虐待

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虐待

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 虐待 ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ それからも、嘉人くんは、毎日のように色々な問題を起こしてくれた。 相手の子にけがをさせた場合は、その都度、連絡帳に書く。 だけど、その連絡帳の返信の文字が、5月下旬頃から、変わった。 可愛らしいまる文字が、お世辞にも綺麗とは言えない、朴訥とした文字になった。 これは… お父さんの字? ふふっ あんなにかっこよくて、仕事も出来そうなのに、字はあまり得意じゃないのね。 ちょっとかわいいかも。 それにしても、なんでお母さんじゃなくなったんだろ? 具合でも悪いのかな? そんな事を思っていた6月初旬、嘉人くんが左のこめかみ辺りにあざを作って登校してきた。 「嘉人さん、それ、どうしたの?」 私が聞くと、 「うん、ちょっと…」 ちょっと…って、何? 私は思い出した。 保育園からの書類に、 《 母親から暴力あり。 児相(児童相談所)に通告 》 と記されていた事を。 「嘉人さん、どこかにぶつけたの?」 嘉人くんは首を横に振る。 「誰かに叩かれたりした?」 嘉人くんが、今度は縦に首を振った。 「誰に叩かれたの?」 「………ママ。」 っ!! とりあえず、教頭先生に報告だよね。 「そう… 痛かった?」 嘉人くんはこくんと頷く。 「そうだよね。 痛いよね。 なんで叩かれたのか分かる?」 「………僕がおもちゃを 片付けなかったから。」 たったそれだけで!? 「そう。 それは、嘉人くんも悪かったんだね?」 「うん。」 「じゃあ、今度から、ちゃんとお片付け 出来そう?」 「分かんない。」 「んー、そこは、出来るようになって 欲しいなぁ。 嘉人さんは、遊んだ後、お片付けしなくても いいと思ってるの?」 「思ってないけど、お片付けするより、 遊びたいもん。」 だよね。 やりたい事を我慢できない。 やりたくない事を我慢してできない。 難しいよね。 だけど、怒りに任せて我が子を叩くお母さんも、怒りたい気持ち、叩きたい気持ちを我慢できないんだから、やっぱりADHDだと思う。 お父さんは、どう思ってるんだろ? 見て見ぬ振り? 「お父さんは、この事、知ってるの?」 「ううん。知らない。」 「なんで?」 「パパが帰ってくる前だったから。」 「お父さんは、嘉人さんの顔を見ても、何も 言わなかった?」 「見てないもん。 僕が寝てから帰ってきて、僕が起きたら、 もういなかったから。」 「そっか。 お母さんは、よく叩くの?」 「うん。 怒ると、すっごく怖いよ。」 日常的に手を上げてるのかぁ… 嘉人くんは、わがままに見えるけど、空気を読むのがうまい。 普通に喋ってても、お友達がムッとした瞬間に自分が言いすぎた事に気付いて、 「うっそ〜。ごめんごめん。 冗談、冗談。」 と謝る姿を何度も見た。 これは、もしかすると、お母さんの顔色を見て生活してるからかもしれない。 どうしたら、彼を守ってあげられるんだろう。 私は、嘉人くんに何もしてあげられない不甲斐なさから、自己嫌悪に陥っていた。 その日の放課後、私は初めて、嘉人くんのお父さんに連絡をした。 「嘉人さんの担任の神山です。 いつもお世話になっております。」 『こちらこそ、お世話になっております。 嘉人が何かしましたか?』 お父さんの低くて渋い声が、心配そうな憂いを帯びる。 「いえ、嘉人さんというか、お母さんの事 なんですが… お父さん、今、お仕事中ですよね? 終わってからで構いませんので、ご連絡 いただけますか?」 話が長くなる事を想定して、そうお願いすると、 『今日は、残業で遅くなりそうなんです。 もし、よろしければ、先生の携帯を教えて いただけませんか? いつまでも学校で待ってていただくのも 申し訳ありませんので。』 と言われた。 「そうなんですね。 いいですよ。」 と私は番号を告げる。 『では、後ほど。 わざわざご連絡ありがとうございました。』 ふぅ… 電話を切って、私はため息を吐く。 できれば、こんな人の悪口みたいな連絡、したくはない。 だけど、家の中で嘉人くんを守れるのは、お父さんしかいないんだから、知ってもらわなければ… 私は、気持ちを切り替えて、翌日の授業準備に取り掛かった。 明日は音楽がある。 子供達が前を向いて歌えるように、歌詞を拡大コピーする。 その後、この学校は、低学年は教室で音楽をするので、教室のオルガンで伴奏の練習を始めた。 1年生の音楽、弾くのは簡単だ。 だけど、歌ってる子供の顔を見ながら弾こうと思うと、鍵盤は見られない。 その状態で自ら歌おうと思うと、歌いながら弾く練習をしないと授業はできない。 私は、教室でオルガンを弾き、歌う。 誰も見ていないからできるけど、客観的に見ると、1人カラオケ状態で、かなり恥ずかしい。 何回か練習をして、もう一度…と思ったところで、廊下から、思わぬ拍手が贈られた。 「神山先生、お上手ですね〜」 そこには、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべた木村先生。 「やだ。 恥ずかしいじゃないですか。 先生、そこは、さらっと聞いてないふりを して通り過ぎてくださいよ。」 私が抗議すると、 「くくっ すみません。 一生懸命、練習する神山先生が、あまりにも かわいらしかったもので…」 と笑う。 は? かわいらしい!? 「やめてください。 木村先生、セクハラですよ?」 木村先生、自分がイケメンだって自覚、ある? 「あ、そうですね。すみません。 次からは、神山先生の事は心の中で ひっそりと思う事にします。」 は? 思わず勘違いしそうな台詞、さらっと言わないでよ。 「ひっそりとも思わなくていいです。 木村先生、いつからそんな歯の浮くような 台詞をさらっと言うようになったんですか。」 「くくっ 歯が浮きますか? 正直な気持ちを言っただけなんだけどなぁ。」 え? 「神山先生、今、困ってます? でも、その戸惑った表情もかわいいですよ。」 「え、あの…」 「神山先生、覚えておいてくださいね。 僕が、神山先生をかわいいと思ってる事。 これは、テストに出ますよ。」 は? 戸惑う私を残して、木村先生は2組の教室へ行ってしまった。 わざわざ、2組へ行って聞き返すのもなんだし… この後、嘉人くんのお父さんと対峙しなきゃいけないのに、なんだかモヤモヤが残ったままで落ち着かない。 もう! 木村先生のいじわる! 19時半。 そろそろ帰ろうと思っていたところで携帯が鳴った。 嘉人くんのお父さんだ。 私はスマホを持って、職員室を出る。 「はい、神山です。」 『瀬崎です。今、お時間、よろしいですか?」 「はい、大丈夫です。」 『今、もうご自宅ですか?』 「いえ、まだ学校におります。」 『では、直接お聞きしたいので、伺っても いいですか? 今、近くにいるので、5分もかからず着けると 思いますから。』 「分かりました。 では、お待ちしております。」 それから、5分ほどで嘉人くんのお父さんがいらっしゃった。 「瀬崎さん、わざわざありがとうございます。」 私は席を立って出迎える。 「こちらへどうぞ。」 今回もまた会議室にお通しした。 「実は、今日、嘉人さんが顔にあざを作って 登校してきたんです。 お父さんは、ご存知ですか?」 お父さんは、目を見開いた。 「いえ、でも、それは、どうして…」 「嘉人さんは、お母さんに叩かれたと 言ってます。 おもちゃを片付けなかったから、叩かれたと。」 「それくらいの事で…」 「嘉人さんの話だと、日常的に手を上げてる ようです。」 「まさか…」 「ご存知ありませんでしたか? 保育園の頃にも、児童相談所から聞き取り など、あったと思いますけど。」 「児童相談所は来ましたけど、妻もそんな事は していないと言ってましたし、私もまさか 手を上げてるとは思ってませんでしたから…」 お父さんの狼狽が伝わってくる。 「一度、ご家庭でよく話し合ってください。 その際、決して、嘉人さんが言ったとは 言わないでくださいね。」 「分かりました。」 お父さんは、大きく頷いた。 その後で、傍に置いてあったブリーフケースから、クリアファイルを取り出した。 「実は、これをお渡ししたくて、 伺ったんです。」 それは、嘉人くんの診断書だった。 そこにはADHDの文字。 やっぱり。 「診断が出たんですね。」 「はい。」 「では、明日にでも、教頭にも報告をして、 今後の嘉人さんの対応を検討したいと 思います。 幸い、この学校にも通級指導教室はあります から、週に1〜2時間、授業を抜けて通う事は 可能だと思います。 また、ご連絡をさせていただきたいのですが、 お母さんより、お父さんにご連絡した方が いいですか?」 「はい。 こんな事は言い訳にしかなりませんが、妻は 嘉人が発達障害だと確定した事で、かなり 動揺してたので、手を上げたのかも しれませんから。」 「分かりました。 では、お父さんにご連絡させて いただきますね。 今日は、わざわざありがとうございました。」 私は頭を下げる。 「いえ、それは全然。 先生は、いつもこんな時間までお仕事 なさってるんですか?」 お父さんが優しい笑顔を向ける。 うわっ、ダメだって。 イケメンにそんな風に微笑まれたら、勘違いするでしょ。 「そうですね。 私は要領があまり良くないので…」 極力、平静を装って答える。 「熱心なんですね。 嘉人の担任がこんないい先生で良かった。 でも、若いお嬢さんなんですから、 あまり無理しないでくださいね。 これからも、よろしくお願いします。」 若いお嬢さんって… 「ふふっ」 私は思わず、笑ってしまった。 「私、そんなに若くないんですよ。 多分、瀬崎さんとそんなに変わらないと 思います。」 私がそう言うと、 「そんな事はないでしょう? 私はもう32ですよ?」 と言われた。 「そうなんですか!? もっと若く見えますよ。」 「くくっ それは嬉しいです。 先生はおいくつなんですか?」 「私は27です。」 「じゃあ、妻のひとつ上ですね。」 「じゃあ、奥様は二十歳で嘉人さんを 産まれたんですか?」 「はい。 あ、今、未成年に手を出した不埒者だと 思ったでしょ?」 お父さんは明るく笑う。 ダメだよ。 イケメンが笑ったら、それだけで独身干物女は胸キュンになるんだから。 「そんな事、思ってませんよ。 でも、どうやって知り合ったんです? あ、ごめんなさい。 こんな立ち入った事、聞いちゃダメですよね。」 「構いませんよ。 妻とは職場恋愛です。 私は、当時、外食チェーン店で店長をして まして、妻は、その時に入ってきたアルバイト だったんです。 それはそれは、失敗が多くて、世話を焼いてる うちに気付いたら…ってパターンです。」 いいなぁ。 私もこんなイケメンにお世話されたい。 「奥様が羨ましいです。 かわいい子と素敵な旦那様がいて、 幸せですね。」 私が微笑んでそう言うと、一瞬、お父さんの顔が曇った。 「そうだといいんですが…」 あれ? 夫婦円満じゃないのかな? これは、これ以上掘り下げない方がいいかも。 「では、長々とお引き止めして、 申し訳ありませんでした。 くれぐれも嘉人さんの事、よろしくお願い しますね。」 私は立ち上がった。 「はい。 こちらこそ、よろしくお願いします。」 お父さんは深々と頭を下げる。 私も、同じように頭を下げた。 お父さんを玄関までお見送りして、私も帰り支度をする。 はぁ… なんだか、今日は無駄にときめきが多い日だったな。 これが、全く恋に繋がらないところが、残念なんだけど…
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