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第156話 くまと大砲とほしと
海に面した複合商業施設、カンベランドスター内の野外ステージが、Black Cats Geminiの復活ライブ会場だ。いまにも始まろうという時、演出に紛れて温州蜜柑がステージへ出てきた。
小さなくまのマスコットに宿っているのだが、いまはそれが着ぐるみサイズになっている。五郎が驚いていると、耳元で、鈴のような声がした。振り返ると金髪碧眼の女性、スーだ。
「五郎様、びっくりしまして?」
「あれ、蜜柑ですよね」
「愛らしい姿に軽薄な口調で、子供たちに大人気」
「それはいいですけど、あの大きさは?」
聞く間にも蜜柑の体が大きくなってきているが、ライブの演出と思ってか、騒ぎ立てる者はいない。
「うふふ、五郎様から運気を吸い取るように、聴衆からも少しずつ運気を吸い取っているのです。ネット動画の視聴者からもね。温州蜜柑には、アトラスになってもらわなければなりません」
「天空を背負う巨人でしたっけ」
「よく御存知で。耐える者、歯向かう者とも呼ばれます。天が落ちてくるに等しい音なしを受け止めるには、ひたすらに力が必要です。温州蜜柑は穢れから生まれた禍つ神ですが、音なしに負けぬほどの覚悟と苦しみから生まれたもの。何者をも喰らい、浄化する力を持っています。たぶん」
「いま、たぶんって言いました?」
「そんなこと言いませんよ」
口元を押さえて、ころころと笑ってみせる。
「さあ、会場を護ってきますね。ミサキが入り込まないよう、高島様や陽子様、月子様、勝樹様、佳乃や外法童子らと、それぞれ護りにつきます。いいですか、五郎様と蜜柑に懸かっているのです。ステージ裏へ行ってください。よろしくお願いしますよ」
言い置いて離れていった。どうすれば良いのかわからないままステージ裏へ向かうと、頭の上から聞き慣れた声がして、
「お、五郎はん。小さくなってもうて」
と、人の背丈を優に超える大きなくまのマスコットが窮屈そうに座り込んでいた。
「お、おまえ、蜜柑か」
「そうや。我が身を人目に晒して力をもらっとる。いつぞやみたいに無駄遣いはせぇへんで」
「それはいいが、俺はいったい何をすれば良いのだ? 何の力もないぞ」
「ふっふっふっ、五郎はん、ようやく、自分こそが役立たずと気付いたようやな」
んぐぐ、と言葉に詰っていると、
「蜜柑ちゃん、やめなさい」
と美琴が口を挟んだ。ライブに向けて、心の準備か、ステージ裏へ出てきていたのだ。
「五郎さんは精一杯やってくれています」
「へいへい、わかっとるがな。実のところ、わてだけでは音なしには勝てへんのや。五郎はん、あんじょう頼んまっせ」
「頼むって、何を?」
「へっへっへっ、じきにわかるわいな」
そう言う間にも大きくなり続け、壁越しにはみ出した蜜柑の頭を見た聴衆から声が上がった。
会場のピリピリとした雰囲気も、頭上からの圧力も増し、互いにせめぎ合い、押し合って静止しているようだった。その均衡を崩したのは一発の大砲、いや、ライブの始まりを告げるバスドラムの音だ。会場の熱気が高まってくる。そして、ほ、し、が……。
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