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珈琲日和
カフェの雰囲気が好きだ。
学生の頃から試験勉強は必ずカフェ、OLになってからもお気に入りのカフェを3つ決め、月始めに手帳を開きどんな一ヶ月にしたいのかを決める。仕事の目標に、プライベートでやりたいこと。
好きな時間帯は午前9時。出勤する人々を眺められる窓際のカウンター席に座る。
香ばしいコーヒーの香りが立ち込める。
新聞をめくる音。
店員さんの元気な挨拶。
子どもの頃は、コーヒーの苦い香りが嫌いだった。大人になると香りの好みまで変わっていく。
今日、仕事で嫌なことがあった。
新入社員で入社してから5年。
正直、同期入社の誰よりも努力してきたつもりだ。営業職は、結果が全てだ。休日には自己啓発本を読み、仕事第一にやってきたつもりだ。自分が期待されているということも実感していた。
ところが、だ。
一年に一度、優秀な社員が選ばれるコンテストがある。その選考にしても毎年期待をされていた。自分でも、今年はいけると思っていた。選ばれたのは、1つ下の後輩の女の子だった。
取り立てて、目立つところがない女の子。
発表されたとき鈍い痛みが頭に走った。
身体の力が抜けるようでそこに立っているだけで精一杯だった。
絶対にそんなところは悟られてはならない。
私は声をワントーン上げ、顔の前で手を叩き笑顔で祝福した。
照れた後輩の顔が眼に映る。
「びっくりしました…。本当に私でいいんでしょうか?有難うございます。」
泣きそうな声で後輩が言い、大きな拍手が起こった。
周りの人達が自分の表情をみていないかと確認をした。
名前を発表されてから、選考理由なども説明されていたが一切耳に入ってこなかった。
後輩に対する苛立ちはなかった。
ただただ力が抜けるだけで、立っているのが精一杯だった。
そんなことがあった帰り道。
家に帰って一人鬱々とするなら、カフェで気分転換をしたい。
働き始めてから通うカフェは、いつもモチベーションを上げたりする場所。
今日はとてもじゃないが、そういう気持ちにはなれない。
いつもと違う道を通ってみる。
あてもなく住宅街を歩いていると、パラパラと小雨が降ってきた。雨の予報はなかったのに…と嘆かわしい気持ちになる。
気にせず歩いていると、見晴らしの良い土手にでた。小さな橋が架かっている。
通ったことのない道だ。橋を渡り坂を下ると小さな喫茶店が見えた。
少し古びた看板には〔珈琲日和〕と書かれている。
雨も強くなってきて、黒い雲がかかっていたため一休みすることにした。
扉には営業中の小さな看板がかかっていた。
木の扉を押して中に入ると、入ってすぐに昔ながらのビールか何かのポスターが目に飛び込んだ。水着の女性が眩しい笑顔を見せている。
レジの横には本棚があっだ。そこには週刊誌や漫画が並ぶ。
程なくしてマスターらしきお爺さんがやってきた。
「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
窓際の席を選ぶ。こういう昔ながらの喫茶店入るのはいつ振りだろう。
小学生の頃に父とよく行った地元の喫茶店を思い出した。パフェが美味しかったっけ。
懐かしさを感じながらコーヒーを注文した。
「珈琲日和オリジナルブレンド」
いつもコーヒーはミルクのみ入れることが多いが、今日はブラックで飲む。
苦味が口の中に広がる。スッキリした味わいだ。
今日のことを思い返す。どうして自分が選ばれず、後輩が選ばれたのか。それを考えただけで目頭が熱くなった。自分が選ばれるかもしれないと思っていたことも、とても恥ずかしくなった。「サービスです。おかわりいかがですか。」
優しい声が上から降ってきた。
いつの間にかカップの中は空になっていた。
「ありがとうございます、お願いします」
香りを味わいつつ、コーヒーを眺める。
「ん??」
コーヒーの漆黒の中に空が写っていた。
窓の外に目をやるといつの間にか雨は上がり、青空には白い雲が浮かんでいる。
それがコーヒーに映っているのだ。
2杯目のコーヒーは、楽しいことを考えながら飲んだ。一杯目よりも、美味しく感じられた。
コーヒーに映った空を見ていたら、どんどん気持ちが晴れていった。
努力が認められなくたって、いいじゃないか。
私はこの仕事を好きでやっているのだ。
そして、私は仕事自体を楽しめている。
他人からの評価がなんだ。
私は今のままでいい。
本当の私の物語はここからだ。
明日、朝一番にもう一度後輩におめでとうと伝えよう。心からの言葉を。
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