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報告
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翌日、私は朝一で校長室に向かう。
「失礼します。」
一礼して入室し、席に座って仕事中の校長の元へ歩み寄る。
「あの、ご報告があります。」
「はい、何ですか?」
校長は、穏やかな笑みを浮かべて顔を上げる。
「実は、結婚が決まりまして… 」
「おお、それはおめでとうございます。」
校長はさらに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。
ただ、相手が… 」
私は、言いづらくて、一旦、言葉を切った。
「ん? お相手がどうされました?
まさか、結婚退職を望んでらっしゃるとか?」
校長の笑みに警戒の色が滲む。
「いえ、その… 」
私は、意を決して言う。
「昨年度、担任した児童の父親なんです。
同じ市内ですし、こういう噂は広まるのも
早いですから、学校にもご迷惑をお掛けする
事があるかもしれません。
大変、申し訳ありません。」
私は、思いっきり頭を下げた。
「まあ、神山先生、頭を上げてください。
もう少し、事情を聞かせていただいても
いいですか?」
「はい。」
私は、事の成り行きをざっと説明する。
「要するに、担任してる時に好意を打ち明け
られたが、神山先生は担任児童の保護者で
ある事を考えて、返事をしなかった。
それが、このたび、担任を外れた事で、一気に
結婚まで話が進んだという事でいいですか?」
「はい。」
「でしたら、問題はないでしょう。
何か言ってくる保護者がいても、そのように
説明すればいいだけですから。」
校長はまた穏やかな笑みを向けてくれた。
「それと、もう一つあるんです。」
「何ですか?」
「実は、相手が仕事の関係で東京に行く事に
なったので、今年、東京の採用試験を受けよう
と思ってます。」
今度は、顔を上げて、校長の目を見て話した。
「つまり、来年度は東京で先生をしたいと
いう事ですね?」
「はい。」
「それは残念です。
神山先生は、とても熱心でいい先生だと
聞いていたのに、一年しかいらっしゃらない
なんて。」
そんな風に言っていただけて、とても嬉しい。
「では、試験の日には、年休が取れるように
調整しなければいけませんね。
教務の細川先生とよく相談して、自習監督が
不在にならないようにしてください。」
「はい。
ご理解いただき、ありがとうございます。」
私は一礼して、校長室を後にする。
それから、新学期の準備を進め、入学式を迎えた。
1年前の大変だった入学式を思い返しながら、新入生を眺める。
私は2年3組を担任する。
ADHD2名、アスペルガー1名、LD1名の合計4人の発達障害児を含む29名のクラス。
ADHD2名とアスペって、ものすごくトラブルが多そうな予感しかしないんだけど…
どう考えても、これ、学年主任クラスでしょ!?
なんで、私?
疑問に思いながらも、1学期は始まり、バタバタと目の前の問題に対処してるだけで、毎日が過ぎていく。
1年前の嘉人くんのように毎日トラブルを起こす翔くんは、ADHDの1人。
普段はそれ程他の子と変わりないのに、突然切れて暴れる和也くんは、アスペ。
4月下旬、この2人が鬼ごっこが原因で大げんかを始めた。
私1人では抑えきれなくて、職員室から駆けつけた3年生の学年主任にも手伝ってもらい、なんとかケガなく収める事が出来た。
すると、放課後、お礼をしに3年生の学年主任さんの所へ行った時に、こっそり教えてくれた。
2年の学年主任の松井先生は、33歳の、主任としては比較的若い女の先生で、とてもいい人だけど、人が良すぎて、やんちゃ坊主の対応があまり得意ではないらしい。
まぁ、音楽の先生だし、おっとり育ってきた雰囲気が全身から出てるよね。
そのため、全校で見ても比較的おとなしい2年生に回された上、発達障害児の対応が得意な中堅の若い教諭が来るという傍迷惑な前評判で私が異動してきたために、本来、学年主任に回すはずのクラスをこれ幸いと校長が私に回したらしい。
そんないい加減な情報提供したのは、きっと前の学校の校長先生に決まってる。
もう、余計な事を言わないでよ〜
だけど、どんなに大変でも、学校の事を瀬崎さんに愚痴る訳にはいかないし、採用試験の準備もあるし、結婚式の準備もあるし、もうパニックだよ。
私は、週末、瀬崎さんの家に行く。
一緒に招待状を作り、席次を決め、引き出物を決め、準備を進めていく。
だけど、当然のごとく、この家にも最強の発達障害児がいて…
楽しそうに混ざって、覗き込んで、邪魔をし続けるから、全然進まない。
進まないから、当然、勉強する時間もない。
採用試験は、現職の特例で、面接だけとはいえ、面接の傾向と対策は押さえておきたい。
そんな事を思いながら、嘉人くんの相手をしていると、瀬崎さんが嘉人くんに声を掛けた。
「嘉人、最近、おばあちゃんと出かけてない
だろ。
昼から、映画にでも行ってきたらどうだ?」
「ええ!? パパたちは?」
嘉人くんの顔に不満の色が滲む。
「パパたちは、やらなきゃいけない事がある
から、留守番してるよ。
おばあちゃんと、映画見て、美味しいものを
食べておいで。」
嘉人くんは、「美味しいもの」に、反応する。
「お寿司でもいいの?」
「いいよ。
じゃあ、おばあちゃんに電話しよう。」
瀬崎さんはそう言うと、電話を掛け始める。
しばらくして、お義母さんとお義父さんが車で迎えにきて、嘉人くんを連れて出掛けた。
途端に家中が静けさに包まれる。
「夕凪、大丈夫か?」
瀬崎さんが私の横に座り、腰を抱き寄せる。
「えっ? 何が?」
「なんか、煮詰まってただろ。」
えっ?
隠してるつもりだったのに、瀬崎さんは気づいてたの?
「うん、大丈夫。」
私はそう答えて、笑顔を作る。
「夕凪、無理するな。
仕事の愚痴も、吐き出せるものは吐き出せば
いいから。
異動したばかりだし、大変な事も多いだろ。」
そうは言っても、学校の内情は話せない。
「うん、すっごく大変。
なんで私が!?って思う事もたくさんあって…
でも、大丈夫。好きでやってる仕事だし、
これを乗り越えられたら、きっと自信も
付くし、東京でも頑張れる気がするから。」
「夕凪、もっと俺を頼れよ。
夕凪が頑張ってるのに、力になれないのは
俺が歯痒いよ。」
瀬崎さんは私の頬に手を添えると、そのままそっと口づける。
「夕凪、愛してる… 」
瀬崎さんの唇が何度も重なる。
やらなければいけない事はたくさんあるのに、つい流されそうになる。
私は、瀬崎さんの胸を押し返した。
「瀬崎さん! ダメです!
これを片付けないと、嘉人くんにお出かけ
してもらった意味がないじゃないですか。」
私が抗議すると、
「意味はあるだろ。
夕凪が、毎週嘉人を預けて泊まりに来るな
って言うなら、俺が夕凪をかわいがる
タイミングは、今しかないだろ。」
と瀬崎さんは私から離れようとしないばかりか、そのまま首筋から鎖骨へとキスが下りてくる。
確かにそう言ったけど。
だって瀬崎さんは、男である前に、嘉人くんのお父さんだし。
だけど…
やっぱり、好きな人と触れ合いたいのは、私も同じで…
結局、私たちはたっぷり仲良くした後で、さらに仲良く準備を進めた。
「ちなみに、この結婚式が終わったら、夕凪も
瀬崎さんになるんだけど、いつまで俺の事、
瀬崎さんって呼ぶつもり?」
席次を決めるための名前を書いた付箋を並べながら、瀬崎さんは言う。
「えっと、だって、他になんて呼べば… 」
いきなり名前で呼ぶのも、恥ずかしいし。
「幸人でも、ユキでも好きなように呼んで
いいよ。
でも、今日から瀬崎さんは禁止。」
「ええ〜!?」
好きなようにって、それが一番困る。
「んー、じゃあ、ひとつだけ聞いていい?」
「なに?」
「前の奥さんはなんて呼んでたの?」
瀬崎さんが一瞬で固まった。
「あ、だって、同じ呼び方は、お互いに嫌
かなぁと思って。」
私が言うと、
「大丈夫。名前じゃないから、名前ならどう
呼んでも一緒にはならないよ。」
と、視線を逸らす。
「名前じゃないって?」
「……… 」
瀬崎さんの様子がいつもと違う。
「分かった。嘉人くんに聞くからいいよ。」
私が言うと、「はぁ… 」と瀬崎さんはため息を吐く。
「てんちゃん。」
「えっ?」
「もともと、店長って呼んでたんだ。
それが、店長じゃなくなったから、
『てんちゃん』になった。
だから、夕凪は普通に名前で呼んで。」
ふふっ
かわいい。
だから、恥ずかしくて言いたくなかったのかな。
私は、なんて呼ぼうかなぁ。
「んー、幸人さん、ユキさん、ユキちゃん…
やっぱり、ちゃん付けはやめよ。
ユキ、ユキくんは言いにくいなぁ。
ゆっくん。
うん、ゆっくんがいい。
ゆっくんでいい?」
私が聞くと、瀬崎さんは照れたように笑った。
「いいよ。夕凪がそれがいいなら。」
「ふふっ
ゆっくん。」
私が呼ぶと、また瀬崎さんの手が腰に回った。
そのまま抱きしめられ、瀬崎さんの手が私の体を撫で始める。
「ん、瀬崎さん! 今日は、もうダメです。」
私は瀬崎さんの手を押さえるけれど、
「夕凪、今、瀬崎さんって言ったから、
違うって、体に教えてあげる。」
と耳元で囁いて、そのまま耳たぶを甘噛みされた。
一瞬で力が抜け、崩れ落ちそうになる私を瀬崎さんが支えてくれる。
だけど、これ幸いとばかりに、瀬崎さんの手は不穏な動きを増していく。
「瀬崎さん!」
いくら呼んでも、止まらない。
そうか!!
「ゆっくん。」
そう呼ぶと、一瞬、止まった。
だけど、また、動き始める。
「ゆっくん、お願い。
嘉人くんが帰ってきたら、困るでしょ?」
そう言うと、
「じゃあ、今週から、夕凪が泊まりに来れば
いい。」
と瀬崎さんは顔を上げた。
だけど、それは…
「私の車が一晩中止まってたら、御岳さんが
何かするかもしれないでしょ?
まだ結婚してないんだし、ダメだよ。」
「じゃあ、車を置いて来よう。
で、俺が毎週、迎えに行く。
嘉人も喜ぶし、俺も喜ぶし、いい事尽くめだと
思うだろ?」
瀬崎さんは嬉しそうに笑う。
「もう! しょうがないなぁ。」
私も釣られて笑ってしまった。
瀬崎さんって、ものすごく大人な気がしてたけど、最近、なんだか嘉人くんとよく似てる気がする。
嘉人くんの素直で人懐っこいところって、もしかして、瀬崎さんに似たのかな。
結局、瀬崎さんに押し切られて、私たちは、嘉人くんが帰る前に、自宅に車を置きに戻った。
お泊まりセットを持って瀬崎さん家に戻り、晩ご飯の用意をする。
今日は煮魚。
瀬崎さんに教えてもらいながら、下ごしらえからしていく。
「ふふっ」
思わず、笑みがこぼれる。
「どうした?」
「なんか、幸せだなぁと思って。
3月まで、すごく長く感じたけど、その分、
余計に幸せな気がするのかも。」
正直、自分でも舞い上がってるのは、分かってる。
だって、こんなに男の人を好きになったの、初めてなんだもん。
学生の頃の彼の事も大好きだったけど、でも、やっぱり、今思えば、おままごとに毛が生えたようなものだった。
一生、この人を支えたい。
この人と家族になりたい。
そう思えるのは、きっとそれだけ瀬崎さんの事が大切だから。
夕日のオレンジ色の光が、窓から部屋の奥まで伸びてきた頃、嘉人くんは帰ってきた。
「ただいまぁ!」
「おかえりなさい。」
私が返すと、
「あれぇ? なんで夕凪先生がいるの?」
と聞かれた。
「なんでって、なんで?」
思わずへんな受け答えになってしまった。
「だって、外に車、なかったよ?
先生、もう帰っちゃったんだと思った。」
「ああ。今日ね、先生、嘉人くん家にお泊り
しようと思うんだけど、いいかな?」
私がそう言うと、嘉人くんは目をキラキラさせて、
「いいよ!」
と答えた。
だけど、まだ噂になると困る。
「でも、先生が嘉人くん家に来た事も、
お泊りした事もみんなには内緒なんだよ。
嘉人くん、守れるかな。」
「うん。僕と先生のお約束ね。」
嘉人くんは小指を出す。
ふふっ かわいい。
指切りなんて、2年生になるとなかなかしない。
嘉人くんは、精神的に少し幼いのかもしれない。
私は嘉人くんと指切りをする。
それから、再び瀬崎さんとお料理に戻った。
3人で晩ご飯を食べ、瀬崎さんと嘉人くんでお風呂に入る。
私はそのあと、入らせてもらう。
アパートのお風呂より広くて、足を伸ばして入れるのが嬉しい。
ゆったりと浸かって、いつものニャンコ柄のパジャを着ると、リビングで瀬崎さんが待っていた。
「夕凪、おいで。」
私が瀬崎さんの所へ行くと、瀬崎さんは私の手を取って、膝に座らせた。
えっ!?
これ、恥ずかしすぎる。
私は慌てて降りようとするけど、瀬崎さんの両腕が腰に回されて、逃げられない。
「夕凪、必ず幸せにする。
だから、ずっとそばにいて。」
瀬崎さんが耳元で囁く。
嬉しい…
私は降りるのをやめて、体を預けて答える。
「うん。
じゃあ、瀬崎さんは、私が幸せにする。」
その直後、ぎゅっと抱きしめられた。
「嬉しいよ。
だけど、違うだろ。」
違う? 何が?
私が首を傾げると、
「瀬崎さんじゃないだろ。」
と指摘された。
ふふっ
そこ、こだわる?
「はい。
ゆっくんは、私が幸せにします。」
その翌週から、私は金、土とゆっくん家に泊まる事になった。
東京の採用試験の願書を出し、結婚式の準備をし、合間に料理を習い、嘉人くんの宿題を見る。
宿題をやらずに遊びたがる嘉人くんのやる気を引き出すため、向かい合って一緒に漢字ドリルをやったりする。
私は嘉人くんが知らない漢字も使い、難易度を上げて嘉人くんと競争する。
負けず嫌いな嘉人くんは、とても一生懸命ドリルをやる。
やりながら、私は、嘉人くんのデタラメな書き順を訂正して教えていく。
計算ドリルは、驚くほど早い。
1年生の時の計算カードもクラスで1番早く合格していた。
計算は本人も楽しいようなので、特に策を労す事なく、スラスラとやってくれる。
そんな日々を過ごすうち、嘉人くんは気付いたらしい。
担任の先生はバランスよく宿題を出してくれるのに、嘉人くんは平日は計算、週末は漢字をやる事にしたらしい。
まぁ、それで頑張れるなら、それもいいけど、私の宿題に割かれる時間が増えていくなぁ。
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