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第143話 揺れる煙突
きみの湯では、そろそろ暖簾をかける頃合いか。夕闇の迫る中、晩秋の空に、黒々とした煙突が独り立ち尽くしている。
表向きには何事もなく静かだが、煙突の天辺から黒い影が中へ消えていった。百足のように頭から降りていくのは、並みの人間の倍はあろうかという巨躯に、ざんばら髪、猩々面のような顔をした外法童子だ。その背に乗って、高島と女性の姿がある。
降りていく途中で目に見えぬ壁に突き当たり、先へ進もうとする外法童子の伸ばした腕がぶすぶすと灼け、黒煙が立ち込めた。煙突が揺れ、薄暗い空に黒い息を吐く。高島が、
「どうした、どうした。進まんか」
と声をかけ、外法童子が腕に一層の力を込めると、ぱきん! と、何かの割れる音に続いて、きみの湯が揺れ動いた。すわ地震かと番台に座る月子さんが腰を浮かすも、揺れ自体はすぐに治まり、ほっと息をついたという。しかし、続けて、いまは使っていない煙突の湯沸かし釜が破裂し、黒煙が吹き出してくる。
源泉を汲みあげるポンプからも、ゴゴゴゴゴゴ……と、おかしな音が聞こえるではないか。湯沸かし室とポンプ室を交互に見やり、不安げな表情の月子さんが、あらあらなになに、と落ち着かずにいると、双方のドアが示し合わせたように吹き飛んだ。
湯沸かし室から、煤だらけになって咳き込みながら、高島と女性が姿を現した。続けて、巨躯を揺らせた外法童子が猩々面の如き顔を覗かせる。
一方、ポンプ室からはごぼごぼと湯が溢れ出し、濡れた床を無数の気配が走った。音なしの先触れ、ミサキと呼ばれる見えぬ獣だ。
間にある番台を挟んで、外法童子とミサキが対峙する。困惑した様子の月子さんが見守るなか、高まる圧力と緊張を破って激突し、衝撃に、きみの湯のガラス戸が割れて砕けた。ひっくり返った月子さんを葛音が受け止めて美琴と二人で助け起こす。
土間では、長い腕を振るって、外法童子が目に見えぬ獣と戦っていた。無数の気配を捻じ切り、踏み潰し、噛み砕き、握り潰す、その音だけが響く。
跳ねのけられたミサキは弾丸のように番台に突き刺さり、月子さんを庇う美琴と葛音の顔を掠めた。続けて飛び来る気配を木刀で叩き落としたのは神尾勝樹だ。凛とした姿勢で、三姉妹の前に木刀を構えて立つ。その様子に興味を惹かれた高島がいう。
「きみは初顔だね。稲田家の者じゃないな。とすると、神尾五郎の妹か?」
「弟だ!」
「はは、わかってるさ。その木刀は霊木から切り出した物だったりするのかね」
「知らん。修学旅行で買った土産物だ」
「そうかい。ミサキを叩き落とすとは面白いねぇ。でも、そうは相手もしてられない」
行くぞ、と外法童子と女性をつれてポンプ室へ向かった。勝樹が油断なく見守るなか、めきめきと壁を壊す外法童子に続いて、女性も、ぺこりと頭を下げて中へ入っていく。
ごぼごぼと湧き出ていた湯が止まり、辺りに静けさが満ちるが、その静けさも長続きはせず、ポンプ室そのものが吹き飛び、壁と天井が崩れ落ちた。粉塵が舞い、湯が吹き上げるなか、ねじれるようにして黒い影が飛び出てくる。外法童子と、その手に抱き上げられた高島と長身の女性と。
ガス爆発か何かと誰かが通報したのだろう。警察や消防のサイレンの音が近付いて来ていた。
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