挨拶〜瀬崎家へ〜

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挨拶〜瀬崎家へ〜

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 挨拶〜瀬崎家へ〜 ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ そのまま、お昼ご飯を瀬崎さん家でご馳走になり、午後は、徒歩10分の所にある瀬崎さんのご実家に向かう。 途中、小学生の父兄などに見られたくないので、あえて車で行く事にした。 で、到着して驚いた。 何、これ!? 「普段はめんどくさいから、勝手口から 入るんだけど、今日は特別。 俺の生涯の伴侶を紹介するんだから、 ちゃんと玄関から行くよ。」 と瀬崎さんに連れてこられたのは、どこのお屋敷かと思うような、瓦屋根の大きな門の前。 左右には、この先の通りまで続く長い塀。 つまり、道路から道路まで、瀬崎さん家って事? 瀬崎さんは、携帯から電話をする。 すると、中から、ガタッズルズルッと音がして門が開けられた。 中に入ってみて、音の正体が分かった。 門の裏にある大きな閂を開ける音だったんだ。 時代劇みたい。 「不便だろ? こんな古臭いの、住みにくいったらないん だけど、文化財に指定されてるから、壊す事も できないし、勝手にさわれないから、 インターホンも付けられないだ。 勝手口は普通だから、夕凪もここを通るのは、 今日が最初で最後かもな。」 瀬崎さんは、そう言って笑った。 そして、門を開けてくれた年配の女性を紹介してくれる。 「夕凪、こちら、萩野美恵(はぎの みえ)さん。 うちでずっと家事をしてくれてるんだ。 旦那さんの安彦(やすひこ)さんは、庭師で 外回りの事をやってくれてる。 夫婦で働いてくれてるから、分からない事は なんでも聞くといいよ。 多分、母よりこの家の事は詳しいと思う。」 そう言って、瀬崎さんは笑う。 「神山夕凪と申します。 よろしくお願い致します。」 私が頭を下げると、 「萩野美恵です。 よろしくお願い致します。」 と微笑んでくれた。 家も、古い日本家屋だった。 改めて思う。 瀬崎さんって、お坊っちゃんだったんだ。 ただの実業家じゃなかった。 私は、改めて瀬崎さんの置かれている立場を認識すると、先程までとは違う緊張に襲われた。 さっきまでは、好きな人の両親に認めてもらえるか、という事しか考えてなかったけど、今は新たに、こんな上流階級の人の前で、失礼なく振る舞えるかという緊張が加わった。 私は、ちゃんとした礼儀なんて習った事ない。 ごく当たり前の庶民の挨拶しかした事がない。 よくテレビで見る「ごきげんよう」みたいなお上品な挨拶をしなきゃいけないのかな? でも、どう言えばいいのか分かんないし。 私が困ってると、瀬崎さんが手を握ってくれた。 「夕凪、緊張してる? こんなめんどくさい家だけど、住んでるのは 普通の人間だから、いつも通りの夕凪で いいよ。」 私が、返事もできずにコクリと頷くと、 「夕凪先生、緊張してるの? なんで?」 と嘉人くんの明るい声がかかる。 思わず、私は微笑んで、 「大丈夫。 嘉人さんのおじいさんとおばあさんに初めて 会うから、仲良くなれるかなって思っただけ だから。」 と嘉人くんに答える。 「大丈夫だよ。 おじいちゃんもおばあちゃんも優しいもん。」 「ふふっ そうだよね。ありがとう。」 私は、空いている手で嘉人くんの手を握った。 3人が手を繋いで横並びで歩けるなんて、廊下広すぎでしょ。 ある部屋の前で、瀬崎さんが足を止める。 「俺。入るよ。」 瀬崎さんが襖を開けると、ご両親らしき2人が座卓の角を挟んで直角に並んで顔を突き合わせている。 「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは。」 嘉人くんは、気持ちのいい挨拶をする。 「あら、よしくん、いらっしゃい。」 おばあさんが返事をする。 「父さんも母さんも、ちゃんとお客さんを 連れて行くって、連絡しただろ。 なんでこんな所でパズルなんかしてるん だよ。」 瀬崎さんが、不満気に言う。 ああ、そうか。パズルをしてたんだ。 「別にわざわざ改まる程の事じゃないじゃ ない。 これから家族になるんでしょ? ありのままの姿を見てもらった方がいいと 思って。」 だからって、パズル? 「ものには限度ってものがあるだろう? それはあまりにも失礼だよ。」 怒る瀬崎さんの横で、私は思わず笑ってしまった。 「ふふっ」 「夕凪?」 瀬崎さんが私を振り返る。 「あ、ごめんなさい。 ちょっと微笑ましくて… 」 私は、その場で膝を折った。 「はじめまして。神山夕凪と申します。」 廊下に手をつき、挨拶をする。 「いつも嘉人から聞いてるから、初めて お会いする気がしないわね。 どうぞこちらへ来て、一緒にお喋り しましょ。」 そう言っていただいて、私は再び立ち上がり、瀬崎さんに続いて部屋に入った。 座卓を囲むように瀬崎さんと並んで座る。 「父さん、母さん、俺、彼女と結婚しようと 思う。」 瀬崎さんにそう言ってもらって、胸の中がじんわりと暖かくなる。 「夕凪さんは、本当にこいつでいいん ですか?」 お義父さんが初めて口を開いた。 「はい。」 「世間は、あなたが思ってるよりずっと 厳しいと思いますよ。 意地悪な陰口に晒されて、あなたは生きて いけますか?」 それは、もっともな質問だ。 「覚悟しています。 それでも、私は瀬崎さんと嘉人くんと一緒に いたいと思います。」 私は顔を上げて答えた。 「夕凪は、俺がどんな事があっても守るよ。」 「僕も守る!! 夕凪先生は、僕のお母さんになるの!!」 瀬崎さんだけでなく、嘉人くんまで加勢してくれる。 「あら、よしくん、ママじゃなくてお母さん って呼べるようになったの?」 お義母さんが微笑ましく嘉人くんを眺める。 「うんとね、ママは僕のママでね、夕凪先生は お母さんなんだって。」 それを聞いて、お母さんが不思議そうに私を見た。 「あの… 嘉人くんの中のママの座を奪ってしまいなく ないんです。 嘉人くんがママと聞いて思い浮かぶ顔は ひとつである方がいいと思いまして、私は 違う呼称で呼んでもらおうと、先程、お話 しました。」 もしかして、小賢しいとか思われたかな。 「そうね。 嘉人を気遣ってくださってありがとう。 嘉人、良かったわね。 大好きな夕凪先生がお母さんになって くれて。」 「うん!!」 「あなたが転勤するって学校で聞いてきた日、 本当に大変だったんですよ。 泣くし、暴れるし、叫ぶし。 だから、嘉人の心をこんなに掴んだあなたに、 本当に会ってみたかったの。」 お義母さんが、優しく微笑んでくださる。 「恐縮です。」 「だから!」 ん? 何? それまでの優しい口調とは打って変わって、お義母さんが言葉に力を入れる。 「絶対に嘉人から離れないでくださいね。 これの母親が出ていっても、嘉人は平気 でしたけど、あなたが出て行ったら、嘉人は きっと壊れてしまうでしょうから。」 「はい。」 私は、瀬崎さんの奥さんである前に、嘉人くんのお母さんなんだ。 「一応、確認しておくけど、この先、自分の 子ができても、分け隔てなく嘉人の事も かわいがってくださるわよね?」 お義母さんの物腰は柔らかいけれど、もう笑ってはいない。 「もちろんです。」 私が答えると、瀬崎さんが加勢をしてくれる。 「当たり前だろ。 夕凪は、他の子と分け隔てなく嘉人に接して くれた初めての先生だぞ。 これだけ嘉人が懐いてるのを見れば 分かるだろ。」 嬉しい。 瀬崎さんにこんな風に信頼されて、ご両親に断言してもらえるなんて。 「それは知ってるわ。 よしくんがいつも話してくれるもの。 でもね、他人の子を分け隔てなく扱うのと、 自分の子も他人の子も別け隔てなく扱うのは 違うのよ。 幸人(ゆきひと)だって、それは分かる でしょ?」 それは、そうなのかもしれない。 「あの… 私は自分の子を産んだ事がありませんし、 簡単にできますとは言えませんけど、 それでも、私は、嘉人くんも自分の子も 同じように可愛がり、同じように叱りたいと 思ってます。 今は、信じてくださいとしか言えませんが。」 私の言葉を聞いて、お義母さんはホッとしたように微笑んだ。 「そう、ちゃんと叱ってくれるのね。 じゃあ、夕凪さん、これから嘉人を お願いね。」 これって、認めてもらえたって事? 「はい!」 そこへ、タイミングを見計らったかのように、美恵さんがお茶を持ってきてくれた。 「奥様、お茶はどちらに置きましょう?」 確かにここでは、パズルが邪魔で、お茶を置けない。 「そうね。 美恵さん、客間の方に運んでいただける?」 「かしこまりました。」 そう言って美恵さんは客間に案内してくれた。 そこは意外にも洋室だった。 まだ文化財に指定されるずっと前、明治の頃に改築されたらしい。 パリポリとお菓子を頬張る嘉人くんをよそに、大人の会話は続く。 家族構成や両親の仕事、私の仕事、今後の事。 瀬崎さんがもし東京に行く事になれば、Accueil(アクィーユ)は妹さん夫婦が継ぐことになるだろうという事。 東京に行っても、いきなり丸一の社長になるわけではなく、また下積みから始める事。 その際、瀬崎さんは、素性を隠して働きたいと思ってる事。 そして、その絶対条件として、私を巻き込まないという条件を突きつけたという事。 嬉しいけど、いいのかな。 私だけ、瀬崎さんに守られてる気がする。 しばらくして、嘉人くんがお菓子を食べ終わると、お義母さんは、美恵さんを呼んだ。 「ごめんなさいね。 よしくんを外で遊ばせてやって。 安彦さんは、今、手が空いてるかしら。」 「大丈夫です。 さ、よしくん、外で何をしましょうか。」 「ノコギリ!」 ノコギリ!? 驚く私を残して、嘉人くんは美恵さんと出て行った。 「ノコギリ?」 私は瀬崎さんを見上げる。 「庭師の安彦さんが、打ち落とした枝を、 ノコギリで切るのが、嘉人のマイブーム なんだ。」 と瀬崎さんは笑う。 「ふふっ 楽しそう。 図工でノコギリを使うのは、確か、4年生 だったかな。 その頃にはクラスで1番上手になってるかも しれないね。」 そんな会話をしていると、お義母さんが口を開いた。 「夕凪さん、あの子の前では言いたく なかったんですが、あの子の母親は最低 でした。 子育てもせず、自分を着飾って遊び歩いて。 私たちは、結婚前に反対したんですが、お腹に 嘉人がいた事もあり、結局、幸人の意思を 尊重して認めました。 今、思えば、あの時、結婚させずに、 嘉人だけを引き取れば良かったと 思ってます。 私たちは、もう後悔したくはありません。 私たちは、あなたを信じていいんですよね?」 私は、瀬崎さんの顔を見る。 瀬崎さんは、優しく頷いてくれた。 「大丈夫です。 私は、子供が好きで教師になりました。 教師になって、子供がかわいいだけの生き物 ではない事も知っています。 その上で、言います。 嘉人くんは、正直、手はかかりますが、 かわいいです。 入学時には、自分の感情を制御できなくて、 お友達に手をあげる事もありましたが、 今では、どんなに苛立っても、手をあげる事は ありません。 ただ、物に当たる事は多いです。 私はそれを分かった上で、嘉人くんの お母さんになりたいと思いました。 実は、瀬崎さんは、初め、嘉人くんのお母さん には、ならなくていいと言ってたんです。 嘉人くんは、普通の子より手がかかるから、 瀬崎さんに丸投げで、私は瀬崎さんの 奥さんだけしてればいい…と。 でも、それは嫌だと断りました。 私は、瀬崎さんの奥さんになりたいですが、 同時に嘉人くんのお母さんにもなりたいと 思ってます。 だから、私は、誰が何と言おうと、嘉人くんの お母さんである事を全うしようと思います。」 それを聞いていたお義母さんは、私の手を握って、 「どうか、幸人と嘉人をお願いします。」 と頭を下げた。 「はい。 お義母さん、頭を上げてください。」 私は慌てて、お義母さんの肩を持って頭を上げて貰う。 「むしろ、お願いしなければいけないのは、 私です。 私は、ちゃんと嘉人くんと向き合いたいと 思ってます。 だから、これからは、嘉人くんを今まで通りに こちらへ泊まらせてあげられなくなるかも しれません。 もちろん、昼間、預かっていただいたり、 遊んでいただいたりはこれまで通りお願い したいのですが、夜は例え長期休暇で あっても、やはり自宅で過ごすのが本来の 姿だと思いますから。 わがままを言って、申し訳ありません。」 今度は、私が頭を下げた。 「幸人(ゆきひと)。」 お義母さんが、瀬崎さんを呼ぶ。 「あなた、今度はいい人を見つけたわね。」 お義母さんに微笑まれて、瀬崎さんは苦笑する。 「今度は…って、一言余分なんだよ。」 瀬崎さんは、私の手を引いて立ち上がる。 「また、来るよ。」 私たちは、外で遊んでいる!嘉人くんに声を掛けて、帰路に就いた。
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