《第三章》火龍、妹と和解す
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《第三章》火龍、妹と和解す

「花嫁さま。火龍さまよりお花が届きました」  朝餉をとり終えたあと、部屋に侍女がやって来た。  三娘は、庭先へ出ようとしていた足を止めて振り返ると、年若い侍女は白い花が盛られた籠を持っていた。  白い花には見覚えがあった。三娘が白い花を眺めていると、侍女がそろそろと近づき、花が盛られた籠を差し出した。小さな花から漂う香りが懐かしくて、三娘は嬉しそうな顔をする。 「|茉莉花(まつりか)ですわ。今朝方、摘まれたようで、香りがまだ強うございます」  初夏に可憐な花を咲かせる茉莉花は、亡き母親が愛した花だった。その甘い香りは、母親が生きていた頃の記憶を蘇らせる。それを思い出した途端、胸の奥がずくずくと痛み出した。  湖青がやって来た日から、心を覆い尽くした悲しみや寂しさは少しずつ薄れていった。近頃では、寂しさを感じることが少なくなっていただけに、花の香りが呼び起こした母親との記憶は、三娘の中に残っていた望郷の思いを急速に膨れ上がらせた。  急に表情を曇らせた三娘に気づいたのか、籠を盛ったまま侍女がおろおろとし始めたそのとき、部屋に明るい声が響く。湖青が部屋にやって来た。 「花嫁さま、おはようございます。あら、まあ、かわいらしいお花ですこと」  湖青は部屋にやって来るなり、侍女と三娘のもとへ駆け寄った。そして籠の中にある白い花を見るなり、目を大きくさせた。 「これは茉莉花ですわね。夏のお庭に咲いている白いお花。ということは、兄上が花嫁さまの為にお摘みになられたのでしょう。花嫁さまのことを大事に思われている証拠ですわ」  湖青から優しい笑みを向けられたが、三娘は苦笑で返した。父親を救うために火龍の花嫁となることを決めたはいいが、火龍にとっては望まぬ縁だ。形ばかりの妻として部屋をあてがわれているにすぎないし、自分の世話をするために湖青が遠く離れた所からわざわざやって来たことにも三娘は薄々気付いていた。  自分さえ子供の頃の約束をなかったことにして、楊国王の妃になることを受け入れたら、火龍にも湖青にも迷惑を掛けなかったであろう。三娘は湖青とともに過ごす時間が増えるとともに、そう思うことが増えていた。しかし、だからといって湖青の好意を拒むこともできず、申し訳なさを感じながら彼女と過ごしていたのである。三娘が寂しげな笑みを浮かべながら白い花を眺めていると、湖青が明るい声で話し出した。 「早速お返しのお花を選びに参りましょう。春のお庭にも、美しい花やかわいらしい花がたくさん咲いておりますゆえ」  そっと肩に手を添えられて、三娘は小さく頷いた。そして、湖青に促されるままに庭に出たのだった。  春の庭と夏の庭の間には、大きな湖があるという。  火龍に贈るために花を選んでいると、湖青が教えてくれた。 「その湖では、一年に一度ハスの花が咲きますの。王母さまがこの宮におられたときは、舟を浮かべてハスの葉を採ったのです」 「ハスの葉を?」 「ええ。その葉で、もち米を包んで蒸すのです。それがまたおいしくて……」  昔を懐かしむように湖青が話す。しかし、すぐに表情を曇らせた。 「あの頃は楽しゅうございました……」  突然、湖青が寂しげな笑みを浮かべた。まっすぐ前を見つめる瞳が、遙か遠くを見ているようなものに変わり、それとともに横顔に悔恨が滲んでいるように見えた。三娘は途端に不安になる。 「叶うものならば、あの頃に戻りとうございます。昔のような兄と妹に……」  そう言ったきり、湖青は黙り込んでしまった。春の庭の外れまで花を探しに来ていた二人を、麗かな日差しが照らす。しかし、二人の間には沈黙が流れていた。重苦しい空気に耐えかねて、三娘は話題を変えようとした。 「あ、あの……。その船遊びのことをお話してくださいませんか?」  三娘が尋ねると、湖青は顔を上げてにっこりとほほ笑んだ。しかし、その表情はわずかに硬い。 「池に浮かべた舟で回るのです。咲いたハスを眺めながら。そういえば、近頃そのような催しはしていなかったような……。何せ兄上は風流なものに疎いだけでなく、興味がない方ですから……」  呆れた顔で話す湖青の横顔を、三娘は見つめていた。すると、湖青が言いにくそうに話し出す。 「最後に舟遊びをしたのは、先代の火龍である祥(しょう)兄上がまだ御存命の頃でした。そのとき、祥兄上が王母さまの護衛の任を甚(じん)兄上にお任せしたのです。それでこの宮を甚兄上が賜った時だったと思います。そして、祥兄上がお亡くなりになられたのは、その直後でございました」  甚とは火龍の真名(まな)なのであろう。そして祥は先代火龍のものであろう。話をし終えた直後、湖青の表情が曇った。それとともに、三娘の表情も沈んだものになっていく。再び湖青が口をつぐんでしまったものだから、沈んだ空気が漂いだした。 「わたくしはそのとき、甚兄上に酷い言葉を投げかけてしまいました」  湖青の沈んだ顔を見て、三娘は怪訝な顔をした。先代火龍の死の直後、兄と妹の間に何が起きたか気になったからである。しかし、それを尋ねていいものか憚(はばか)られて、三娘は困り果てる。 「そのときは、怒りと悲しみに我を失いました。しかし、そうなった理由を知って、兄上への感情は少しずつ薄れていったのです。しかし、兄上は未だ御自分をお許しになられていないのでしょう。だから、火焔の宮ではなく四季宮におられるのでしょうし。火龍となられたあとは、主として火焔の宮に留まらないとならないのに、わたくしや明凛(めいりん)さまに気を遣われて……」  一度も耳にしたことがない名前が出てきたものだから、三娘は湖青に問いかけた。 「あの、明凛さま、とは……」  三娘が尋ねると、湖青は顔をはっとさせ、口を閉ざしてしまった。その様子を目にしてしまったものだから、理由もなく不安が募る。三娘は固唾を飲んで、次の言葉を待つことにした。 「め、明凛さまは、火焔の宮にお住まいのお方ですの。さ、花嫁さま、早う兄上に贈るお花を選びましょう」  急に話の矛先を変えられてしまったものだから、三娘は戸惑った。  何もなかったかのように振る舞う湖青に、何も聞けなくなってしまった。  湖青と火龍の間に何が起きたのか、そしてその理由とは何か。明凛とは何者なのか。非常に気になることだけれど、そもそも自分は形だけの花嫁だ。そんな自分が、おいそれと首をつっこんでいい話ではないのかもしれない。そう思い直した三娘は、湖青とともに火龍へ贈る花を選び始めたそのときだった。  急にくらりと目が回り、三娘はとっさに足を踏ん張って、よろけそうになった体を立て直す。めまいはすぐに収まったけれど、そのかわり体が重くなった気がした。しかし、気のせいだと思い、三娘は湖青のあとを追いかけるように歩き出したのだった。
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