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第1話 威勢よく喋る箱
古ぼけた文化住宅の裏手に、基礎から屋根に至るまでの亀裂が入っている。その亀裂を指差して、高齢の女性が嬉しそうに言ったものだ。
「これこれ、これが震災の時のひびわれです。あの地震にも持ちこたえたんですよ」
「……そ、そうですか」
それって直してないってこと? 自慢するより隠してくれ、と思う心を飲み込んで、神尾五郎は改めて文化住宅を眺めた。
文化住宅というのは、神辺市にある学生向けの襤褸アパートのことだ。昭和、平成を生き抜いてきた風情ある建物と言えなくもない。もはや文化遺産である。
その時代の遺物に入居しようという学生も少なくなった。そりゃあ、オートロック、フローリングに、冷暖房完備、ネット環境完備の方が良いに決まっている。
だが、金のない五郎は安さだけで文化住宅を選んだ。風呂はなく、代わりに、もれなく震災を乗り越えたひびわれも付いてくるわけだ。各部屋にトイレがあるのだけが救いである。
久々の入居者に、ここが虫喰い、ここが雨漏り、ここが腐っているなどと、嬉々として文化住宅の汚点を晒す大家の婆さんの相手を終えて、やっと部屋に入った。
引っ越してきたその日のわりに、いうほどの荷物もないが、ひとつ大きなダンボール箱が鎮座していた。それが震えだしたかと思うと、中から威勢のよい声が聞こえて来るではないか。
「おうこら。はよ出さんか、ドサンピンが。のたのたしとると頭カチ割って田楽味噌詰めたるぞ。聞いとんのか、おう五郎。
わての家にガムテープなんぞ貼りおって。あかん、暗いとこはあかんのや。ずっと、ずぅっと、暗い箱ん中で祀られとったでな。頼む、頼むわ、五郎。悪いようにはせぇへんで、ええ加減に出してぇな」
「いま出してやるよ。そう騒ぐな」
ため息をつきながら、側面に大きく蜜柑の絵が描かれたダンボール箱に近付き、乱暴にガムテープを剥ぎ取った。
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