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第163話 完
形を持たぬゆえに、見る者が縛る。
それが妖であり、神であり、悪魔でもあろう。ともに妖しの存在である蜜柑と音なしの決戦も、それぞれ縛られた姿で戦い、終わりを迎えようとしていた。
天を衝く大熊と化した蜜柑が、海の魔物と化した音なしと死闘を繰り広げていたのだが、次に音なしに与えられた縛りはデフォルメされたサケの姿だ。巨大なサケを捕まえる蜜柑に、五郎がいう。
「サケだ」
「知っとるわい! 海の魔物どころか、ただの魚やないか。そもそもクマやからサケ? どこのクマもサケを獲っとると思ったら大間違いやぞ」
「イメージだよ、イメージ。ほら、コメントでも、かわいい、頑張れサケだって」
「なんでやねん。どっちを応援しとるんや。緊張感のない奴らめ」
「え、そう? 緊張感いる?」
問いかけに合わせて、愛らしくデフォルメされたサケが急にリアルな造形に変わった。さらに、鋭い歯と牙と手足まで生えて半魚人チックな姿に。間抜けな外観とは裏腹に、凶暴な力で蜜柑に噛み付いた。ぐはっ! と声をあげて、
「やーめーろー。うそや、うそ。緊張感なくてええ。変なこと考えるな」
「よーし、わかった! こうだ!」
「それはもうええから」
うんざりしたようにいう蜜柑の手元で、半魚人〈?〉が光り、サケの姿に戻った。これ以上の寄り道は無用とばかりに、大口を開けて噛み付き、バリバリと巨大なサケを齧る。
「骨も残さへんぞ!」
気合いを入れてサケを喰らい、げぷっと吐いた息は黒々としている。蜜柑の鼻や耳から、ぷすぷすと煙状のものが漏れ出してきていた。
「大丈夫か? 黒い煙が出てるぞ」
「これは瘴気や。音なしが抱え込んでおった呪いだか障りを、ちょっとずつ浄化して天へ返すんや」
言いながら、まさに骨も残さず、サケと化した音なしを喰い尽くした。両手の先を舐め取りながら立ち上がり、つぶやく。
「おわった、なにもかも……」
言って、くるりと向きを変え、沖へと向かう。潮騒に涙しながら、巨大熊と化した温州蜜柑が海へと帰っていく。波が尾を引き、立ち昇る瘴気は大気に溶けて風となった。
……完
「……って、ちょっと待てや。五郎はん、ちゃんと引き止めてぇな。気分で言うとるだけなんやから。一緒に海に沈みたくはないやろ?」
「どこまでやるかなと」
「おまん、あほやろ。はよ岸へ戻るで」
「ほいほい」
「やっぱ、返事が軽いわぁ」
ぶつぶつ言いながら、ライブ会場へ戻る蜜柑と五郎である。ステージ裏の埠頭には会場を護っていた連中が集まっていた。近付くにつれて蜜柑の背丈が縮まり、数メートルほどの大きさになる。陸へ上がる前には、んべっと五郎を吐き出し、そのまま縮んで縮んで元の手のひらサイズだ。佳乃が静かに出迎える。
「おかえり、蜜柑」
「おう、いま帰ったで」
ぷすぷすと黒煙を上げながら、いつもの軽薄な口調でいう。それを聞いたスーが、ふふと笑う。
「お二人とも、よくやってくれました」
「おかげで、なんとかなりました。でも、みんな、その格好は……」
と、五郎が目を見張ったことには、ライブ会場を護っていた誰もが、あちこち傷だらけ。服も破れてぼろぼろである。
「思ったより数が多く、少々骨が折れました。ライブの方もそろそろ終幕の様子。五郎様、最後にもう一仕事、お願いします」
そう言うと、目を細めて楽しそうに笑った。
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