発覚

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発覚

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 発覚 ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 嘉人くんのノートを届けた翌週、私は校長先生に呼ばれた。 2時間目が終わったばかりで、宿題を見ようとしている時だった。 校長室に入ると、「どうぞ、おかけください」と会議用の椅子を勧められた。 なんだろう? 最近は子供たちも大きな問題は起こしてない。 思い当たる事がないまま、私はそこに腰掛けた。 「実は、先程、保護者の方からお電話を いただきましてね。」 クレーム? 誰だろう? 「神山先生が、瀬崎嘉人くんのお父さんと 不適切な関係であるとおっしゃるんですが、 事実ですか?」 っ!! なんで!? 「いえ、そのような事は… 」 私は力弱く否定する。 「その方がおっしゃるには、ですよ? 先週、神山先生が夜、瀬崎さんのお宅へ伺い、 1時間を経過しても出てこなかった、という事 なんですが、事実ですか?」 校長先生の言葉遣いは穏やかだけど、目は決して笑ってない。 「それは… 嘉人さんが宿題で使うノートを忘れたので 届けに行ったんです。」 私は説明をする。 「ノートを届けるだけなら、5分もあれば 済みますよね?」 「あの、お食事を用意してくださっていたので、 断りきれずにご馳走になってました。」 「それは不用意な行動でしたね。」 「申し訳ありません。」 私は深く頭を下げた。 「詳細を教えていただけますか? 何時に伺って、何時に帰ったんですか?」 「確か… 6時半頃お邪魔して、7時半過ぎにはお暇した と思います。 嘉人くんがそれから8時までに宿題を 終わらせると言ってましたから。」 私は、先週の事を思い出しながら、答える。 「先週の事は分かりました。 では、たびたび瀬崎嘉人くんのお父さんが、 神山先生のご自宅を訪問されているという のは、本当ですか?」 それも!? 「あの… はい、事実です。」 私はためらいながらも、正直に認めた。 「ただ、その、想像されているような関係 ではなくて、料理を教えていただいてるだけ なんです。」 それを聞いて、校長は首を傾げる。 「どうして、瀬崎さんに?」 「あの、瀬崎さんは、Accueil(アクィーユ)と いうフレンチレストランの社長さんで、以前、 厨房にも入っていた事があるそうで、お料理が とても上手なんです。 一方、私は、全く料理ができなくて… だから… 」 私は一生懸命説明するけど、これ、ちゃんと理由として成り立ってる? 私は、声が震えないようにする事で精一杯だった。 「分かりました。 私は、神山先生を信じますよ。 神山先生は、軽々しく保護者とどうこうなる 人ではない事を知ってますから。 ただねぇ、神山先生をよく知らない保護者の 方がそれを信じてくださるか、というと、 いささか疑問で… 普通に料理教室に通えば良かったんじゃ ないか、って言われたら、その通りと言う しかない状況なのは、ご自分でもお分かり でしょう?」 「………はい。」 おっしゃる通りでございます。 「3時間目は、三宅先生に1年1組に入って もらってます。」 三宅先生は、教務主任の女性の先生。 出張や欠勤の際の自習監督によく入ってくださる先生だ。 「神山先生は、とりあえず、状況がはっきりする まで、担任を外れていただきます。 いいですね?」 えっ!? そんな… 「あの! 本当に何もやましい関係ではないん です。 お願いです。 担任を続けさせていただけませんか?」 私は懇願したが、それが聞き入れられる事はなかった。 3時間目、4時間目と終わり、給食も職員室で取った。 昼休み、職員室に戻ってきた武先生が、驚いた顔をする。 「あれ? 夕凪先生、いるじゃないですか? 子供たちが、夕凪先生がいないって言ってた から、早退でもされたのかと思ってましたよ。」 武先生の優しい笑顔を見た瞬間、それまで堪えていた涙が一度に溢れ出した。 「えっ!? 夕凪先生!?」 私は、即座にハンカチで顔を覆ったつもりだったけど、武先生には見られてしまったようだ。 「ごめんなさい。 なんでもありませんから、気にしないで ください。」 私はそう言ったが、武先生が「はい、そうですか」と言うわけもなく… 「そんなの無理に決まってるでしょう? だいたい、どうして夕凪先生がいるのに、 1組を三宅先生が見てるんですか?」 「それは… 」 私が答えようとしたところで、校長先生が校長室から現れた。 「木村先生、ちょっと校長室まで来て いただけませんか?」 武先生は、私をチラッと見やってから、 「はい!」 と返事をして、校長室へと入っていった。 それから私は、深呼吸をして、自分を落ち着かせる。 こんな事で動揺を見せるなんて、それこそ教師失格だ。 私は、給湯室でコーヒーを入れて、席に戻る。 コーヒーの香りが私を少し落ち着かせてくれる。 私は、普段後回しにしている学年通信を作ろうとパソコンを立ち上げた。 が、起動後すぐに木村先生に呼ばれた。 「夕凪先生、ちょっと。」 私は慌てて校長室へ向かう。 校長室の入り口で武先生は、 「俺の言うことに合わせて。」 と囁いた。 どういうこと? 私が校長室に入ると、校長が口を開いた。 「今、木村先生から聞いたんだが、神山先生は 木村先生と結婚を前提とした関係だというのは 本当ですか?」 えっ!? 私は思わず、振り返って武先生を見た。 武先生は、私を見て、穏やかに頷いた。 これは、武先生が私を守るために嘘を吐いてくれたんだ。 ここで頷けば、私の立場は良くなるのかもしれない。 だけど… やっぱり、嘘は吐けない。 武先生、ごめんなさい。 私は首を横に振った。 「武先生から、そのような申し出は 受けましたが、お付き合いはしてません。」 すると、武先生が口を挟んだ。 「夕凪先生は、真面目な方ですから、1年生の 担任同士でそういう関係になるのは不適切 だと考えてらっしゃいます。 また、料理ができないのに、結婚を前提と いうお付き合いは、私に対して申し訳ないとも おっしゃってます。 だから、今回の件もきっと、私のために内緒で 料理を習おうとされた結果が招いた誤解だと 思います。 どうか寛大な対応をお願いします。」 武先生が頭を下げてくださる。 私なんかのために… 「まぁ、そういう事でしたら… 神山先生、本当に瀬崎嘉人のお父さんとは、 男女の関係ではないんですね?」 「はい。」 私は好きだけど… その言葉は、胸に秘めて私は頷いた。 「そもそも、連絡をしてきた保護者って、 どなたなんですか? 夕凪先生のご自宅は校区外ですし、 その周辺に用がない人は入り込まないような 奥まった所にあります。 瀬崎さんが夕凪先生のご自宅に出入りしてる 事を知ってるという事は、むしろ、その(かた)が 瀬崎さんにつきまとってるんじゃ ありませんか?」 そうだ。 私が嘉人くん家に行った事は、ご近所さんなら気づくかもしれないけど、瀬崎さんがうちに来てる事は、普通は分からないはず。 「うーん、神山先生のクラスの御岳真奈(みたけ まな)の 母親です。 神山先生、どんな方なのかお分かりですか?」 ああ、あの人かぁ… 「ややネグレクト傾向のあるシングルマザー です。 お母さんは子供を放置する傾向がありますが、 おばあちゃんがフォローしてくれているので、 なんとかなっている感じです。」 宿題の丸つけも全くしてくれない、とても非協力的なお母さん。 提出物の遅れも目立つ。 「あ、そういえば、2学期の授業参観の時に 初めて嘉人くんのお父さんがいらっしゃった んですけど、真奈ちゃんのお母さんは、子供を 全然見ないで、ヒソヒソ喋りながら嘉人くんの お父さんを見てました。 授業参観なのに子供を見ないから、ちょっと イラッとした覚えがあります。」 私は、ふと思い出して言う。 すると、武先生が言った。 「だったら、もしかすると、瀬崎さんに想いを 寄せていらっしゃった可能性もありますね。 休日に出掛ける瀬崎さんを尾行すれば、 夕凪先生の家に出入りしてる事も分かります から。」 えっ? それって、瀬崎さんのストーカーって事? 「あ、そうだ! 真奈ちゃん家は、嘉人くん家の近所です。 間の通りで地域は分かれますけど、 3軒ほどしか離れてません。 以前、嘉人くんが庭でバーベキューしてるのを 真奈ちゃんが二階の窓から見てたって 聞いたことがあります。」 自分で言ってて、怖くなった。 それって… 「だったら、夕凪先生が訪問した事も、 1時間後にまだそこに夕凪先生の車が 止まってる事も、自宅の窓から確認できる って事ですね。 これは、夕凪先生を処分するより、そういう 隣人がいるという事を、瀬崎さんに教えて さしあげる方が先かもしれませんね。」 武先生が校長先生にとりなしてくれる。 本当にいつも私のために動いてくださって、感謝しかない。 「うーん、そうですねぇ。」 校長先生は顎に手を当てて思案する様子を見せた。 「とりあえず、夕凪先生は午後から授業に 戻ってください。 今後については、また放課後に相談 しましょう。」 「はい!」 よかった… 私は、武先生と校長室を後にする。 すでに昼休みも掃除も終わってしまい、間もなく5時間目が始まろうとしている。 教室へ向かいながら、私はお礼を言った。 「武先生、本当にありがとうございました。 武先生がいらっしゃらなかったら、私… 」 本当に担任を外されていたかもしれない。 「俺は何もしてませんよ。 それより、きっと子供たちから、3〜4時間目に いなかった理由を聞かれると思います。 なんて答えるつもりですか?」 「あ… 」 そうだ。 どうしよう? 「来客があった事にします。 教育委員会の偉い人がお話に来たって言って おけば、真奈ちゃんが家で何か話しても、 お母さんはきっと自分の思い通りになったと 思うでしょうし。 それで満足してくれれば、これ以上の 嫌がらせはなくなるかもしれませんし。」 「分かりました。 俺も子供に何か聞かれるような事があれば、 話を合わせておきます。」 武先生はそう言って2組の教室へ入っていった。 私も、気をとり直して5時間目の授業に臨む。 5時間目は、生活。 今日は、昔の遊びについて学ぶ。 来週、ボランティアの祖父母の方に来ていただいて、一緒に遊ぶので、どの遊びを体験するか決めるのだ。 私が教室に入ると、早速、嘉人くんが叫ぶ。 「ああ!! 夕凪先生、なんで3時間目からいなかったの!?」 半分、責めるような口調で問われる。 「ごめんね。 ちょっと、お客さんが来ててね。 先生がいなくて、寂しかった?」 私が問い返すと、嘉人くんは、 「べっ、別に。全然、寂しくなんかないし。」 と慌てて否定する。 ふふっ かわいい。 「ええ!? 先生はみんなとお勉強できなくて、 寂しかったのにぃ。 さ、今日は、何をやるか覚えてる?」 私が授業モードに話を切り替えると、子供たちはもう昔の遊びに夢中だ。 お手玉、あやとり、こま回し、折り紙、けん玉。 おじいちゃん、おばあちゃんは、そんな遊びの名人だから、今からとても楽しみにしている。 私は無事、5時間目を終えた。 子供を下校させ、ひとり、教室でほっと一息つく。 そこへ武先生が隣のクラスからやってきた。 「お疲れ様。 今日は大変でしたね。」 武先生が労ってくれる。 「いえ、武先生こそ、私のために大変な思いを させてしまって、すみませんでした。」 私が頭を下げると、武先生は苦笑いを零した。 「謝られるとは思ってませんでした。 むしろ、怒らせて嫌われると 思ってましたから。」 「えっ? なんでですか?」 武先生は助けてくれたのに。 「校長先生に、ありもしない交際を宣言して しまいましたから。」 「………ああ! でも、あれがあったから、校長先生も信じて くださったんだと思いますし、武先生には、 感謝しかありません。」 私が今、こうして1組の担任でいられるのは、武先生のおかげなんだから。 すると、武先生が厳しい表情をして私を見る。 「夕凪先生、このまま瀬崎さんとの曖昧な 関係が続けば、次は白だろうとグレーだろうと 周りに黒だと思わせるような証拠を持って 乗り込んで来ないとも限りません。 今すぐ、瀬崎さんとは距離を置くべきです。 分かりますよね?」 「………はい。」 武先生の言う事はもっともで、反論のしようがない。 「夕凪先生は、今年異動ですよね? 場合によっては、思わぬ所へ飛ばされないとも 限りませんよ?」 「………はい。」 確かに。 「ま、それでも思うようにならないのが恋心 なんでしょうが… 」 「えっ?」 武先生の思わぬ台詞に驚いて顔を上げると、優しく微笑む武先生がいた。 「損得で想う相手を変えられるなら、今頃、 夕凪先生は、俺を選んでくれてる でしょうからね。」 武先生はそう言って、私の頭をぽんぽんとあやすように撫でる。 「あ、いえ、その… 」 私が戸惑って返事も出来ずにいると、武先生はさらに笑った。 「くくっ いいんですよ。分かってますから。 俺だって、夕凪先生以外を好きになれるなら、 今頃、結婚してたでしょうし。 人の心は、思うようにはならないもの なんですよ。」 「武先生… 」 なんで、こんな私にいつも優しくしてくれるんだろう。 どうすれば、この恩に報いることが出来るんだろう。 「くくっ そんなに見つめないでください。 勘違いしてしまいますよ?」 「えっ? いえ、それは… 」 私が狼狽えると、武先生は、また私の頭を撫でて、 「冗談ですよ。 でも、夕凪先生が大切なのは、本当です。 だから、夕凪先生のために、瀬崎さんとは 距離を置いてくださいね。」 そう言って職員室へと戻って行った。 はぁ… 武先生の言う通りだよね。 瀬崎さんとは、3月の終業式まで会わないようにしよう。
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