるって。 それって、俺と一緒になってくれるって事 でしょ?」 「あ… 」 どうしよう!? 担任する児童の保護者と恋人になるのもダメだけど、婚約者はもっとダメだよね。 「ま、でも、夕凪の立場もあるし? 今のは聞かなかった事にするよ。 でも、嬉しかった。ありがとう、夕凪。」 返事に困った私は、また所在なくシャンパンを飲んでごまかす。 だけど、そのせいで限度を超えたんだと思う。 気付けば、私はベッドで寝ていて、辺りは真っ暗だった。 私は、慌てて飛び起きて、階段を駆け下りたけど、そこには当然、瀬崎さんの姿はなく… テーブルの上に、メモが1枚置かれていた。 《夕凪へ よく寝ているようなのでこのまま帰るよ。 また、連絡する。 来年は、一つ屋根の下でクリスマスを 過ごせたらいいな。 今日は、楽しかったし、嬉しかった。 夕凪、愛してるよ。 瀬崎幸人(せざき ゆきひと)》 ああ… なんで私、寝ちゃったんだろう。 2階まで瀬崎さんが運んでくれたのかな? 重いのに、申し訳ない。 もう少し、瀬崎さんと過ごしたかったのに。 その数日後、24日は平日のため、私は普通に授業をする。 でも、子供たちも今日はなんだかそわそわ落ち着かない。 「みんなの家には、今日、サンタさんが 来るのかな?」 私が聞くと、 「来るよ〜」 「ゲームもらうの!」 「私はおもちゃ!」 と口々に答える。 「そう。いいねぇ。 でも、サンタさんって、いい子の所にしか 来ないんじゃなかった? みんないい子かなぁ? 先生、サンタさんにあの子とこの子は 授業中にお喋りしてましたってお電話 しようかなぁ。 廊下を走ってた事も教えてあげないと いけないよね。」 そう言うと、みんな慌てて姿勢を正して前を向く。 サンタさんパワー、絶大。 そうして1日を終え、子供たちを送り出すと、隣の教室から武先生が来た。 「夕凪先生。 今日も送りますから、車を置いて来て ください。」 「いえ、この間、お酒で失敗したので、 今、禁酒中なんです。 あ、武先生は遠慮なく飲んでくださいね。」 私はやんわりと武先生の送迎をお断りした。 「そうかぁ。 今日はワインが美味しいお店に行こうと 思ってたんだけど、やめた方がいいね。 夕凪先生、行きたい所ある?」 武先生は今日も優しい。 なんで私なんかにこんなによくしてくれるんだろう。 こんな風に気を使ってもらっても、気持ちは返せないのに。 「いえ、私は、どこでもいいので、 そのワインのお店でいいですよ。 今どき、どこでもノンアルコールの飲み物は 置いてあるでしょ? きっと雰囲気だけでも楽しいと 思いますから。」 「そう? じゃあ、後ろについて来て。 もし、逸れた時のために、お店の情報も 送っておくね。」 武先生はそう言って、お店のホームページのURLを私のスマホに送ってくれた。 私たちは仕事を終え、連れ立って学校を出る。 武先生の車の後について行き、駅前の市営駐車場に車を入れる。 「駐車券は持ってきてくださいね。 お店で駐車料金を清算してくれますから。」 武先生が教えてくれた。 私は、武先生の一歩後ろをついていく。 武先生が連れて来てくれたのは、駅前の複合ビルの最上階にあるワインバーだった。 ここは田舎ではあるけれど、駅前はそれなりに開けていて、窓から見える夜景はとても綺麗だ。 これ、明らかにデートコースだよね。 そんな気持ちもないのに、私なんかが来て本当に申し訳ない。 武先生は、自分のワインと私のノンアルコールのワインを注文してくれた。 「乾杯くらいはしてくれるよね?」 武先生に聞かれて、私は慌てて頷く。 「もちろんです。」 「乾杯。」 武先生に合わせて、グラスを持ち上げる。 「で? 夕凪先生の近況を聞かせてもらおうかな。」 武先生は、いつも通り、優しく微笑む。 「いえ、近況と言われても、 お話するような事は何も… 」 困ったなぁ。 「じゃあ、俺の誘いを断り続けてた理由は? 俺が嫌いだから?」 「っ!! 違います。 武先生は、すごくいい人です。 優しくてかっこよくて、理想の男性だと 思います。」 「くくっ それは、盛大に褒めてくれてありがとう。 で? それでも、俺じゃダメなんだよね?」 私は申し訳なくて、うなだれて答える。 「すみません。」 「何が違うのかな? 瀬崎さんと。」 「あの、武先生の事は、ずっと素敵だと 思ってました。 だから、武先生が私なんかを相手にする はずがないと思い込んでいて… 武先生は、いつも笑顔だから、その、私の事を かわいいって言ってくださっても、冗談としか 思えなくて… 本当にごめんなさい。」 「瀬崎さんは? 瀬崎さんは、それこそ、俺なんかより背も 高くてかっこよくて素敵な男性だと 思うけど?」 「あの、誤解して欲しくないんですけど、 本当に私と瀬崎さんは、付き合ってる訳じゃ ないんです。」 私が言うと、武先生はやっぱり優しく微笑んでくれる。 「でも、夕凪先生は、好きなんでしょ?」 「………はい。」 「瀬崎さんは?」 「告白…されました。 でも、春まで返事を待つって言って くださってて。 だから、何のお返事もしてません。」 「で、料理を教えるって名目で夕凪先生に 会いに来てるんだ?」 「………はい。」 「俺もずっと、夕凪先生が好きって伝えてた つもりなんだけど、何が違ったの?」 こんな話をしてるのに、武先生は変わらずに穏やかな笑みを浮かべてる。 「瀬崎さんは、とても真剣に仰ってたから、 冗談だとは思えなくて… 」 「そう。 俺は、仕事が一緒だから、後の事を考えると、 あまり追い詰めるような事は出来なくて、 つい冗談とも本気ともつかない態度を 取ってたのかもしれないな。 もっと、真剣に伝えればよかった。」 そう言う武先生は、いつしか顔から笑みが消えていた。 「夕凪先生、聞いてくれる? 俺の長ぁーい片思い。」 私は、返事もできずに、ただ、こくんと頷いた。 「俺、この学校に来る前は、秋川中学に いたんだ。」 「えっ?」 それって、私が教育実習に行った? 「そこにね、とても熱心で一生懸命な教育 実習生が来てね。 すごくかわいくて、気づいたら、いつも目で 追ってた。 だけど、その子には大好きな彼氏がいてね。 時々、学校まで迎えに来てたんだ。 だから、俺は何も言わず、諦めた。 まぁ、言ったら、パワハラとかセクハラとか 言われかねないしね。」 武先生の6年前からの片思いって、本当に私だったの? 「ところが、去年、この学校に赴任して来たら、 その彼女が相変わらずの一生懸命さで 働いてた。 俺は、彼女にもう一度恋をしたんだ。 いい年してって思うかもしれないけど、 好きだからこそ、なかなか想いを 伝えられなくて… でも、今年は、同じ学年の担任になったし、 彼氏もいなさそうだし、頑張ってみようと 思ったんだけど、やっぱり、自信がないから、 ついつい冗談でごまかせるような逃げ道を 作ってたのかもしれない。 でも、本気なんだ。 夕凪先生、君の気持ちが俺にない事はよく 分かってる。 それでも、君を諦めたくない。 俺と付き合ってくれないか? 絶対に大切にするし、幸せにしてみせる。」 武先生は、いつになく真剣な口調で言って、真っ直ぐ私の目を見つめる。 私は、目を逸らしたいのに逸らせなくて落ち着かない。 「夕凪先生も分かってるとは思うけど、 人の口に戸は立てられないよ。 保護者との結婚は、教員を続けるなら、 誰に聞いても反対されると思う。 もちろん、ADHDの子を養育するのも 並大抵の苦労じゃないのは分かってるよね? 俺なら、そんな苦労は絶対にさせない。 だから夕凪先生、俺と付き合おう。 絶対に夕凪先生の気持ちを俺に向かせて みせるから。」 いつもの冗談めかした所は、少しもなくて、武先生が本気なのは、痛いほど伝わってきた。 「あの… ありがとうございます。 私なんかの事を、そんな風に思って いただいて。 でも、私、武先生が好きだからこそ、そんな 条件で選ぶような事はしたくないんです。 武先生の事は、人として、教員として、 尊敬してますし、大好きです。 でも、それ以上には思えないんです。 ごめんなさい。」 私は、武先生に頭を下げた。 なのに… 「俺は諦めませんよ。 夕凪先生は、春まで瀬崎さんには返事をしない つもりなんでしょ? だったら、あと3ヶ月、俺にもチャンスはある。 3ヶ月の間に、夕凪先生を振り向かせます。 もう、冗談でごまかしませんから、覚悟して おいてくださいね。」 ええ〜!? 覚悟って、どうすればいいの? 「とりあえず、料理教室は終了してください。 俺が校長に告げ口しなくても、瀬崎さんの車は 目立ちますから、他の保護者の目に留まって、 変な醜聞を流されないとも限りません。 それで瀬崎さんや夕凪先生が傷つくのは 自業自得ですが、瀬崎嘉人が傷つくのは 可哀想です。 そう思いませんか?」 「………はい。」 武先生の言う事は、的を射ていて、反論のしようがなかった。 「それから、俺とはこれまで通りに。 仕事に悪影響が出るのは、子供たちのために なりませんから、避けたり逃げたりしないで、 極力、普通にね。」 「はい。」 武先生の言う事は、いちいちもっともで、肯定以外の選択肢がない。 「はぁ… それにしても、瀬崎さんがライバルかぁ。 厳しいなぁ。 俺がいつまでも様子を伺ってないで、去年の うちに動いてたら、結果は変わってた?」 瀬崎さんと出会う前って事? そしたら… 「結果は分かりませんが、もし武先生が 本気だと分かってたら、とりあえず、 お付き合いはしたかもしれません。 だって、私、武先生の事、ずっとかっこいいと 思ってましたから。」 「くくっ それは、ありがとう。 でも、それでも、今は俺じゃダメなんだよね?」 「………はい。すみません。」 「俺となら、今すぐにでもみんなから 祝福してもらえるのに。」 「………そうですよね。」 「ま、俺も、そういう融通が効かなくて 真っ直ぐな夕凪先生が好きなんだから、 しょうがないけどね。」 どうしよう。 武先生の視線が色っぽくて、ドキドキする。 断ってるのに、なんでこんなに惑わせられるの? もともと武先生の事は、嫌いじゃないんだもん。 そんな風に言われると、ついふらっと行きそうになるよ。 結局、武先生とは、2時間程、お酒を飲みながら、軽く食事をして別れた。 私は、夜9時過ぎに帰宅して、シャワーを浴びる。 はぁ… なんか、疲れた。 サンタさん、こんなとんでもないプレゼントはいらないんだけど。 そんな事を思ってたら、突然、玄関のチャイムが鳴った。 っ!! こんな時間に誰かが来るなんて思ってないから、心臓が止まるかと思うくらいびっくりする。 インターホンを見ると、瀬崎さんだった。 私は慌てて玄関を開ける。 「こんばんは。」 玄関でにこやかに挨拶をする瀬崎さんに、 「こんばんは。どうしたんですか?」 と思わず質問してしまった。 「うん。これを渡したくて。」 と瀬崎さんは小さな紙袋をくれた。 「これ…?」 「メリークリスマス。 夕凪にプレゼント。」 そう言って、瀬崎さんは微笑む。 「え? もらえないよ。 私、何も用意してないし、それに、保護者の 方からこういうの、もらっちゃダメなんだ。」 そう。 これは、成績を上げてもらうための賄賂と見なされかねない。 「んー、じゃあ、春まで預かってて。 で、春、夕凪が欲しいと思ったらもらって。 もし、いらないと思ったら、返してくれて 構わないから。」 預かる? 「中身は、何? 春まで放置してもいいもの?」 「ああ、大丈夫。 50年後でも使える物だから、安心して。」 そんなに長持ちする物? 「うん、じゃあ、分かった。 春まで預かるね。 開けてもいいの?」 「もちろん。 今、開けてごらん。」 瀬崎さんに言われて、紙袋を覗くと、中には落ち着いたラッピングの小さな箱。 リボンを解いて、赤い包装紙を捲ると、見た事のある有名ブランドの箱。 蓋を開けると、そこにはジュエリーケースと思しき箱が… 「瀬崎さん…?」 私はそれ以上、開けられなくて、瀬崎さんを見上げる。 「ほら、まだ中身は見えてないよ。 ちゃんと開けてごらん。」 瀬崎さんが、私の手にある紙袋や包装紙などを持ってくれて、箱を開けやすいように手伝ってくれる。 だけど、開けてしまったら、もう元には戻れない気がして… きっと中身は受け取ってはいけない物だと思うから。 「でも、これ、受け取れないよ。」 私が言うと、 「そしたら、春に返してくれればいいから。 とりあえず、ここまで開けたんだから、 最後まで開けようよ。」 と、瀬崎さんに促されて、私はジュエリーケースの蓋を開けた。 そこには、きらめく大粒の立て爪ダイヤの左右に小ぶりのダイヤが列をなす今まで見た事もないような豪華な指輪が鎮座していた。 「これ… 」 「指輪の中も見てごらん。」 そう言われて、指輪を取り出してリングの内側を見る。 《 An Everlasting Love 》 「永遠の愛?」 「バツイチの俺がこんな事を言うのは、片腹 痛いと思うかもしれないけど、永遠に夕凪 だけを愛する事を誓うよ。 だから、夕凪… 結婚しよう。」 「え… あの… 」 「うん。 夕凪が答えられないのは、分かってる。 だから、春まで、預かってて。 もし、OKなら、それを指にはめて。 もし、俺とは結婚できないと思うなら、 捨ててくれて構わないから。」 捨てる? そんな事、できる訳ない。 いくら私がブランドやアクセサリーに疎くても、この指輪が何十万円もするって事くらいは分かる。 もしかすると百万を超えてるかもしれない。 「こんなすごい指輪、贅沢すぎて怖いよ。 怖くて受け取れない。」 私が正直に言うと、 「やっぱり夕凪はかわいい!! だから、夕凪が好きなんだ。 夕凪、俺のために受け取ってくれないか? 今は、こんな形でしか夕凪への思いを 表せないから。」 「ええ!? だって、私、教師なんだよ? もらっても、学校にはしていけないんだよ?」 「そうか。 じゃあ、休日限定で。」 いやいや、休日も、こんな豪華な指輪をつけて出かけるような所に行く事もないし。 「気持ちだけいただくから。 本当に私なんかには勿体無すぎて、宝の 持ち腐れになるだけだから。」 私は断るけど、瀬崎さんも思いの外、頑固で。 「夕凪、夕凪がどうしてもって言うなら、春に 返してもらうから、今は夕凪が持ってて。」 そう言うと、瀬崎さんは私が右手に持っていた指輪を取り上げて、私の左手を取った。 まさか、このシチュエーションって… 私が一瞬息を飲んで固まってる間に、瀬崎さんは私の左手の薬指に、それをはめてしまった。 ぅわぁっ… すっごく、きれい… サイズもピッタリ。 でも、どうしよう!? 「うん。 よく似合ってる。」 瀬崎さんは満足そうにひとつ頷くと、 「じゃ、嘉人が待ってるから帰るね。」 と言った。 えっ? あっ! 嘉人くん!! 「嘉人くんは、今、1人でお留守番してるん ですか?」 「いや、今日は実家でクリスマスパーティーを して、そのまま泊まってるよ。 実家には大きなツリーがあるからね。」 ほっ… 「それならよかった。」 私が胸を撫で下ろすと、 「夕凪、愛してる。」 と囁いた瀬崎さんに口づけられていた。 玄関で靴を履いたままの瀬崎さんと、スリッパを履いて一段上にいる私。 いつもより小さくなった身長差のお陰で、腕を背中に回しやすい。 私は、きらめく指輪をはめた手で、瀬崎さんの背中にギュッと抱きついた。 瀬崎さんは、身を起こして私の頭に手を置くと、 「来年は朝まで一緒だから。」 と言い残して、帰っていった。 私の左手には、結局、返せなかった指輪がまばゆい光を放っていた。 私は指輪を外す前に、指輪をつけた自分を見たくて、洗面所に向かう。 そしてようやく気付いた。 私、すっぴん!! そう、お風呂上がりの私は、すっぴんの上にパジャマ姿。 ええ〜!? どうせプロポーズされるなら、もっとドレスアップした姿でされたかったよ。 なんでこんな残念な姿で、こんな豪華な指輪を貰ってるの!? だけど… 嬉しい。 できれば、朝まで、瀬崎さんの腕の中にいたかったな。
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