料理教室

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料理教室

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 料理教室 ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ それから3日後の土曜日、私は朝から大掃除をしている。 来客の度に大掃除をしなきゃいけない私って、どうなの? 学校では、子供に「使ったら片付けなさい」と指導しておきながら、自分の部屋はついつい出しっ放しの散らかし放題。 だって、普段、来客なんてないんだもん。 早朝から頑張って、今日は冷蔵庫の中も掃除した。 11時。 玄関のチャイムが鳴る。 インターホンで確認するまでもなく、瀬崎さん。 「はい。」 私はドアを開ける。 「こんにちは。」 瀬崎さんが微笑んで挨拶をしてくれる。 「こんにちは。どうぞ。」 私が瀬崎さんを招き入れると、 「はい。」 と、スーパーの袋を渡された。 それを私は一旦冷蔵庫にしまう。 「今、お茶を入れますから、 座っててください。」 瀬崎さんに声を掛けると、そのままキッチンでお茶を入れて、運んだ。 「どうぞ。」 私はお茶受けにお煎餅を添えて出すと、瀬崎さんの向かいに座った。 「ありがとう。」 瀬崎さんはお茶を一口飲んで、 「おいしいよ。」 と微笑んでくれる。 私は瀬崎さんに褒められる事が恥ずかしくなって、俯いて湯のみを眺めながら、 「あ、ありがと。」 と答えた。すると、瀬崎さんが笑う。 「くくっ 夕凪、どうしたの? すっごく大人しいけど。」 「別に。 どうもしてないよ。」 「やっぱり、先生の夕凪より、 女の子の夕凪の方がかわいい。」 瀬崎さんがそんな事を言うから、ますます顔をあげられない。 照れ隠しにお茶を飲んでたけど、それも飲み干してしまった。 「ねぇ、夕凪、こっちに来て。」 何? 瀬崎さんに呼ばれて、私は立ち上がった。 椅子を下げた瀬崎さんは、自分の膝をポンポンと叩く。 は!? 「ここ、座って。」 はぁ!? そんな恥ずかしい事、出来る訳ない。 「無理!」 私は首を横に振って、元の席に戻ろうとすると、手を握られた。 「夕凪、お願い。」 いつも大人な瀬崎さんなのに、なんでこういう時だけ、上目遣いで可愛くお願いしてくるの? ずるいよ。 私は、瀬崎さんの膝に座る事も、瀬崎さんの手を振りほどく事も出来ずに、立ち尽くしていた。 すると、瀬崎さんに不意に手を引っ張られてバランスを崩す。 「キャッ!!」 正面から瀬崎さんに抱きとめられ、そのまま反転させられて、膝に座らされてしまった。 「捕まえた。」 瀬崎さんの腕がかっちりと腰に回され、逃げられない。 しかも、膝の上に座ると、背の高い瀬崎さんとも目の高さがほぼ同じになって、どこを見ていいのか分からなくなる。 「あの… 」 私は苦し紛れに口を開いた。 「何?」 「お料理は… 」 「後でね。」 瀬崎さんは、後ろで束ねた私の髪を指に絡めて遊ぶ。 かと思うと、その手がうなじに添えられ、 あっ… と思った時には、唇が重ねられていた。 しっとりと押し当てられた唇は、そのまま啄ばまれる。 私は、瀬崎さんの背中のシャツをキュッと握りしめた。 すると、くちづけは更に深いものへと変わり、私の胸は早鐘を打つように忙しなく鼓動する。 私は、思わず、瀬崎さんの背にしがみ付いた。 今度は耳を食まれ、あられもない甘い声が漏れる。 それが自分でも恥ずかしくて、思わず口を手で押さえると、今度は首筋にキスを落とされた。 こんな事、もう何年もされた事がないから、自分でも聞いた事のない声が漏れて恥ずかしくなる。 「せ…ざき…さん、ダメ…です… あっ… 」 私がそこまで言うと、瀬崎さんはようやく私の鎖骨の下辺りまで下がっていた唇を私の唇まで戻して、チュッと軽いキスをした。 「夕凪がかわいすぎて困るよ。」 瀬崎さんはそう言って私の頬を撫でる。 えっ!? 私のせい!? 瀬崎さんの言い分がおかしい事は分かっていても、言い返せないのは何故なんだろう? 「あ、あの、お料理しませんか?」 私が言うと、 「そうだね。そろそろ始めようか。」 と答えて、ようやく私を膝の上から解放してくれた。 今日のメインはハンバーグ。 初めて瀬崎さんのお宅で晩御飯をいただいた時に、とても美味しかったから、私からリクエストした。 「まずは、米を研ごう。」 「えっ?」 驚いた私が瀬崎さんを見上げると、瀬崎さんはおかしそうに笑った。 「夕凪、まさか、昼飯にハンバーグだけを 食べる訳じゃないだろ? ご飯と汁物とサラダ位は必要だろ。」 「あ、そうか。」 恥ずかしい。 そんな常識的な事に気付かないなんて。 いかに今までいい加減な食生活だったかが分かってしまう。 だけど、瀬崎さんはそれには触れる事なく、昼食の準備を進めていく。 米を研いだら、ベーコンと刻んだ野菜を炒めて、コンソメスープの準備。 それから、玉ねぎをみじん切りにしてハンバーグの準備なんだけど、みじん切りがうまく出来ない。 見かねた瀬崎さんが後ろから手を添えて切ってくれるんだけど、それがまた余計にドキドキしてしまって包丁をうまく使えなくなってしまう。 なんとか切り終えて、玉ねぎを炒めて、粗熱を取り、ようやくハンバーグの準備に入る。 空気抜きも、瀬崎さんのようにリズムよくは出来なくて、でも「空気さえ抜ければゆっくりでも大丈夫」って言ってくれて、だからあまり上手ではないけど、なんとかハンバーグの形を作り、焼く事が出来た。 たかがハンバーグ、されどハンバーグ。 私は1時間以上かけて、ようやく昼食の用意を終え、瀬崎さんとダイニングテーブルの席に着いたのは、すでに1時半になろうとする頃だった。 「いただきます。」 2人で声を揃えて、手を合わせて食べ始める。 「うん、おいしい。」 瀬崎さんに言われて嬉しくなる。 「ふふっ ほんとだ。 私史上、1番おいしいお料理かも。」 「くくっ そうなのか? じゃあ、これから、夕凪史上最高をどんどん 更新していかないとな。」 瀬崎さんが笑う。 「ええ!? ハンバーグだけでも大変だったのに。 出来るかなぁ。」 「出来るよ。 誰が教えてると思ってるの? 手取り足取り、親切丁寧に教えてあげるよ。」 「ええ!?」 その言い方、なんだか卑猥な響きを感じるのは、私だけかなぁ。 「でも、いいの? あ、授業料は? 材料費も。」 そうだ。 私は今頃、お金の事に気付いた。 夏に冷製パスタを作ってもらった時も、私はお金を払ってない。 いくら払えばいいんだろう。 「そんなの、もう貰ったよ。」 「えっ?」 払ってないよ? 「授業料は夕凪。 今日は、夕凪にずっと会いたかったから、 ちょっと貰いすぎたかも。 ごめんな、抑えが効かない大人で。」 それって、さっきの…? 「くくっ 夕凪、顔、赤いよ。 ごめん、思い出させちゃった?」 嘘!? もう、なんですぐに顔に出ちゃうの? 恥ずかしい。 「やだ。見ないで。」 私は、すぐに顔を手で覆った。 「なんで? こんなにかわいいのに、見ないでいるなんて、 無理だよ。」 「もうやめて。 私、瀬崎さんにそんな風に言ってもらえる程、 かわいくないよ。」 「夕凪は、自分の魅力を知らなさすぎなんだよ。 そう言えば、学年主任さんはどうしてる? また言い寄られたりしてない?」 ああ、武先生… 「あれから何度かお食事には誘って いただいたんだけど、どうすればいいのか 分からなくて、言い訳して逃げ回ってるの。 ちゃんとお断りした方がいいとは 思うんだけど、学校で仕事中に言うのも よくないと思うし、かといってプライベートで 会うのは、なんだか怖い気もして… どうすればいいと思う?」 あ、でも、他の男の人の事を瀬崎さんに相談するのは、デリカシーに欠けるよね? 「ごめん。 なんでもない。 忘れて。」 「なんで? 夕凪が他の男に言い寄られてるのに、忘れる なんて出来ないよ。 夕凪、そういう事はいつでも相談して。 大して力にはなれないかもしれないけど、 夕凪が困ってる事は知っておきたい。」 瀬崎さん… 「ありがとう。 でも、これは私がちゃんとしなきゃいけない 問題だから。」 「だけど、半分は俺のせいだろ? 俺が正々堂々と付き合える相手だったら、 断るのも簡単だし、俺が一緒に行って話を つける事もできる。 俺が嘉人の父親であるばかりに夕凪に迷惑を かけてごめんな。」 瀬崎さんは、申し訳なさそうに頭を下げる。 「そんなの、瀬崎さんのせいじゃないよ。 武先生と付き合う事だってできるのに、そう したくないと思ってるのは、私なんだから。」 「夕凪、嬉しいよ。 今の言葉だけで、春まで頑張れそうな 気がする。」 あれ? 私、なんか特別な事、言った? 私がキョトンとしていると、瀬崎さんが説明をしてくれた。 「夕凪は、武先生と付き合う事もできるけど、 したくないって思ってくれてるんだよね? 2人での食事も断ってくれてる。 でも、俺とは付き合ってないけど、こうやって 会ってくれる。 俺は特別って事でしょ?」 あ… 私、もしかして瀬崎さんが好きって匂わせるような事言ったの? どうしよう。 恥ずかしい。 私は瀬崎さんから視線を外して、黙々と食べる。 「夕凪。 これは、俺が勝手に思ってる事なんだけど、 もし夕凪さえOKしてくれるなら、春に夕凪が 嘉人の担任を外れたら、6月に結婚しないか?」 えっ? 私は、思わず顔を上げて瀬崎さんを見た。 「もちろん、これは俺の勝手な希望だから、 夕凪が結婚はまだしたくないって思うなら、 断ってくれて構わないし、返事も春になって からで構わない。 ただ、頭の片隅に俺がそう思ってるって覚えて おいてくれれば、それでいいんだ。」 これって、プロポーズ? 付き合ってもいないのに? しかも春まで放置して6月って、準備期間が短すぎない? 「あの… 私、まだ、付き合うかどうかのお返事もして ないんだけど… 」 「くくっ だよな。 俺、焦りすぎだな。 でも、俺の思いはそれくらい真剣だってこと、 覚えておいて。」 「なんで?」 「え?」 「なんで私なの? そんな風に思ってもらえるほど、いいところ なんてないのに。 料理だって出来ないし、掃除だって 出来なくて、結婚なんかしたら、絶対、 失敗したって思うに決まってるよ?」 「夕凪、何、言ってるんだ? 料理や掃除をしてほしいなら、家政婦を 雇うよ。 俺は家事をしてほしい訳じゃない。 夕凪を好きになったのは、理屈じゃ説明 できないけど、強いて言うなら、夕凪は、 いつも一生懸命前向きにがんばってるし、 人の悪口を言わない上に、人の良いところに よく気がつく。 人を褒めるのが上手いし、人を尊重できる。 だから、そんなに周りに気を使って、 疲れないのかなと思うし、頑張りすぎて 倒れたりしないのかなとも思う。 俺は、そんな夕凪を守ってやりたいと思うし、 俺だけに甘えてほしいとも思う。 それって、変かな?」 私は、大きく首を横に振った。 なんか、すっごく嬉しい。 そんな風に思ってくれてたなんて。 そんな風に見ててくれたなんて。 「春、ちゃんとお返事するから、待ってて。」 私は、瀬崎さんにそう告げて、ある決意をした。 その後、食事を終えると、瀬崎さんはまだ日も高い3時すぎに嘉人くんのもとへと帰っていった。
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