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第5話 まあ可愛い
徒歩数分の銭湯は、風情ある昔ながらの建物で『きみの湯』と暖簾がかかっていた。
パンケーキを待っていた時の蜜柑くらいにはわくわくしながら中に入るも、番台に人がおらず、ほかの客もいない。おろおろする五郎が番台を覗き込むと、女湯とつながっているではないか。
頑張れば着替えも覗けそうな気がする。むろん、そうならないようにはしてあるが、絶妙なバランスで男心をくすぐる。首を伸ばして何やっとんねん、という蜜柑の声に我を取り戻した。
よく見ると、不在時はこちらへと野菜の無人販売所の如く支払い箱があったので、なけなしの金を放り込み、服を脱いでどきどきしながら浴室へ向かう。
ところどころ剥げ落ちたタイルに錆びた蛇口、きわめつけは壁に描かれた富士山の絵だ。こんな銭湯がまだあろうとは。五郎の期待に十二分に応えてくれた。さらに、湯舟に入った五郎を衝撃が襲う。なんと、その銭湯は温泉だったのだ。ぬるぬるとアルカリ性の湯質である。
実は、神辺市内はどこを掘っても温泉が湧くと言われる土地で銭湯はすべて天然温泉なのだ。そうとは知らぬ五郎が驚くのも無理はない。
他の客がいないため温州蜜柑も一緒に湯に浸かった。式霊だか神様だか知らないが、材質的に大丈夫なのだろうか。それはともかく、温泉を堪能して浴室を出た五郎に次なる衝撃が。
「あら、いらっしゃい」
と番台から声をかけたのは、二十代半ば、おっとりとした雰囲気の女性である。
「初めての方ですね。今後ともご贔屓に。文化住宅に新しい学生さんが入ったって、あなたのこと?」
あ、はい、と、よく事態を飲み込めないまま応じる素っ裸の五郎に、追い討ちをかけるように、
「まあ可愛い。食べちゃいたいくらい」
と言って微笑んだ。
五郎の衝撃的な銭湯デビューである。
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