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第152話 束の間の
肌寒い季節から肌を晒せぬ季節になりつつある。少し早いクリスマス飾りとイルミネーションが街を彩りはじめていた。
跡形もなく吹き飛んだきみの湯は、金に物を言わせた突貫工事で営業を再開している。とは言え、さすがに自宅までは手が回らず、稲田三姉妹は文化住宅に仮住まいである。きみの湯への行き帰り、時々は一緒になることもあり、その日も、暖簾を持ち上げて外へ出たところ、美琴から声をかけられた。
「五郎さん、おかえりですか。私も、ちょうど帰るところです。一緒に帰りましょう」
さも偶然らしく言うが、手が震え、頰が寒さに赤く火照っている。外で待っていたに違いない。朴念仁の五郎は、ピンと来ることもなく、素直に偶然を喜んでいたとか。
話を盛り上げる季節でもない。手を繋ぐこともなく、ポケットに手を入れて黙々と歩く。それでも幸せを感じる。そんなこともあろうかと思われる。だが、静かな良い雰囲気も、一瞬で台無しである。五郎の肩で揺られながら蜜柑がいう。
「きみの湯がすぐに再開して良かったわ。美琴はん、もう聞いてぇな。五郎のやつ、風呂掃除のバイト代は入らへんし、遠くまで風呂に行くのも面倒やっていうてな。なかなか風呂にも入らんと……」
「黙れ、蜜柑。パチもんは黙ってろ」
「誰がパチもんじゃい! 由緒正しき、神尾家の護り神にして式霊様やぞ」
「いや、おまえ偽物じゃねぇか。いなくなった音なしの代わりに箱に入ってただけなんだろ?」
「そんなん知らん。神尾家の護り神やもん」
「やもんて。可愛く言うても、パチもんはパチもん、バッタもんはバッタもんだろ」
「ち、ちゃう! わてはパチもんやない!」
わーん、五郎はんが虐めよると言って、ぴょんと美琴の頭の上に飛び乗る。
飛び乗られた美琴が、首を動かさないように注意しながら頭の上へ視線を向けると、淡く舞い降りる雪が見えた。手のひらに雪を受け、その結晶が溶けて消えるのを待って、そっと頭の上に手を伸ばし、両手で蜜柑を包んで胸元まで降ろしてきた。そのまま、あんまり虐めたら駄目ですよ、と五郎に手渡す。軽く手が触れ合い、見つめ合う二人だが、
「青春するのはいいけど」
と、御約束の邪魔が入った。すでに文化住宅の近くまで来ており、同じく住民の夏野千里だ。
「大事なことを忘れてないかい? ずっと遠く、空の上に音なしが潜んでるってことをさ」
「もちろん、わかってますよ。ちょうどクリスマスに落ちてくるだろうと。陽子さんや、スーや、高島が、そう言ってましたからね」
「それまでに、あんたは何をすればいい?」
「……チケット販売です」
「わかってるじゃないか。大学へ行って、ばんばん売ってきな」
「規則違反で目をつけられますよ。退学になったら、どうしてくれるんですか」
「そんなことは知らないよ。バレないように、上手にやんな」
ふぅ、と溜息をつく五郎である。音なしとチケット販売と何の関係があるのかというところだが、これが関係あるのだから仕方がない。
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