夜の家庭訪問

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夜の家庭訪問

・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 夜の家庭訪問 ・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・:・:・:*:・ 週が明けて、月曜日。 嘉人くんが入学以来、最大のトラブルを起こした。 それは、昼休みの事。 うちのクラスの由亜(ゆあ)さんが、教室に駆け込んできた。 「先生、先生!」 何事だろう?と思いつつも、どうせ誰かが転んだとか、泣いてるとか、その程度の事だろうと思っていた。 「由亜さん、どうしたの?」 「れおさんが、頭から血が出て、 嘉人さんが押したから、泣いてて、 だから、先生、来て!」 話は支離滅裂でよく分からなかったけど、頭から血が出てるというフレーズだけは耳に入ったので、私は、丸つけ中の算数のノートをそのままにして立ち上がり、廊下を急いだ。 保健室前まで来ると、うちのクラスの児童達が、「先生!」「夕凪先生!」と口々に連呼して手招きしてる。 中には今にも泣き出しそうな女の子も何人かいる。 私は、状況を確認したくて子供達をかき分けて、保健室に入った。 「石田先生!」 私は、泣きじゃくる田村礼央(たむら れお)の頭を抑えて圧迫止血する養護教諭に声を掛けた。 「ああ、神山先生!」 養護教諭の石田先生は、顔を上げた。 「今、タクシーを呼んでもらいました。 頭を強く打ってるので、念のため、礼央さんを 病院に連れて行きます。 保護者への連絡も事務の橋口さんがして くださいました。 保護者の方は、直接病院にいらっしゃるとの 事なので、向こうで落ち合います。 先生は、状況の聞き取りをお願いします。」 ベテランの石田先生は、テキパキと指示をくれる。 私はその場にいる子供達に声を掛ける。 「この中で、礼央さんがけがをするところを 見た子、いる?」 すると、何人かが、 「私、見た!」 「私も見た!」 と声を上げた。 「何があったのか、先生に教えて。」 「あのね、礼央さん、ブランコに乗ってたの。」 「うん。でね、嘉人さんがね、横からドン! ってしてね、」 ドンって、何? 「嘉人さんが、ドンって、どうしたの?」 「押したの! そしたらね、礼央さんが、ブランコから 落ちてね、地面でゴンってなってね、」 ゴンって… 「地面に頭をぶつけたって事?」 「うん。 そしたら、礼央さんが泣いてね、血が出てね、 そばにいた5年生のサキさんがね、 礼央さんを抱っこしてね、連れてきたの。」 状況は何となく、分かった。 「それで、嘉人さんは?」 「逃げてる。 拓哉(たくや)さんが追いかけてるけど、 捕まらなくて。」 「どこで? 運動場?」 「うん。」 「分かった。ありがとう。」 私は、それだけ言うと、靴を履き替えて運動場へ出た。 嘉人くんは、駆けっこが早い。 同じ1年生では、捕まらないし、万が一捕まえても、また手を上げないとも限らない。 私は運動場を見回す。 鬼ごっこをしてる子、ドッジボールをしてる子、いろいろいる中で、全力で走る嘉人くんを見つけた。 ま、あれだけ走った後なら、大丈夫でしょ。 私は走る。 子供の頃から、私も駆けっこは得意だった。 拓哉くんから逃げる嘉人さんの前に回り込んで挟み撃ちにして、あっという間に捕まえた。 私は、嘉人さんの手首を握って、校舎へ引きずっていく。 「離して! やだ! 離せって! 離せ!」 嘉人くんは暴れるが、私は絶対に手を離さない。 もしかしたら、手首にアザができるかもしれない。 それでも、今、離す訳にはいかない。 興奮状態の嘉人くんは、他の子を傷つける可能性があるから。 私は嘉人くんを連れて、今日は誰も使っていない相談室へ入った。 「嘉人さん、座りなさい。」 私は、出来るだけ静かに言う。 こちらが声を荒げれば、嘉人くんはますます興奮してしまう。 嘉人くんは、大人しくそこの椅子に座った。 「先生ね、嘉人さんに聞きたい事があるの。 嘉人さんは、何の事だか分かる?」 「……… 」 嘉人くんは答えない。 「嘉人さんは、何のお話か、全然分からない?」 俯いた嘉人くんは、首を横に振った。 「そう。分かるんだね。 何のお話だと思う?」 私は出来るだけ優しく聞く。 「………礼央さんの事。」 「そう。礼央さんの事。 嘉人さんは、礼央さんが、けがをしたのは 知ってる?」 「………うん。」 「どうしてけがをしたのかな? 嘉人さん、知ってる?」 「……… うん。」 「じゃあ、教えて。 どうして、礼央さんは、けがをしたの?」 「……… 僕が押したから。」 「そう。 嘉人さんが押したのね? どうやって?」 「ブランコの横から、ドン!って。」 「何で?」 「代わって!って言ったのに、 全然代わってくれなかったから。」 「そう。 それは、嫌だったね。 でも、嫌な事されたら、押してもいいのかな?」 嘉人くんは、黙って首を横に振る。 「そうだよね。ダメだよね。 じゃあ、何で、ダメなのに、嘉人さんは 押したの?」 「……… 」 嘉人くんは答えない。 「嘉人さん。 今ね、礼央さんは、お医者さんに 行ったんだよ。 もし、頭の中にも血が出てたりしたら、 礼央さんはそのまま入院するかもしれない。 もし、頭の中の大切なところをけがしてたら、 もう治らないかもしれない。 そのまま、命まで失くすかもしれないんだよ。 嘉人さんは、礼央さんはブランコを代わって くれないから、死んじゃってもいいと思って 押したの?」 嘉人さんは、首をブンブンと横に振る。 「そうだよね。 でも、嘉人さんはそう思ってなくても、 嘉人さんがやった事は、礼央さんの命に 関わるとてもいけない事なんだよ。 分かる?」 「………うん。」 「じゃあ、嘉人さんは、まず、何をすれば いいかな?」 「謝る?」 「そうだね。 でもね、それは、礼央さんが無事だった時に しかできないの。 分かる? もし、礼央さんが嘉人さんのせいで一生 治らないけがをしてたり、万が一、 死んじゃったりしたら、嘉人さん、 どうやって謝るの? 嘉人さんは、一生、ごめんなさいをしたくても できなくて、ずっと苦しい思いをしながら、 生きていく事になるんだよ。 礼央さんのお家の人は、一生、嘉人さんを 許してくれなくて、嘉人さんは、一生、 大っ嫌いって思われるんだよ。 それでもいい?」 嘉人くんは、ポロポロと涙を零しながら、また首をブンブンと横に振る。 「じゃあ、とりあえず、校長先生に何が あったのか、お話に行こうね。 嘉人さん、いらっしゃい。」 私は、嘉人くんの手を引いて校長室へ向かう。 校長先生に、嘉人くん同席のもと、今回の報告をする。 校長先生からも、また嘉人くんにお説教があった。 嘉人くんは泣きじゃくりながら、それを聞いて、「ごめっ…なさっ…ヒッ」としゃくりあげながら、謝った。 そして、嘉人くんを教室に帰した後、校長先生は、私に向かって言う。 「神山先生。 今夜、田村さんのお宅へお詫びに伺います。 私が行きますので、神山先生も同行して ください。」 「はい。」 ま、当然だよね。 「そのあと、瀬崎さんのお宅へ家庭訪問して ください。 今回のトラブルの説明をして、ご家庭でも お話をしていただけるようにお願いしてきて ください。 その際、分かっていると思いますが、 田村礼央さんの名前は出さないように。 こちらから田村さんの連絡先を教える訳には いきませんから。」 「はい。 ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。」 私は、頭を下げる。 「ADHDの子は全クラスにいます。 こういう問題は、いつ起きてもおかしくは ありません。 だからこそ、注意してあげてくださいね。」 校長先生は、静かに言う。 だから、余計に堪える。 「はい。」 私はうなだれて、返事をした。 そのあと、努めて平静を装って、5時間目の授業をする。 5時間目、嘉人くんは、いつになく静かだった。 5時間目が終わり、1年生は下校する。 私は職員室に戻り、落ち着かないながらも、翌日の授業準備をする。 「夕凪先生。 きっと礼央くんは大丈夫ですよ。」 武先生が隣の席から、優しく声を掛けてくれる。 「………だといいんですが。」 16時半。 石田先生から連絡があった。 検査の結果、脳内には大きな損傷は見られないとの事。 ただ、頭皮を3針縫ったとの事だった。 それくらいで済んで、よかった… 18時。 私は、校長先生と礼央くん家を訪問した。 謝罪と経緯の説明をし、礼央くんもブランコを譲らなかった事を認めたので、お母さんも、明日、子供同士で仲直りさせてもらえればそれでいいとおっしゃってくださった。 いいお母さんで良かった… そのあと、19時過ぎに帰宅するという嘉人くんのお父さんのもとへ向かった。 私は2ヶ月半ぶりに、瀬崎家のインターホンを押す。 前回は、終始ため口のお母さんにADHDの話をして、ご機嫌を損ねて帰ったんだったな。 今日は、お父さんも一緒だから、大丈夫かな? 『はい、どうぞ。』 インターホンに出たのは、お父さんだった。 玄関の鍵が開き、ドアが開くと、そこにはにこにこ笑う嘉人くん。 「嘉人さん、こんばんは。 お父さんは?」 「今、ご飯作ってるから、上がってください。」 とお父さんからの伝言を伝えてくれる。 言われてみれば、玄関まで漂ういい匂い。 「そうなの? じゃあ、先生、ご飯が終わった頃に また来るよ。」 嘉人くんにそう言うと、奥からお父さんが顔を出した。 帰ったばかりなのか、ワイシャツの袖を腕まくりして、黒いエプロンを着けてる。 なんか、かっこいい… 「すみません。 嘉人が何かやらかしたみたいで。 どうぞ、上がって一緒に召し上がってって ください。」 そんな訳にはいかない。 「いえいえ、それはご迷惑だと思いますので、 時間を改めて出直します。」 私が断ると、 「いえ、嘉人にご飯を食べさせたら、風呂にも 入れなきゃいけませんし、時間がないんです。 申し訳ありませんが、一緒に食べながら お話を聞かせてください。 先生の分も用意してありますし、嘉人も 先生との晩御飯を楽しみにしてましたから。」 そう言われると、断りにくい。 今から、食事をしてお風呂に入れて寝かせて、その後に私がお邪魔するのは、また違った意味で非常識だ。 「では、お言葉に甘えて…」 私が嘉人くんに手を引かれて、ダイニングに入ると、お父さんはカウンターの向こうのキッチンに向かった。 「嘉人、テーブル拭け。」 「うん!」 お父さんは、絞った布巾を嘉人くんに投げる。 嘉人くんは、それを上手にキャッチしてテーブルを拭く。 なんだかあたたかい親子関係を垣間見た気がして、心がほっこりする。 「何かお手伝い出来る事があれば…」 私はお父さんに声を掛ける。 「いえ、もう出来るので、先生は座ってて ください。」 お父さんは優しく微笑む。 どうしよう。 それだけでキュンとする。 イケメンって、それだけで罪だよね。 「嘉人、茶碗出せ。」 「うん!」 嘉人くんは、ご機嫌でお手伝いをする。 ふふっ 嘉人くんは、お父さんが大好きなのね。 嘉人くんがキッチンから、ひとつひとつご飯やおかずを運んでくる。 「おいしそう!」 私の目の前に熱々のハンバーグが置かれた。 「これ、お父さんの手作りですか?」 私より上手… 「はい。 数年前まで、レストランの厨房に入って ましたから、料理は好きなんです。」 ああ、奥さんと職場恋愛だって言ってた。 「あの、今日、お母さんは…?」 まさか、金曜日から帰ってない? 「あ、ご報告が遅れてすみません。 妻とは、昨日、正式に離婚しました。」 「え?」 「先生に言われて確認したら、嘉人が 小さい頃から、手を上げてたらしくて… ダメだと分かってても、衝動的に手が出て しまうみたいで、自分でも止められないって 言ってましたから、話し合って嘉人から 距離を置いてもらう事にしました。 本人も自分で自分を止められないのが 辛かったみたいなので、その方がお互いの 為だという結論に至りまして…」 そんな… じゃあ、嘉人くんは…? 「嘉人くんは、このままお父さんが養育される んですか?」 「はい。 先生には、ご迷惑をお掛けする事も多いと 思いますが、よろしくお願いします。」 そう言って、お父さんは席に着く。 「じゃ、どうぞ、召し上がってください。 嘉人、食べるぞ。」 お父さんは、私の隣に座った嘉人くんに声を掛ける。 「うん! いただきます!」 元気よく手を合わせて、嘉人くんは食べ始める。 「いただきます。」 私もいただく。 「ん!! すごく、おいしいです!!」 優しい味付けで、肉汁が口の中いっぱいに広がって、幸せな気分になる。 「それは良かった。 ぜひ、また食べに来てください。 週末なら腕に縒りをかけて作りますから。」 「先生、また一緒にご飯食べよ。 パパのご飯、なんでもおいしいんだよ。」 嘉人くんは、得意気に話す。 「嘉人さん、ありがとう。 でもね、先生は嘉人さんだけの先生じゃない から、嘉人さん家でほんとはご飯を 食べちゃダメなんだ。 だって、明日嘉人さんがみんなに、 『昨日、夕凪先生とご飯食べたんだ』って 言ったら、みんなが『うちにも来て!』って 言うでしょ?」 私は、嘉人さんに説明する。 「じゃあ、内緒にする。 先生がうちでご飯を食べたって言わなきゃ いいんでしょ?」 「いや、そういう訳じゃ…」 私は困った。 なんて言えば、納得してくれるんだろう。 「嘉人、先生を困らせるんじゃない。 男は女を守るものであって、 困らせるものじゃない。」 お父さんが嘉人くんをたしなめる。 「先生、すみません。 俺が迂闊にお誘いしたばかりに…」 「いえ… 」 お父さんに真っ直ぐに見つめられ、どうしていいか分からない私は、視線を彷徨わせる。 なんだろう? 自宅だから? 学校でお会いした時は、温厚で柔和なイメージだったのに、今日はなんだか男くさい。 「本題に入りましょうか。 さっき嘉人から聞きました。 学校でブランコに乗ってる友達を押して ケガをさせたそうですが、その件ですか?」 お父さんが尋ねる。 「はい。 相手の子は、頭を3針縫うけがをしました。 幸い、今日の検査では、脳に異常は 見られませんでしたが、一歩間違えば大変な 事故に繋がりかねない行為ですので、 ご家庭でもしっかり話をしてご指導 いただきたくて伺いました。」 「大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありません でした。 嘉人、お前、ママに叩かれてどう思った? 嬉しかったか? 楽しかったか?」 嘉人くんは黙って首を横に振る。 「ママは、嘉人を叩いたから、大好きな嘉人と 一緒にいられなくなったんだ。 嘉人も誰かを傷つけたら、 もう一緒には いられなくなるかもしれないんだぞ。 嘉人みたいにすぐに暴力を振るう子とは 一緒に学校へ行かせたくないって言われたら、 嘉人は引っ越しをしてひとりで遠くの学校へ 行くんだぞ? それでもいいのか?」 嘉人くんは黙って首を横に振り、目にいっぱい涙を溜める。 「だったら、何があっても手を出すな。 代わってって言って代わってくれないなら、 代わってくれるまで言い続けろ。 それでも代わってくれなければ、先生に相談 するんだ。 先生は必ず我慢した嘉人の味方になって くれる。 ですよね? 先生。」 そう言ってお父さんが私を見る。 なんだか、全幅の信頼を寄せられてるみたいで嬉しい。 「はい、もちろんです。 今日も嘉人さんが押したりしなかったら、 先生は礼央さんを叱ってたよ。 でも、嘉人さんが礼央さんにけがを させちゃったから、先生は礼央さんより 嘉人さんを叱らなきゃいけなく なっちゃったの。 でも、嘉人さんは今日、暴力はダメだって 覚えたから、もう大丈夫。 次からは、しないよね? 先生は、嘉人さんを信じてるよ。」 私は、嘉人くんの目を見て伝える。 嘉人くんは、涙を零しながら、頷いた。 「人にはね、得意な事と苦手な事があるの。 かけっこが得意な子もいれば、 字が上手な子もいるでしょ? でも、かけっこは遅くても、足し算は早い子も いるし、足し算は遅くても、元気よく挨拶が できる子もいる。 だから、みんな苦手な事だけど、ちょっとでも できるようにするために、体育を頑張ったり、 算数を頑張ったりするの。 嘉人さんは、かけっこも早いし、算数も できるし、挨拶だってとても上手。 ただ、我慢をするのがちょっとだけ苦手 なのかな? だから、嘉人さんの中の小さな我慢する心を ちょっとずつ大きく育てていこう? 先生もお手伝いするから、一緒に頑張ろう?」 「うん。」 嘉人くんは、涙に濡れた顔で、にっこりと笑った。 「よし! じゃあ、明日、学校で謝ってこい。 それができたら、明日の夜、パパと 礼央くん家に謝りに行こう。」 お父さんは長い腕を伸ばして、嘉人くんの頭をわしゃわしゃと撫でる。 「え? 礼央さんの家、ご存知なんですか?」 私は驚いて尋ねる。 「はい。 嘉人が何度か遊びに行った事があると 言ってますから、嘉人に案内させます。」 お父さんはにっこりと微笑む。 「そうなの?」 私が嘉人くんに聞くと、 「うん。自転車で何回も遊びに行ったよ。」 と得意気に答える。 だったら、個人情報、気にしくても良かったんじゃない。 私は思いっきり脱力した。 その後、食事を終え、私は席を立つ。 「今日は、本当においしいお食事をご馳走に なってしまい、ありがとうございました。 来週から、夏休みですけど、私は学校に おりますし、何かありましたら、すぐに ご連絡ください。」 私がお礼を言うと、お父さんは微笑んで答える。 「こちらこそ、先生が一緒だと、嘉人も食事が 楽しそうです。 また、機会がありましたら、ぜひいらして くださいね。」 「うん、そうだよ。 先生、また来てよ。」 嘉人くんが私の手を握る。 ふふっ こういう人懐っこいところ、かわいいんだけどなぁ。 「ふふっ でも、嘉人さん? 先生がまた嘉人さん家に来るって事は、 嘉人さんが叱られるって事なんだけど、 分かってる?」 すると、嘉人くんが固まる。 その直後、嘉人くんが嬉しそうに笑った。 「分かった! じゃあ、僕が悪い事したら、先生、 また来てくれるんだね?」 嘉人くんは、さも名案を思いついたように言う。 「あ、いや、それは… 」 私は言葉を失う。 嘉人くんは頭がいい。 だけど、普通、そんな事、思うかな。 はぁ… 「嘉人、そんな事をして先生が来てくれても、 先生は悪い子の嘉人を嫌いになるかも しれないだろ? それよりは、嘉人がいい子になって、 大好きな嘉人ん家へ行きたいと思って もらえるようになれ。」 ほんと、いいお父さんだなぁ。 「だったら、パパがなってよ。」 「は?」 とお父さん。 「先生がパパに会いたくなれば、僕ん家に 来てくれるでしょ? 僕、先生にお願いしたの。 僕のママになってって。 そしたら、先生、パパのお嫁さんにならないと 僕のママにはなれないんだよって 言ってたもん。」 あ… 覚えてた… めっちゃ、気まずいよー 「あ、あの、それは…」 言い訳をしたいのに、言葉が続かない。 「くくっ そうか。 でもなぁ、嘉人、こんな若くて綺麗な先生が、 パパなんかのお嫁さんになってくれると 思うか?」 「ええ!? パパかっこいいよ? 先生、ダメなの?」 嘉人くんが縋るような目で私を見る。 「あのね、嘉人さんのお父さんは、きっとまだ お母さんを忘れてないと思うんだ。 だから、先生なんかを好きになってくれない から、無理じゃないかなぁ。」 こういう時、どう言えばいいの? 「そうなの? パパ。」 嘉人くんは、今度はお父さんを見つめる。 「うーん、そうだなぁ。 ママは思い出の中の特別枠だからなぁ。 忘れるとか忘れないとかじゃないかなぁ。 嘉人だって、まだママの事、好きだろ?」 「でも、パパの方が好きだよ?」 「そうか。ありがとな。 ま、とにかく、先生にも好みがあるし、 何より、もう先生にはカッコいい恋人がいる かもしれないだろ?」 え!? 矛先がこっちに向いた? 「そうなの? 先生。」 「あ、いえ、そういう人はいないけど…」 どうしよう? 「パパ、よかったね。いないって。」 ああ、もう、嘉人くん、なんでこんなに素直なの!? 「くくっ 分かった、分かった。 嘉人は、先生の事が大好きなんだな。」 「うん!」 お父さんが苦笑する。 そうだよね。 私なんかとどうこう言われても困るよね。 「じゃあ、パパ、先生に好きになって もらえるように頑張るから、 嘉人も応援しろよな。」 「うん!! パパ、がんばって!!」 は!? 「という事で、先生、これから、親子共々、 よろしくお願いしますね。」 はぁ!? 「え? あ、あの、は、はい。」 あれ? これ、どういう事? 「くくっ 嘉人、先生、かわいいなぁ。」 「でしょ? パパも好きになった?」 「うん、そうだな。」 「やったぁ!!」 嘉人くんは、踊り出さんばかりに喜んでいる。 「じゃあ、パパは、先生をお見送りしてくる から、嘉人は風呂に入る準備しとけ。」 「ええ!? 僕も行く〜!!」 「嘉人! 先生にパパを好きになってもらうために、 秘密の話をしてくるから、お前は待ってろ。」 それを聞いた瞬間に、嘉人くんの目がキラキラした。 「うん!! 僕、トイレ行って、服脱いで待ってる!」 嘉人くんは、そう言うなり、トイレに駆け出して行った。 「じゃ、先生、長々とお引止めして、 申し訳ありませんでした。」 お父さんが、頭を下げる。 「いえ、お邪魔しました。」 私も混乱する頭を下げて、玄関を出た。 すると、お父さんも本当に玄関を出て見送りに来てくれた。 「先生、嘉人が失礼な事ばかり言って、 すみません。 忘れていただいて構いませんから。」 ああ、そういう事… そうだよね。本気な訳ない。 嘉人くんを納得させるために、話に乗ったふりをしただけ。 「はい。 今日は、本当にご馳走さまでした。 とてもおいしかったです。」 私は頭を下げて、車に乗り、家路に就いた。 はぁ… お父さんが本気じゃないのは、当たり前じゃない。 分かってるのに、なんで、私の胸はこんなに苦しいんだろう。 なんで、こんなに視界が滲むんだろう。 なんで…
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