第2話 箱の中から、こんにちは

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第2話 箱の中から、こんにちは

 学生向けの安アパート、俗に文化住宅の一室で、神尾五郎は、わぁわぁと声をあげるダンボール箱のガムテープを乱暴に剥ぎ取った。 「あ、やめて。そんな乱暴にせんといて。わての家が壊れたらどうしてくれるんや」 「ただのダンボール箱じゃねぇか」 「いいや、違う!」  箱の中からピョコンと飛び出してきたのは、手のひらサイズのくまのマスコットだ。畳に胡座をかくと、身振り手振りを交えて力説する。 「箱の中は、わての鎮座する社みたいなもんや。おまんから吸い取った運気で、あ、いや、わての神気で、中は快適なんや。オートロックにフローリング、冷暖房はもちろん、ネット環境も完備やで」 「どうなってんだ、それ? 家賃払え」 「ちょっ、おま、神様から家賃とろやなんて、罰当たりにもほどがあるで」 「神様が運気を吸い取るんじゃねぇよ」 「し、知らん。そんなこと、わては知らん」  小さな手で、ばんばんと畳を叩いてみせる。「わては神尾家の式霊様やぞ。もっと敬えや。どれだけ助けてやったことか。思い返してみ?」 「特に助けられた覚えはないぞ。むしろ不運な貧乏暮らしは、お前のせいじゃねぇのか。そうか、運なし、金なし、貧乏神か」 「ちゃうわい! わての叱咤激励で、名門、神辺大学へ入れたんやろが。恩知らずめ。ええか、たしかに、わてはおまんの運気をちょこっとだけもうとる。ほんのちょっと、消費税ぐらいのもんや」 「それ、結構とってない?」 「うっさい! 黙って聞かんかい。さすがのわても元手なしでは何もできへん。ちょっとずつ運気を貯めて、本当に困っとる誰かのために使うんや」 「俺のためには?」 「はぁ、なんや自己中かいな。やれやれ、財布が貧しいと心まで貧しいなるんかいな」 「財布が貧しいのは、おまえのせいだろうが! くそ、オートロック、フローリングに冷暖房、さらにはネット環境完備だと。そっちと代われや、この、このこのこの」  おいおい、わての家はダンボール箱やで、との返事を聞きながら、くまのマスコットに掴みかかって喚いていたところ、 「楽しそうね」 と大家の婆さんの声がした。気付くと、部屋には不釣り合いなほど大きな窓を開けて、窓の外から婆さんがこっちを見ていた。  沈黙。 「あ、あの、その。実は演劇部でして。それで、えっと……」 「あら、いいのよ。ここへくるのは変な子ばっかりだから。勝手に窓を開けて、ごめんなさいね。銭湯のことを教えてあげなくちゃと思って」 「あ、そうか。お風呂が付いてないんでしたね。銭湯って、近くにあるんですか?」 「ええ、すぐ近くよ。ちょっと驚くかもしれないけど。癖になるわよ、きっと」  はぁ、と返事をする五郎に銭湯の場所を教えると、近くに住んでるから、わからないことがあったら何でも聞いてねと言って帰っていった。  窓を閉め、鍵をかけて、変な子にされちゃったとガックリ肩を落とす五郎を見て、くまのマスコットがけたけたと笑った。
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