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 綾川(あやかわ)成(なる)、15歳。小柄で線が細いながら、サラサラの髪は陽に光り、透き通るかのような白い肌は陶器のような涼しげな輝きを放っている。そう、彼は世界中の儚さを集めて背負いでもしているかのように、美しい少年だ。しかし、その綺麗な顔の、右目のすぐ横には、目立つ大きな傷がある。それが、作り物のように美しい彼の、外見における唯一の欠点であった。そしてその傷が消えることは、恐らくもう一生ない。  俺のせいで。  俺は、いちばん傷付けてはいけないものに、一生消えない傷を負わせたのだ。  そして、幼なじみである成と、俺はもう3年は口をきいていなかった。  俺は姫(ひめ)木(き)桐(きり)、16歳。綾川家と姫木家は斜向かいで、俺たち二人も物心ついた時からいつも一緒にいた。 「きりちゃーん、ボール持ってきたから、公園にいこうー」 「えほん、きりちゃんが読んでー。きりちゃんは、読むのがとっても上手だから、おれ、きりちゃんにえほん読んでもらうの大好き!」 「きりちゃん、ごめんね、今日遊べなくなっちゃって。また熱が出ちゃったんだー。……あー、でも、大丈夫。もう慣れたよ。寝てなきゃいけない日はね、ほら、この前、きりちゃんが工作で作ってくれた、紙ねんどの人形、あるでしょ。あいつが枕元にずっといるんだよ」 成はきりちゃん、きりちゃんといって俺に懐いていた。同級生だが、5月生まれと2月生まれで、小柄で気も身体も弱い成は、弟のような存在だった。  かもしれないが、よくある「二人は兄弟のように育った」という言い方も、正しくはないのだろう。  成のような子供が、ガキ大将たちに目を付けられないはずもなく。成がいじめられるたびに、俺は飛んで行って成を助けた。 「成、大丈夫か」 いじめっ子を追い払った後で成の顔を覗き込むと、成は決まって目にいっぱい涙をためていた。でも成は、いじめっ子の前では絶対涙を流さないんだ。何も言い返したりできない代わりに、黙ってじっと耐えている。そして俺と目と目を合わせたところで、成の張りつめていた糸はぷつんと切れる。 「きりちゃ~ん」 涙で潤んだ目で俺を見上げ、甘えた声で俺の名前を呼ぶ。 「あーはいはい、いつものな」 俺は、しょうがないなあ、と笑いながら、成を強く強く抱き締める。俺の腕の中で、成が声も上げずに小さく肩を震わせているのに気付くこともしばしばだったが、そんな時も俺は何も言わない。  悔しかったよな。泣かずに我慢して、えらかったな。成、お前は強いな。  言葉がなくても、俺たちが互いの思っていること、考えていることを伝え合う方法はいつでも、こうやって肌に触れることだった。  こんなふうに、成をいじめっ子から守っているうちに、俺はすっかりケンカが強くなってしまった。しかし、実力行使は成のためだけと決めていた。そうしないと、平和を愛する成が悲しむ。 「きりちゃんは優しいんだね」 「……全然、優しくないよ、俺なんて」 そう。別に、優しいからではないのだ。こうでもして抑え込まなければ、力はいつか暴走する時が来ると、そんな自分の残虐性を、俺は予見していたのかもしれない。  ほとんど生まれた時から一緒にいるような幼なじみで、幼少期は閉鎖的な人間関係だったと思う。  二人だけの世界。俺と、成の。  俺には成しかいなかったし、成には俺しかいなかった。だから、俺たちの関係を、珍しいとも変だとも思ったことがなかった。 「きりちゃん手、つないで」 成は街中でも抵抗なくそうねだってきたが、二人を同い年には見せない体格差が、男の子同士で手をつないでいるということの不自然さを軽減させていたのだろう。 「ふふ、きりちゃんの手、あったかいなあ」 俺が手を握ってやると、指をつないでやると、満足げに柔らかく笑う成の手は、細く白く長いその指は、いつもひんやりと冷たかった。  お前はその声も、笑顔も、こんなにもあたたかいっていうのに、不思議だよなあ。  それでも、身体の弱い成が外で遊べるのはたまにで、俺たちは成の部屋で多くの時間を過ごした。  それこそ、完全なる二人きりの空間と時間。  誰の目も届かない密室の中で、「同性の幼なじみとの距離感の正解」を学ぶには、俺たちはたぶん、少し幼すぎた。  成はやたら俺とくっつきたがって、何の前触れもなく俺の背中にぴったりとくっついてきたり、俺の膝の間に座ってきたりした。  ここまで、さも成の方がねだってくるから過剰なスキンシップをとっていたように書いてきたが、俺は俺で、成に触ることが癖だったのだろう。身長差があるということもあったと思うが、俺は無意識に近く、よく成の頭を撫でていたようだ。  あと、成をいじめっ子から救った後の恒例行事でもあり、成自身好んでもいたが、たぶんハグをするのも、俺の癖だった。  成に今聞いても、きっと覚えていると答えると思うが、外は雨だし、成はベッドの上にいなきゃいけないし、そんな日に、俺は成の部屋にいた。カーテンは閉め切られていたが、俺は細い隙間から光が漏れ入ってきていることに気付いて、半ば無理矢理成のベッドに上がると成の肩越しに手を伸ばしてカーテンを開け放した。成は驚いた顔をして俺を見上げてきたが、俺は成の肩を優しく掴んで俺に背を向けさせ、窓の方を向かせた。小さな長方形が切り取る空は、さっきまで鉛色にどんよりしていたが、いつの間にか青く晴れ渡っていた。そして 「成見てみ、虹出てる」 「わ、ほんとだ」 澄んだ瞳をさらにキラキラさせて、成は虹に見入った。  俺はその背中を後ろから抱き締めた。  そのまま二人で虹を眺めていた。 「……きりちゃん、もっと、ぎゅーってして」 成に言われて、少し腕の力を強めた。 「はい、ぎゅー」 「ふふっ」 例によって柔らかく笑う成の髪に、耳元に、首筋に、顔をすり寄せる。  うん、成の匂いだ。 「きりちゃん、なんか今日、いつもより近いね?」 「ん?そうかな」  ああ、かわいい。  弟とか、友達とかとはちょっと違う存在の成のことをかわいいと、改めてというか、初めて自覚的にちゃんと思った瞬間。だからもうずっと前のことなのに、こんなにはっきり覚えているのだろう。  今から思えば、親たちも少しは俺たちのことを心配していただろう。たぶん、俺たちが女の子同士だったら、これだけひっついて遊んでいても理解できないということはなかっただろうが。  綾川家に泊まって帰った朝、俺を家まで送ってきた綾川のおばさんと俺の母親が玄関で立ち話しているのが聞こえた。 「桐くんの分の布団も用意したんですけどね、あの子たちったら二人でぎゅうぎゅうになって成のベッドで寝ちゃって。朝なんて、起こすのも忍びないくらいでね」 苦笑いして話す綾川のおばさんが帰ってしまった後で、母親が何でもない風を装って、でもおずおずと俺に聞いてきた。 「桐、お泊りで成くんと二人でずっと何してたの?」 本当に、別に何をしたというわけではなかった。  綾川のおばさんの言うとおりに、その日俺たちは一つのベッドで寝た。用意してもらった布団を横目に、少しの後ろめたさはあったが、照明を消した暗闇の中で成の瞳だけが光っている光景に、そんな気持ちも薄れた。  何も言わないのに、俺たちは自然に鼻先が触れ合うほど近くに向き合い、指先を触れ合わせた。 「きりちゃん、今日はこのまま手つないだまま眠っても、いい?」 「ん、いいよ」 布団に入っても、やっぱり成の手は冷たかった。そのなめらかな肌の感触を感じながら、俺が目を閉じると、遠慮がちな成の声が瞼の上に降ってきた。 「……きりちゃんごめん、手つないだままって言ったけど……」 もじもじしゃべる成の言いたいことは分かっていたから、俺はゆっくりとまた目を開けて、言葉の続きを待たずに絡めた指をほどくと、その手を成の背中に回した。  そうしてそのまま抱き合ったまま、俺たちは眠りに落ちた。  数時間ののち、カーテンの隙間から差し込む朝日を感じて薄く目を開けると、成は変わらず俺の腕の中にいて、小さな寝息をたてていた。まどろみの中でそのことを確かめて満足し、俺はもう一度目を閉じた。
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