第153話 神は祈らず

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第153話 神は祈らず

 力ある歌によって(はら)われ、霧散した音なしだったが、冬空の奥、人の手の届かぬ高みで、じわじわと蘇りつつあった。触ることは(おろ)か、見ることも、聞くこともできない。ゆえに音なし。それを討つ手を考えた末、新進気鋭のロックバンド、Black Catsの復活ライブをやることになった。  いまひとつ流れの繋がらない話だが、スーも、稲田陽子も、高島も、外法童子、佳乃など人外の者たちも、みなの意見が一致しているのだ。  音なしを滅するに、音をもってする。わかるような、わからぬような話だ。バンド名をBlack Cats Geminiに変えて、復活ライブを告知中。地道に大学でチケットを売ってこいと言われた五郎だが、なぜ歌なのか気になり、スーに聞いてみた。 「五郎様は、古今和歌集仮名序というものを御存知でしょうか。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なりと。要するに、歌には人や物を動かす力があると言われているのです」 「でも、それは、なぜ歌に力があるのかという疑問にすり替わるだけじゃないですか」 「歌は祈り、ゆえに力を持つのです」 「祈りですか?」 「そうです。人は何に祈ると思いますか」 「神様かな」 「いいえ、人は、神に、星に、人に、物に、ありとあらゆる他者に祈るのです。逃れられぬ想いから、苦しみから、運命から救ってくれ、わかってくれ、ともに歌ってくれと。救ってくれるなら、それが神でも悪魔でも構わない。そうでしょう?  万能で満ち足りた者は祈らない。神は祈らず、人は祈るのです。信仰を持つ者は神に、持たぬ者は物に、人に、あるいは何者でもない何者かに」 「でも、歌でなくてもいいんじゃ?」 「良い感性をお持ちです。たしかに言葉自体が他者への呼びかけであり、祈りでもあります。しかし、歌は言葉に彩りを与え、その力を増すのです。魔術的な力と言っても良いでしょう。決して特別な力ではなく、普段から誰もが言葉とともに使っている力です」 「言葉とともに? なんだろう……」 「うふふ、それはね」  と五郎に寄り添い、艶っぽい声で妖しく上目遣いに見上げながらいう。「こういうことですよ。ねえ、五郎様」  綺麗な指先で頰を撫でられて、すっかり舞い上がってしまった五郎から、ついと離れていう。 「ふふ、少しは心動かされましたか。私も、まだまだ捨てたものではありませんね。つまり、こういうことなのです。言葉は意味を伝えるもの。しかし、時に、その声音や態度、表情こそが大切なものとなる。歌は、言葉に表情を与え、力を増してくれます」 「わかるような、わからないような……」 「ふふ、わからなくてよろしい。言葉は、すべからく他者への呼びかけ。自分というものを見出してしまったために、越えることのできない壁の底で泣くしかなくなった。だから、私たちは歌うのです」
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