嘉人くんのお父さん
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嘉人くんのお父さん

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 嘉人くんのお父さん ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 金曜日の放課後 私は今日やったひらがなプリントの丸つけをしながら、嘉人くんのお父さんを待っていた。 嘉人くんは、消しゴムがまだ上手に使えない。 力いっぱい消して、くしゃっとなったり、ビリっと破れたり。 すると、そこで癇癪を起こして、もう書かなくなってしまう。 それまで、どんなに上手に書いていても、鉛筆でぐしゃぐしゃと八つ当たりの落書きをして、丸めて投げたり、破って捨てたり。 それはいけない事だと言い聞かせても、自分のイライラを抑える方法を知らないから、どうしてもそうなる。 それでも、嘉人くんのいいところは、時間が経って落ち着けば、ちゃんと謝れるところ。 嘉人くんは、良い子ではないかもしれないけど、いいところはたくさんあると思う。 18時45分。 「こんばんは。 瀬崎嘉人の父です。 神山先生はいらっしゃいますか?」 職員室の入り口で声が掛かる。 かっこいい… 178㎝あると言ってた木村先生より、背が高い。 切れ長の目は、男の色気を湛えて今にも零れそう。 スーツ姿が、大人の男を感じさせる。 あ、いけない、いけない。 思わず、見惚れてから、自分を戒める。 彼は、嘉人くんのお父さん。 他人(ひと)のものだし、恋愛対象外。 教師と保護者の恋愛は、タブーだ。 「神山です。 わざわざ、ご足労いただいて、 申し訳ありません。 こちらへどうぞ。」 私は、誰も使っていない会議室にお父さんをお通しする。 「はじめまして。 嘉人さんの担任の神山です。 お世話になっております。」 改めて挨拶をする。 「嘉人の父です。 いつもお世話になっております。」 型通りの挨拶を済ませ、早速、本題に入る。 「まず、こちらを見ていただけますか?」 私は、今日、嘉人くんが頑張ったひらがなプリントを見せる。 「嘉人さんは、毎日、頑張ってます。 これは、今日、嘉人さんが頑張ったプリント です。 上手に書けてると思いませんか?」 そこには、嘉人くんが頑張って書いた『り』の文字。 「はい。そうですね。」 「ただ、嘉人さんのプリントは、みんなと 違って、カラーコピーしたものです。 なぜ、嘉人さんだけ、正規のプリントじゃ ないかと言いますと、嘉人さんのプリントが こうなったからなんです。」 私は、破れ、八つ当たりの落書きをし、丸めて投げられたプリントを広げて見せた。 そして、そうなった経緯を説明する。 「ADHDという発達障害は、やりたいと 思った事は、その場でやらないと気が すみません。 逆に、やりたくない事は、周りがいくら 言ってもやろうとはしません。 このプリントも、初めはやろうとしました。 でも、消しゴムで失敗した事で、やる気を 失くし、やりたくないのにやらされる事で、 イライラを抑えられなくて、 癇癪を起こしたんです。 それでも、嘉人さんは、授業の終わりに ちゃんと謝りに来ました。 だから、コピーですが、新しいプリントを 渡したところ、休み時間も集中して、この プリントを仕上げました。 嘉人さんには、無限の可能性があります。 ですから、きちんと専門医の診察を受けて、 今後の方針を決めて、ご家庭と学校と病院と 連携して嘉人さんの未来に向けて協力して 行きたいんです。 どうか、ご協力いただけませんか。」 すると、お父さんが口を開いた。 「私なりに、ADHDについて調べてみました。 芸能人にもそういう人達がいて、常識人では ないけれど、個性的な魅力ある人だと、 私は感じました。 先生は、嘉人もそうなれると思われますか?」 この人、お母さんとは全然違う。 落ち着いてて、思慮深くて… 「もちろんです。 嘉人さんは、とても素直です。 自分の感情に素直すぎて、社会の枠から 飛び出してしまう事もありますが、今から、 きちんと対応策を教えてあげれば、将来、 自分の障害と上手に付き合っていけると 思います。 嘉人さんのために、一緒にご協力いただけ ませんか?」 「もちろんです。 明日にでも、嘉人を連れて病院に行って みます。」 「あ、まずは予約をしてください。 普通の病院と違って、診察に時間が かかるので、すぐには見てもらえないんです。 早くて2週間後、この時期は嘉人さんと 同じように進学に伴って受診される方が 増えるので、もしかしたら一月後になるかも しれません。」 私が申し訳なく思いながら言うと、 「分かりました。 では、明日、電話してみます。 先生も、どうか、嘉人を よろしくお願いします。」 とお父さんが頭を下げた。 「こちらこそ。 ご理解くださって、ありがとうございます。」 私も頭を下げる。 そして、お父さんは、スーツの内ポケットから、名刺を取り出すと、裏に何か書き始めた。 「私の携帯です。 番号とアドレスを書いておきましたので、 何かありましたら、こちらにご連絡ください。 妻は、嘉人が障害児かもしれないという 現実を受け止めきれずにいますので、 もし、話が通じないような事がありましたら、 ぜひ、遠慮なく私に連絡ください。」 そう言って、名刺を差し出すので、私はありがたくそれを頂戴した。 「では、嘉人のこと、くれぐれもよろしく お願いします。」 お父さんは深々と頭を下げる。 「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。」 私もお父さんに負けないくらい頭を下げた。
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